20世紀・シネマ・パラダイス

hearttbar
Debbie_Reynolds

デビー・レイノルズ

Debbie Reynolds

 1932-2016(アメリカ)


heartbar


   代表作

Singin'_in_the_Rain-2
Tammy_and_the_Bachelor
雨に唄えば
Singin' in the Rain

(1952年/アメリカ)
タミーと独身者
Tammy and the Bachelor

(1957年/アメリカ)
How_the_West_Was_Won
The_Unsinkable_Molly_Brown
西部開拓史
How the West Was Won
(1962年/アメリカ)
不沈のモリー・ブラウン
The Unsinkable Molly Brown

(1964年/アメリカ)


    ミュージカルの人気スターだったレイア姫(キャリー・フィッシャー)のママ

 ・1932年、テキサス州生れ。本名はMary Frances Reynolds。7歳の時にカリフォルニア州バーバンクへ引っ越し、16歳の時にミス・バーバンクのコンテストで優勝。ワーナー・ブラザース社とMGM社のスカウトが競合し、コイントスの結果、ワーナー・ブラザース社と契約したとの伝説が残っている。

 ・‟デビー”の芸名を授けられ、ベティ・デイビス主演の『花嫁の季節』(1948年)の端役で銀幕デビュー。2作目の『The Daughter of Rosie O'Grady(1950年)出演後、ワーナー・ブラザース社との契約を終了。ミュージカル映画への出演を望んでMGM社と契約した。
 (右の写真)『The Daughter of Rosie O'Gradyカラー作品。主役のジューン・ヘイヴァー(右)と
The_Daughter_of_Rosie_O'Grady

Three_Little_Words  ・MGM社での最初の作品はフレッド・アステア主演の『土曜は貴方に』(1950年)。1920〜1930年代に数々のヒット曲を生み出したバート・カルマー(作詞)とハリー・ルビー(作曲)の伝記映画で、デビーは彼等の代表曲「I Wanna Be Loved by You」を唄った歌手のヘレン・ケインを演じたが、歌声はヘレン・ケイン本人が吹き替えた。
 (左の写真)『土曜は貴方に』のデビー・レイノルズ

 * ヘレン・ケイン … 漫画のキャラクター、ベティちゃん(ベティ・ブープ)のモデルとなった人気歌手。「I Wanna Be Loved by You」は、マリリン・モンロー『お熱いのがお好き』(1959年)の中で唄った。
Helen_Kane_&_Betty_Boop
Debbie_Reynolds_&_Helen_Kane
ヘレン・ケインとベティちゃん
デビー・レイノルズ(左)とヘレン・ケイン

 ・『Two Weeks with Love(1950年)では、ヒロインのジェーン・パウエルの妹を演じ、自身の歌声も披露。カールトン・カーペンターとデュエットした「Aba Daba Honeymoon」がビルボードの第3位となるスマッシュ・ヒット。ミュージカル・スターへの足掛かりとなった。
 (右の写真)『Two Weeks with Love』 カールトン・カーペンターと
Two_Weeks_with_Love

Singin'_in_the_Rain  ・『雨に唄えば』(1952年)のヒロインに抜擢され、大ブレイク。身長は157cmと小柄だったが、元気いっぱいに唄って踊る姿は世界中の映画ファンを魅了し、一躍人気スターとなった。
 同作が公開される前にプライベートで来日。淀川長治さんがデパートに連れて行くと、まだ売れる前だったので、安物のブローチを買っていたという。
 (左の写真)『雨に唄えば』ジーン・ケリー

 ・ドナルド・オコナーと再共演した『アイ・ラブ・メルヴィン』(1953年)、コメディ・ロマンス作『奥様は芳紀17才』(1954年)、ミュージカル作『艦隊は踊る』(1955年)等に出演。
 (右の写真)『アイ・ラブ・メルヴィン』ドナルド・オコナーと
I Love Melvin

Eddie_Fisher
 ・1955年、人気歌手のエディ・フィッシャーと結婚。『歓びの街角』(1956年)で共演もし、長女のキャリー(1956年生)、長男のトッド(1958年生)を授かった。
 (左の写真)エディ・フィッシャー、キャリー・フィッシャーと

 ・コメディ・ロマンス作『タミーと独身者』(1957年)の主題歌「タミー」が、ビルボードで5週連続第1位となる大ヒット。彼女の代表曲となった。
 (右の写真)『タミーと独身者』
Tammy_and_the_Bachelor-2


youtune
  「タミー」



It_Started_%20with_a_Kiss  ・『年頃ですモノ!』(1958年)、『ひとこと云って』、『それはキッスで始まった』(1959年)等の主演映画がヒットし、1959年、1960年と2年連続でドル箱(マネー・メイキング)スター・ベストテンの第5位にランクインした。
 (左の写真)『それはキッスで始まった』グレン・フォード

