20世紀・シネマ・パラダ
イス
◆ ゲーリー・クーパーがアカデミー賞主演男優賞を受賞した大ヒット作
1916年。テネシー州の田舎町で農業を営んでいるアルヴィン・ヨークは、酒飲みの無頼漢として評判の男だった。 |
普段は雑貨店を営んでいる牧師のパイルは、
ヨークに信仰を持つように諭していたが、彼は聞く
耳を持たなかった。 |
|
ある日、弟とキツネ狩りに出かけたヨークは、幼なじみのグ
レイシーと久しぶりに再会した。グレイシーは見違えるほど綺麗な娘に成長しており、ヨークは彼女に一目惚れした。 |
その日の夜。ヨークは母親にグレイシーと結婚すると告げ、その足で彼女の家に向かった。 |
|
|
ヨークはグレイシーにプロポーズした。
グレイシーもヨークを慕っていたが、ヨークが生活態度を改めない限り、結婚など無理な相談であった。 |
ヨークの家は山の上にあり、そこは農業を営むには地質が良くなかった。結婚を断わられたの
はその為だと思い込んだヨークは、山の下の肥沃な土地を手に入れようと決心した。 |
|
ヨークは土地を購入する約束を取り交わし、その代金を稼ぐため昼夜を問わず働き、キツネ
の皮など金になるものは全て売った。
|
ヨークは支払期日までに土地代を用意する事が出来なかった。彼は
地主のトムキンスを訪ね、4日後に開
催される射撃大会
で賞品を手に入れ、それで残りの代金を支払う約束を取り
付け
た。
|
|
ヨークは射撃大会で勝利し、土地代を工面することが出来た。しかし、トムキンスは土地を他人
に売却してしまっていた。
|
|
ヨークは再び酒に溺れた。飲み友達のアイクとバックが心配
して色々と声を掛けたが、ヨークは土地の事を忘れられず、約束を破ったトムキンスを許すことが出来なかった。
|
泥酔したヨークはライフル銃を手に嵐の中をトムキンスの家へ向
かった。
道中、
馬上の
ヨークのライフル銃に雷が落ちた。ヨークは地面に投げ出され、銃は曲がりくねって使い物にならなくなっていた。
|
|
地面から起き上がったヨークは吸い寄せられるように教会へと歩を進めて行った。
|
ヨークは信仰に目覚め、生活態度が一変した。グレイシーと結婚の約束も交わし、町の子供た
ちに聖書の教えを説くようにもなった。
|
そんな折、アメリカがドイツに宣戦布告した。信仰のため兵役に志願しないヨークが周りか
ら
白眼視されることを心配したパイル牧師の勧めで、ヨークは宗教を理由に兵役免除の申請をした。
|
ヨークの申請は却下され、召集令状が届いた。人殺しは神の教えに背く。ヨークは召集を拒も
うとしたが、パイル牧師に諭され、兵役に就くことにした。家族やグレイシーに見送られ、ヨークは町を後にした。
|
ジョージア州のゴードン・キャンプ場で新兵訓練を受けていたヨークは、射撃訓練でキャンプ
場
の新記録を出した。
|
ヨークは射撃の腕を買われ、伍長への昇格と射撃指導官への任命を
言い渡されたが、信仰を理由にそれを拒んだ。すると、バ
クストン少佐が、「米国の歴史」
という書物をヨークに手渡した。その中には、ヨークの故郷の英雄ダイエル・ブーンのことも記載してあった。
パクストン少佐 「祖先たちが勝ち取った自由
を守るためには、時には犠牲も止むを得ないのでは?」
ヨークは答えに窮した。ヨークは10日間の休暇
を与えられ、答えが出なければ兵役を免除すると約束された。
|
信仰か自由か? 故郷へ戻ったヨークは、「聖書」と「米国の歴史」
を手に、いつも考え事をする場所へ行き、寝食も忘れて考え抜いた…。
|
|
ヨークが出した答えは兵役に就くことであった。ゴードン・キャン
プ場に戻り、新兵訓練を終
えたヨークはフランス戦線へ出
征した。
|
1918年10月8日、「アルゴンヌの戦い」。ヨークが所属する部隊は大苦戦を強いられ、
生存者は10数名だけとなっていた。
|
しかし、ヨークの八面六臂
の大活躍で形勢逆転。132名ものドイツ兵を捕虜とする大勝利を収めた。ヨークの部隊で生き残っていたのは僅か8名であった。
|
ヨークはフランス軍から陸軍勲章、アメリカ陸軍から殊勲十字章、そして、アメリカ軍人と
し
て最高位の名誉勲章を授与された。
|
帰国したヨークは様々な式典に引っ張りだこで、全米各地で熱烈な歓迎を受けた。ニュー
