20世紀・シネマ・パラダイス

startbar
Robert Taylor

ロバート・テイラー

Robert Taylor

   
1911-1969 (アメリカ)


starbar


     代表作
 
Camille
Waterloo_Bridge
椿姫
Camille
(1936年/アメリカ)
哀愁
Waterloo Bridge
(1940年/アメリカ)
Quo_Vadis-3
Ivanhoe
クォ・ヴァディス
Quo Vadis

(1951年/アメリカ)
黒騎士
Ivanhoe
(1952年/アメリカ)


    ハリウッド屈指の美男子スター

  ・1911年、ネブラスカ州生まれ。本名はSpangler Arlington Brugh。クラシック音楽を愛好し、高校時代は楽団でチェロを演奏していた。カリフォルニア州ポモナ大学に進学し、学生劇団の舞台に出演していたところをスカウトされ、1934年にMGM社と契約。当初の給料は僅か週給35ドルだった。
 
 ・Robert Taylor の芸名を授かり、ウィル・ロジャース主演のコメディ『Handy Andy(1934年)で銀幕デビュー。
 美男美女が集う華の都ハリウッドでも屈指の美男子。彼の甘いマスクはたちまち評判となり、多くの女優が共演を望んだと伝えられている。
 (右の写真)『椿姫』(1936年)出演時
Robert_Taylor-4

Magnificent_Obsession Small_Town_Girl The_Gorgeous_Hussy
『愛と光』(1935年)
アイリーン・ダン
『小都会の女』(1936年)
ジャネット・ゲイナー
『豪華一代娘』(1936年)
ジョーン・クロフォード

Camille-2  ・MGM社のトップ女優グレタ・ガルボの相手役を務めた『椿姫』(1936年/監督:ジョージ・キューカーで、人気スターとしての地位を確立。
 (左の写真)『椿姫』グレタ・ガルボと

Personal_Property This_Is_My_Affair
A_Yank_at_Oxford
『座り込み結婚』(1937年)
ジーン・ハーロー
This Is My Affair(1937年)
バーバラ・スタンウィック

『響け凱歌』(1938年)
モーリン・オサリヴァンと


 ・1939年、『愛怨二重奏』(1936年)、『This Is My Affair(1937年)で共演したバーバラ・スタンウィックと結婚。
 (右の写真)バーバラ・スタンウィックと
with_Barbara_Stanwyck

Taylor_&_Stanwyck Taylor_&_Stanwyck-2

Robert Taylor-5 Robert_Taylor-6
バーバラ・スタンウィック、クラーク・ゲーブル(右)と ロバート・テイラー夫妻とゲーリー・クーパー夫妻

Lucky Night
Lady_of_the_Tropics
Remember
Lucky Night』(1939年)
マーナ・ロイ

Lady of the Tropics』(1939年)
ヘディ・ラマー
Remember ?』(1939年)
グリア・ガースン


Waterloo Bridge-2  ・ヴィヴィアン・リーと共演した『哀愁』(1940年/監督:マーヴィン・ルロイは、恋愛映画の古典的名作として、今なお人気の高い作品。
 ロバート・テイラーの代表作であり、彼自身の1番のお気に入りの作品。ちなみに、2番目のお気に入りは『椿姫』だったとのこと。
 ヴィヴィアン・リーとは、『響け凱歌』(1938年)以来の再共演だった。
 (左の写真)『哀愁』 ヴィヴィアン・リーと

Escape When_Ladies_Meet Undercurrent
Escape 』(1940年)
ノーマ・シアラー
When Ladies Meet』(1941年)
ジョーン・クロフォード
Undercurrent』(1946年)
キャサリン・ヘップバーン


 ・第2次世界大戦中は海軍航空隊に入隊し、飛行教官役で兵士教育用の映画にも出演。
 戦後、ハリウッドに‟赤狩り”の嵐が吹き荒れる中、下院非米活動委員会の聴聞会に召喚され、反共産主義者として証言をした。
 (右の写真)下院非米活動委員会でのロバート・テイラー
Robert Taylor-7

 ・スペクタクル史劇『クォ・ヴァデイス』(1951年/監督:マーヴィン・ルロイ)が大ヒットし、以後、アクション史劇に数多く出演した。
Quo_Vadis-2
Ivanhoe-2
Knights_of_the_Round_Table
『クォ・ヴァデイス』
デボラ・カー

『黒騎士』(1952年)
エリザベス・テイラー

『円卓の騎士』(1953年)
エヴァ・ガードナー


Ursula Thiess  ・1951年、バーバラ・スタンウィックと離婚。1954年にドイツ出身の女優ウルスラ・ティースと再婚。
 彼女は家庭に入り、ロバート・テイラーが亡くなるまで連れ添った。前夫との間に2人の子供がおり、再婚後も2人の子供を授かった。
 (左の写真)2番目の妻ウルスラ・ティースと

 ・1958年、デビュー以来契約を交わしていたMGM社と決別。同一の映画会社と24年間契約を継続したことは、ハリウッド・スターの最長記録だという。
 MGM社は、自社の看板スターの1人として長年活躍した彼の功績を称え、建物の1つをロバート・テイラー・ビルとしていたが、1989年にジョージ・キューカー・ビルに改称。ロバート・テイラーが下院非米活動委員会で仲間を名指したことが理由とされている。
  (右の写真)若い頃、ルイス・B・メイヤーと 
Louis B. Mayer

The Night Walker-2  ・MGM社を離れてからはTVでも活躍。主役を務めたTVドラマ「The Detectives」は、1959年から3年間続いた人気番組だった。
 劇場用映画『ナイト・ウォーカー 夜歩く者』(1964年)では、前妻のバーバラ・スタンウィックと共演もしたが、晩年はヒット作に恵まれなかった。
 (左の写真)『ナイト・ウォーカー 夜歩く者』 バーバラ・スタンウィックと

  ・1969年57歳で他界。

Robert Taylor-2
Robert Taylor-3


HOME