 ・私生活では、夫のエディ・フィッシャーがエリザベス・テイラーと恋仲になり、一大スキャンダルとなった。

 ・1959年、エディ・フィッシャーと離婚。翌年、靴のチェーン店業を営んでいたハリー・カールと再婚したが、1973年に離婚。
 1984年、不動産業を営んでいたリチャード・ハムレットと3度目の結婚をしたが、1996年に離婚した。
 (右の写真)2番目の夫ハリー・カールと
Harry_Karl

 ・オールスター・キャストの超大作『西部開拓史』(1962年)ではヒロインを務め、伝記ミュージカル作『不沈のモリー・ブラウン』(1964年)ではタイタニック号からの生存者マーガレット・ブラウンを演じてアカデミー賞主演女優賞にノミネートもされた。
How_the_West_Was_Won The_Unsinkable_Molly_Brown-2
『西部開拓史』(1952年)
グレゴリー・ペック

『不沈のモリー・ブラウン』(1964年)
ハーヴ・プレスネルと

Debbie_Reynolds-4
 ・舞台やTVでも活躍。1960年から10年間、毎年3ヶ月間はラスベガスのホテルでのショーに出演。2人の子供がサプライズ出演することもあった。1969年にスタートしたTV番組「The Debbie Reynolds Show」は高視聴率を獲得していたが、途中からスポンサーとなった煙草会社のCMが流されたことに彼女が抗議し、半年足らずで打ち切りとなった。
 (左の写真)1963年、ラスベガスの舞台で子供たちと

 ・1973年ミュージカル劇「Irene」でブロードウェイ・デビューし、トニー賞の主演女優賞にノミネートされた。同舞台で娘のキャリー・フィッシャーが女優としてデビューを果たした。
 (右の写真)舞台「Irene」。デビー・レイノルズ(手前)。後でしゃがんでいるのがキャリー・フィッシャー。
Irene

Debbie_Reynolds-7
 ・『スター・ウォーズ』(1977年/監督:ジョージ・ルーカス)が公開され、レイア姫を演じたキャリー・フィッシャーが一躍有名になった。デビーは、「以前はキャリーが ‟デビー・レイノルズの娘”と呼ばれていたが、今では私が ‟レイア姫の母親” と呼ばれるようになった」と語り、娘の成功を誰よりも喜んでいたという。
 (左の写真)キャリー・フィッシャーと

 ・キャリーが1987年に出版した自伝的小説「崖っぷちからのはがき」がマイク・ニコルズ監督によって映画化され、母親役はシャーリー・マクレーン、娘役はメリル・ストリープが演じた。邦題は『ハリウッドにくちづけ』(1990年)。デビーも1988年と2013年に自伝を出版した。

 ・映画で使用された衣装や小道具類の収集家でもあった。1991年にラスベガスのホテルとカジノを買収し、「ハリウッド博物館」を開設。1997年にホテルとカジノの所有権を失ってしまい、博物館はテネシー州の観光地に移転したが、2009年に破産。マリリン・モンロー『七年目の浮気』(1955年)で着用した白いドレス等、膨大なコレクションは競売にかけられてしまった。
Debbie_Reynolds-9. Debbie_Reynolds-5 Debbie_Reynolds-6
@
A
B
@ 『ヨーク軍曹』(1941年)でゲーリー・クーパーが着用した軍服、『バス停留所』(1956年)でマリリン・モンローが着用した衣装。
A
『オズの魔法使』(1939年)でジュディ・ガーランドが着用したドレスと魔法の靴。
B
『マイ・フェア・レディ』(1964年)でオードリー・ヘップバーンが着用したドレス。

 ・2001年には、キャリー・フィッシャーが脚本を執筆したTVドラマ 「だって女優ですもの」に出演。因縁浅からぬエリザベス・テイラーと共演した。
 (右の写真)「だって女優ですもの」出演時。左から、デビー・レイノルズ、エリザベス・テイラー、シャーリー・マクレーン、ジョーン・コリンズ
These_Old_Broads

 ・最晩年まで第一線で活躍。デビーとキャリーの母娘関係を描いたドキュメンタリー映画「Bright Lights」が最後に出演した作品となった。
 * Bright Lights」 … 2016年5月、カンヌ国際映画祭で初上映され、2017年、有料TVのHBOで放送された。

Debbie_Reynolds-8  ・2014年、全米映画俳優組合の生涯功労賞を受賞。

 ・2015年、アカデミー賞のジーン・ハーショルト友愛賞を受賞。授賞式は欠席し、孫娘(キャリー・フィッシャーの娘)で女優のビリー・ラードが代理人としてオスカー像を受け取った。
 (左の写真)ビリー・ラード(左)、キャリー・フィッシャー(右) と

 ・2016年12月23日、キャリー・フィッシャーが飛行機内で心臓発作に見舞われ、27日に他界。翌28日、デビー・レイノルズが脳卒中で他界。享年84歳。最後の言葉は「キャリーと一緒にいたい」だったという。息子のトッドは、「姉の死によるストレスに耐えられなかったのだろう」とのコメントを発表した。 Debbie_Reynolds-10


youtune  「Bright Lights 」 予告編



Debbie_Reynolds-2
/Debbie_Reynolds-3


HOME