ヨークでパレードした時には、株式の取引が一時中断された程だった。
|
国民的英雄となったヨークには、映画や企業広告への
出演依頼などが殺到したが、戦場での行為で稼ぐつもりはないと全て断った。
|
ヨークは漸く故郷へ帰ることができ、家族やグレイシーと再会した。
|
地元が生んだ英雄に対して、テネ
シー州が素敵なプレゼントを用意していた…。
|
|
|
『ヨーク軍曹』 予告編
|
◆ 主な出演者など
・第1次世界大戦で活躍した軍人アルヴィン・ヨーク
(1887ー1964)の伝記映画。 |
ヨークは映画化の話を断り続けていたが、製作者ジェシー・L・ラスキーの熱意と、欧州で第2次世界大戦が勃発した
ことが転機となり、条件付きで映画化を承認。その条
件とは、収益の一部をニューヨークの聖書学校に寄付すること、そして、自分を演じる俳優をゲーリー・クーパーとすることだった。
(右の写真)アルヴィン・ヨーク(左)、ゲーリー・クーパー |
|
|
|
・クーパーは国民的英雄を演じることを躊躇していたが、ヨーク本人と会
い、彼から
直接に要請されて出演を決めたと言われている。
(左の写真)ゲーリー・クーパーとアルヴィン・ヨーク (右)
|
・映画化の権利を得たワーナー・ブラザーズ社は、ゲーリー・クーパーをサミュエル・ゴール
ドウィンから借り受
ける見返りとして、ベティ・デイビスを『偽りの花園』
の主役として貸し出した。
(右の写真)撮影現場のゲーリー・クーパーとベティ・デイビス
|
|
|
・アメリカの第2次世界大戦への参戦ムードが高まる1941年9月に公開され、その年最大
のヒット作品となった。インフレ調整後の興行成績では歴代105位(2014年現在)。
ゲーリー・クーパー、ハワード・ホークス監督のキャリアにおいて最大のヒット作となっている。
|
◆ ピック・アップ … ジョーン・レスリー
|
Joan
Leslie 1925-2015 (アメリカ)
・1925年、ミシガン州にて、3人姉妹の末っ子として生まれた。
ピアニストだった母親の影響で、3姉妹とも幼い頃から音楽に親しみ、ジョーンはアコーディオンを演奏していた。
1929年の世界大恐慌で銀行員だった父親が失業し、家計を助ける為、3姉妹で寄席の舞台に立つようになった。
|
・1936年、11歳の時にMGM社にスカウトされ、グレタ・ガルボ主演の『椿姫』で銀幕デビュー。ロバート・テイラーの妹役だった。その後、会社を変わりながらも映画に出演し続けた。
・1941年、ワーナー・ブラザーズ社と契約。ハンフリー・ボガート主演の
『ハイ・シェラ』で、足の不自由な少女を演じて注目を集めた。 |
|
|
『ハイ・シェラ』
ハンフリー・ボガートと |
『ヨーク軍曹』
ゲーリー・クーパーと |
・同1941年、『ヨーク軍曹』のヒロイン役に抜擢された。当初、ジェーン・ラッセルの起用が予定されていたが、アル
ヴィン・ヨークが酒もタバコも嗜んだことのない女優の起用を求めたため、当時まだ16歳のジョーンが起
用された。相手役のあまりの若さにゲーリー・クーパーも初めは戸惑ったという。
(右の写真)ゲーリー・クーパーとレスリー3姉妹。右から2番目がジョーン。 |
|
|
・翌1942年、ジェームズ・
キャ
グニーがアカデミー賞主演男優賞を受賞した『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』に出演。
2年連続でアカデミー賞主演男優賞受賞作のヒロイン役を務めた。
(左の写真)『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』 ジェームズ・キャグニーと |
・RKO社に貸し出されて出演した『青空に踊る』(1943
年)では、フレッド・アステアと見事なダンスも披露した。
(右の写真)『青空に踊る』 フレッド・アステアと |
|
・戦後、ワーナー・ブラザーズ社と揉めて干されてしまい、マイナー会社のB級映画でしか顔
を見られなくなったのは残念。1950年代以降はTVでも活躍し、1991年に引退。私生活では、1950年に医師と結婚して双子を授かった。
・2015年、90歳で他界。
|
|