20世紀・シネマ・パラダイス
アイリーン・ダン
Irene Dunne
1898-1990 (アメリカ)
◆
代表作
シマロン
Cimarron
(1931年/アメリカ)
ロバータ
Roberta
(1935年/アメリカ)
ショウボート
Show Boat
(1936年/アメリカ)
新婚道中記
The Awful Truth
(1937年/アメリカ)
邂逅
Love Affair
(1939年/アメリカ)
ママの想い出
I Remember Mama
(1948年/アメリカ)
◆
1930〜40年代に活躍した無冠の名女優
・
1898年
、ケンタッキー州生まれ。11歳の時に、音楽教師でミシシッピ川蒸気船のコン サートピアニストでもあった父親が亡くなり、母親の故郷インディアナ州へ移住した。
高校卒業後、奨学金を得てシカゴ音楽大学 へ入学。卒業後、オペラ歌手のオーディションを受けたが不合格となり、ミュージカル劇団のコーラス・ガールとなった。
・1922年、ブロードウェイ・デビュー。1928年に歯科医と結婚したが、女優を続け、1929年にRKO社と契約。
・ミュージカル・コメディ『女護ヶ島上陸』
(1930年)
の主役で銀幕デビュー。
(右の写真)『女護ヶ島上陸』
・デビュー2作目で、大作西部劇『シマロン』
(1931年)
のヒロインに抜擢され、アカデミー賞主演女優賞にノミネートもされた。『ダンス・ウィズ・ウルブズ』
(1990年)
が登場するまで、アカデミー賞作品賞を獲得した唯一の西部劇で、また、大ヒットしたものの、RKO社史上最高の製作費
(当時)
を回収出来ず、オスカー受賞作品で唯一の赤字作品。
(左の写真)『シマロン』 リチャード・デックスと
・『ロバータ』
(1935年)
で、
フレッド・アステア
&
ジンジャー・ロジャース
の人気コンビと共演。
彼女が歌った「
煙が目にしみる
」は、多くの歌手にカヴァーされ、中でも、ザ・プラターズのカヴァー曲は大ヒットした。
(右の写真)『ロバータ』
フレッド・アステア(左)、ジンジャー・ロジャース(中央)と
『愛と光』(1935年
ロバート・テイラー
と
『ショウボート』(1936年) アラン・ジョーンズと
・コメディ『花嫁凱旋』
(1936年)
で再びアカデミー賞主演女優賞にノミネートされ、『新婚道中記』
(1937年/監督:
レオ・マッケリー
)
で、2年連続3度目のアカデミー賞主演女優賞候補に。
『花嫁凱旋』
メルビン・ダグラス
と
『新婚道中記』
ケーリー・グラント
と
・『邂逅』
(1939年/監督:レオ・マッケリー)
で、4度目のアカデミー賞主演女優賞候補に。
『邂逅』
シャルル・ボワイエ
と
『愛のアルバム』(1941年) ケーリー・グラントと
・『オールウェイズ』
(1989年/監督:スティーブン・スピルバーグ)
の元作品『ジョーという名の男 』
(1943年/監督:
ヴィクター・フレミング
)
、大ヒット・ミュージカル『王様と私』の元作品『アンナとシャム王』
(1946年)
等の人気作品に出演。
『ジョーという名の男 』
スペンサー・トレイシー
と
『アンナとシャム王』
レックス・ハリソン
と
・『ママの想い出』
(1948年/監督:
ジョージ・スティーヴンス
)
で、5度目のアカデミー賞主演女優賞候補となるも、オスカー像には手が届かなかった。
(左の写真)『ママの想い出』 フィリップ・ドーンと
・『
It Grows on Trees
』
(1952年)
を最後に銀幕からは引退。1962年までTVで活躍した。また、1955年に、女性では初めてテクニカラー社の取締役に選出された。
・1955年、ディズニーランド開園の式典で、「蒸気船マーク・トウェイン号」の進水式に登場。シャンパンのボトルを叩きつける役を担った。蒸気船のコン サートピアニストでもあった父親の娘として生れ、大ヒットした映画『ショウボート』でヒロインを務めた彼女は、まさに適役だった。
(右の写真)「蒸気船マーク・トウェイン号」進水式で
TVの人気司会者アート・リンクレター(左)と
・私生活では、敬虔なカトリック教徒で、晩年まで慈善事業に尽力もしていた。
・
1990年
、
91歳
で他界。
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