20世紀・シネマ・パラダ
イス


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マーナ・ロ
イ
Myrna Loy
1905-1993 (アメリカ)
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◆ 代表作

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影なき男
The Thin Man
(1934年/アメリカ)
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巨星ジーグフェルド
The Great Zeigfeld
(1936年/アメリカ)
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我等の生涯の最良の年
The Best Years of Our
Lives
(1946年/アメリカ)
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◆ ヴァンプ(妖婦)役から賢夫人役へ見事に転身
・1905年、モンタナ州生れ。7歳の時に母親の病後の療養でカリフォル
ニアへ。母親が同地を気に入り、土地を購入したが、療養後はモンタナへ戻った。カリフォルニアの土地は、後にチャップリンがスタジオを建てる為に購入したという。
13歳の時に、牧場主で州議会議員でもあった父親が亡くなり、家族でカリフォルニアへ移住。マーナはハイスクール卒業後、子供の頃から習っていたダンス
の教師として働き始めた。
* 子供の時に、同じモンタナ州生れのゲーリー・クーパーと
遊んだことがあったが、映画での共演はなかった。 |
・著名な写真家のスタジオに貼ってあった彼女の写真が、ルドルフ・ヴァレンチノの目に留まり、『コブラ』 (1925年)
のスクリーン・テストを受けたが不合格だった。しかし、当時のヴァレンチノ夫人ナターシャ・ランボヴァの推薦で、『美人帝国』 (1925年) のショーガール役 (エキストラ)
で銀幕デビューをした。
* 『美人帝国』 … ジョーン・クロフォードの
デビュー作でもある
(右の写真) 『太平洋横断』 (1926年) 出演時。
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・ナターシャ・ランボヴァも出演した 『What Price Beauty ?
』 (1925年) 等にもエキストラで出演。
ワーナー・ブラザーズ社と契約を交わし、サイレント期からトーキー初期にかけて数多くの作品に出演したが、その大半がヴァンプ(妖婦)役であった。
(左の写真) 『成吉斯汗の仮面』 (1932年) 出演時。
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・1933年、MGM社に移籍。ウィリアム・パウエル扮する探偵の妻を演じた 『影なき男』 (1934年) が大ヒット。同作はシリーズ化され、『夕陽特急』
(1936年)、『第三の影』 (1939年)、『影なき男の影』 (1941年)、『風車の秘密』 (1945年)、『影なき男の息
子』 (1947年)と合計6作が製作された。ウィリアム・パウエルとは合計14作で共演。ハリウッド史
に残る人気コンビとなった。
(右の写真) 『影なき男』 ウィリアム・パウエルと
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・MGM社の看板女優の1人として活躍。ドル箱 (マネー・メイキング)
スター・ベストテンにも、1937年(10位)、1938年(7位)と、2回ランクインした。
・第二次世界大戦中は赤十字での活動に奔走もした。 |
・1950年代後半からは舞台やTVでも活躍。
1973年には、68歳で初めてブロードウェイの舞台にも立った。
(右の写真) TVドラマ 「刑事コロンボ」 (1972年) 出演時。
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・劇場用映画への出演は、アリ・マッグロー主演の 『Just Tell Me
What You Want 』 (1980年/監督:シドニー・ルメット) が最後となっ
た。
(左の写真) 『エアポート’75』 (1974年) 出演時。
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・ヘンリー・フォンダの
遺作となったTVドラマ 『Summer Solstice 』 (1981年) で
フォンダの相手役を務め、翌82年にゲスト出演したTVドラマ 『Love, Sidney 』 が、女優としての最後の仕事となった。
(右の写真) TVドラマ 『Summer Solstice 』 ヘンリー・フォンダと
・1987年、自伝を出版。 |

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・1990年、故郷のモンタナ州ヘレナに 「マーナ・ロイ劇場」 がオープン。
・1991年、アカデミー賞名誉賞を受賞。演技賞部門でノミネートされたことがないのに同賞を受賞した最初の女優となった。授賞式にはニューヨークの自
宅からのTV中継で登場。「とても幸福です。ありがとう 」 と一言。これがメディアに見せた最後の姿となった。
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アカデミー賞。プレゼンターはアンジェリカ・ヒューストン。同じく名誉賞を受賞
したソフィア・ローレンもアップで映されている。
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