20世紀・シネマ・パラダイス
メアリー・アスター
Mary Astor
1906-1987 (アメリカ)
◆
代表作
紅塵
Red Dust
(1932年/アメリカ)
孔雀夫人
Dodsworth
(1936年/アメリカ)
偉大な嘘
The Great Lie
(1941年/アメリカ)
マルタの鷹
The Maltese Falcon
(1941年/アメリカ)
◆
美人女優の波乱に満ちた人生
・
1906年
、イリノイ州生まれ。両親が映画雑誌の美人コンクールに写真を送り、準優勝したことがきっかけで映画界入り。1921年、14歳の時に銀幕デビューした。
・
ジョン・バリモア
主演の『ボー・ブラムメル』
(1924年)
のヒロインに抜擢され、一躍人気スターとなった。
(右の写真)『ボー・ブラムメル』出演時
『ボー・ブラムメル』
(1924年)
ジョン・バリモアと
『ドンQ』(1925年)
ダグラス・フェアバンクス
と
『ドン・ファン』
(1926年)
ジョン・バリモアと
『美人国二人行脚』
(1927年/監督:
ルイス・マイルストーン
)
ウィリアム・ボイドと
・
チャップリン
の借家だったこともあるハリウッドの豪邸を両親が購入。
財政面は両親に握られ、普段は豪邸の2階に幽閉されていたという。
自由のない生活に嫌気がさしたメアリーは、19歳の時に豪邸の2階の窓から逃げ出した。その後、1度は両親と和解したが、今度は財政支援が少ないと訴えられ、26歳になるまで自分の給料を自由にすることが出来なかったという。
(左の写真)1920年代後半のメアリー・アスター
・1928年、映画監督のケネス・ホークス
(
ハワード・ホークス
の弟)
と結婚したが、2年後に、ケネスが撮影中の飛行機事故で他界する不幸に見舞われた。
(右の写真)最初の夫 ケネス・ホークスと
・1931年、再婚し、翌年、娘を授かった。
『紅塵』(1932年/監督:
ヴィクター・フレミング
)
クラーク・ゲーブル
と
『孔雀夫人』
(1936年/監督:
ウィリアム・ワイラー
)
ウォルター・ヒューストン
と
・1936年
、
離婚訴訟の際に、劇作家ジョージ・S・カウフマンとの浮気の事を記載したとされる彼女の日記が暴露され、スキャンダルに見舞われた。
その後、3度目の結婚
(1936〜1941年)
、4度目の結婚
(1945〜1955年)
とも長くは続かなかった。
*
ジョージ・S・カウフマン …
マルクス兄弟
の『けだもの組合』、『オペラは踊る』等の原作者
『ハリケーン』(1937年/監督:
ジョン・フォード
)
C・オーブリー・スミスと
『偉大な嘘』(1941年)
ベティ・デイビス
(右)と
『マルタの鷹』(1941年/監督:
ジョン・ヒューストン
)
ハンフリー・ボガート
と
『若草の頃』(1944年/監督:
ヴィンセント・ミネリ
)
ジュディ・ガーランド
と
・『偉大な嘘』
(1941年)
で、アカデミー賞助演女優賞を受賞。
(左の写真)1941年度のアカデミー賞授賞式
左から、
ゲーリー・クーパー
、
ジョーン・フォンテイン
、
メアリー・アスター、
ドナルド・クリスプ
・戦後も、『若草物語』
(1949年/監督:
マーヴィン・ルロイ
)
等で、元気な姿を見せていたが、1949年、アルコール依存症のため療養所に入所。
1951年には、睡眠薬の大量摂取により病院へ運ばれ、自殺未遂として報道された(本人は事故と主張)。
(右の写真) 『若草物語』
中央がメアリー・アスター。四姉妹の母親役。
・1950年代中頃からはTVを中心に活動。「ヒッチコック劇場」
(1958年)
、「ローハイド」
(1961年)
、「ベン・ケーシー」
(1963年)
といった人気番組にもゲスト出演した。
・1959年、自伝を出版してベストセラーに。執筆活動はアルコール依存症の治療の一環として始めて、小説も5冊出版した。1969年に出版した2冊目の自伝は、1冊目を上回るベストセラーとなった。
・友人だったベティ・デイビス主演の『ふるえて眠れ』
(1964年)
への出演を最後に引退。
(左の写真)『ふるえて眠れ』
・
1987年
、
81歳
で他界。
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