20世紀・シネマ・パラダ
イス
◆ 名匠ウィ
リアム・ワイラー監督の出世作
サム・ダズワースは、20年間
心血を注いできた自動車会社を売却した。売却先からは、好待遇での副社長のポストを提示されたが、それも辞退した。
サムは、愛する妻の長年の夢である欧州旅行へ出立するために自由人となり、第2の人生へ歩み出そうと心に決めていた。 |
|
|
サムの妻フランは、
スイスで教育を受けたこともあり、欧州の伝統と文化に憧れを抱いており、アメリカは健全なだけで低俗であると嫌っていた。
ダズワース夫妻は豪華客船クィーン・メリー号に乗船し、「人生の楽しみ方を学ぶため」、まずは英国を目指して旅立った。
|
若作りのフランは、船中で知り合った英国人のロ
カートに言い寄られていた。妻が誘惑されているのにも気付かず、ビショップ・ロック灯台の灯が見えたこ
とにはしゃいでいる夫のサムに、フランは内心呆れていた。
サムは、離婚して1人でイタリアに住んでいるコー
トライト婦人と知り合った。 |
ある晩、フランはロカートに侮
辱された。「挑発したのは君の方だ…。軽い情事は日常茶飯事とお見受けした…」。フランはロカートがいるロンドンへ行くことを嫌がり、夫妻
は予定を変えてパリへ向かうことになった。 |
夫妻はパリに着いた。サムが名所巡りを楽しむ一方、フランはペナプール夫人ら上流階級の知人たちとの交流を楽しんでいた。
フランの誕生日パーティーで、彼女は知り合って間もないイズリンから言い寄られた。それに気
付いたコートライトが、誘いに乗るのは危険だと忠告したが、フランは聞く耳を持たなかった。 |
|
|
パリに滞在すること1ケ月。サムが帰国を促し、フランと口論になった。フランは、ペナブー
ル夫人と一緒にスイスのモントルーに別荘を借りたことを告白した。
「今だけ自由にさせて。あなたと一緒に老いたくないの」。
翌日、サムは1人で帰国した。
|
|
|
モントルーの別荘では、ペナプール夫妻だけでなくイズリンも一緒だった。
フラン宛にサムから帰宅を促す手紙が届いたが、イズリンが言葉巧みに言い寄り、その手紙を焼き捨てた。
|
帰宅したサムは、フランのいない生活は勝手が違うため、苛立って友人夫妻や娘夫妻に当り
散らしていた。
フランから、もう数ケ月欧州に滞在するとの手紙が届き、意気消沈したが、意を決して再びパリへ向かうことにした。
|
|
|
フランがイズリンが一緒に暮らしていることを知ったサムは、白黒を着けるため、2人には内
緒で3人が一緒になる機会を作った。
フランの「サムと離婚をするつもりはない」との言葉を聞き、イズリンが身を引いた。
|
フランは、娘のエミリーが妊娠したことを知らされて喜んだが、自分が祖母になるとい
う
現実にあ然とした。
|
|
|
夫妻はパリを離れ、ウィーンへ移った。
孫も生まれたが、フランは帰国しようとせず、サムの友人のクルトとのダンスに夢中になってい
た。
ある日、クルトから愛を告白されたフランは唇を許してしまった。
|
夜中。目を覚ましたサムは、今では別になっている妻の寝室を訪れた。フランが今度はクルト
に惚れてしまったことを察したサムは、一緒に帰国するように促した
が、フランはクルトと結婚すると告白した。サムはついに離婚を決意した。
|
駅での別れの時。サムは今でも愛していることを告げたが、サムへの愛を失っているフ
ランがそれに応えることはなかった。
|
1人となったサムは、離婚が成立するまでの間、欧州中を観光していたが、ナポリで偶然に
コートライトと再会した。サムは彼女の家へ招かれ、しばらく滞在することを勧められた。
|
フランはクルトの母親と面会した。男爵夫人である母親は、フランが息子よりも年上であ
リ、もう子供を産めないだろうと言って2人の結婚を許可しなかった。クルトは、結婚にはあくまでも母親の許可が必要だと主張した。フランのクルトへの愛は
冷めてしまった。
|
サムは、コートライトとの生活をエンジョイし、若さを取り戻していった。新しい事業への夢
も
膨らみ、いつしかコートライトとの間に愛が芽生え始めていた。
|
サムとコートライトがお互いの気持ちを確かめ合った矢先に、フランから2日後に帰国すると
の電話が入った。サムは釈然としない気持ちではあるが、一緒に帰国することに同意した。帰国に反対するコートライトに対してサムは告げた。「20年
間連れ添っ
た夫としての義務がある」。
|
アメリカへ出港前の船中。反省の色が全く見えないフランと話をしているうちに、サムは、も
は
や自分もフランを愛していないことに気が付いた。そんなサムがとった行動は…。
|
|
◆ 主な出演者など
・アメリカ初のノーベル賞作家シンクレア・ルイス原作の舞台劇を映画化した作品で、サム役
のウォルター・ヒューストンは舞台でも主役を務めていた。
(右の写真)ルース・チャタートン、ウォルター・ヒューストン
|
|
|
・アカデミー賞の作品賞、監督賞、主演男優賞など7部門でノミネートされたが、受賞は室内
装
置賞のみに止まった。アカデミー賞の監督賞に歴代最多の12回もノミネートされたウィリア
ム・ワイラーが、初めてノミネートされた出世作。
(左の写真)撮影時。手前の3人、左から、
キャサリン・マーロウ(娘のエミリー役)、
ウォルター・ヒューストン、ワイラー監督
|
◆ ピック・アップ … ルース・チャタートン
|
Ruth
Chatterton 1892-1961 (アメリカ)
・1892年、ニューヨーク生れ。14歳の時からブロードウェイでコーラスガールとして活躍。
・『父と子』(1928年)で銀幕デビュー。『マダムX』(1929
年)、『サラアとその子』(1930年)で2度アカデミー賞主演女優賞にノミネートされ
た。
|
・『孔雀夫人』
の撮影時には、役作りでウィリアム・ワイラー監督と激しく衝突し、監督の顔を平手打ちしたこともあったとか。本作が最後のハリウッド映画で、ハンガリー映
画『A Royal Divorce 』(1938
年)に出演後、映画界から引退。 |
|
|
『サラアとその子』
(1930年)
フレドリック・
マーチと |
『孔雀夫人』(1936
年)
ウォルター・ヒューストン(左)、ポール・ルーカスと
|
・小説家、女性飛行士としても活躍。1948年、10年ぶりにTVドラマで女優とし
てカムバックした。
・1961年、68歳で他界。
|
|