シャーリー・マクレーン ー 多様なジャンルで活躍し大女優に ー 20世紀・シネマ・パラダイス
20世紀・シネマ・パラダイス
シャーリー・マクレーン
Shirley MacLaine
1934 - (アメリカ)
◆
代表作
アパートの鍵貸します
The Apartment
(1960年/アメリカ)
あなただけ今晩は
Irma la Douce
(1963年/アメリカ)
愛と喝采の日々
The Turning Point
(1977年/アメリカ)
チャンス
Being There
(1979年/アメリカ)
愛と追憶の日々
Terms of Endearment
(1983年/アメリカ)
マグノリアの花たち
Steel Magnolias
(1989年/アメリカ)
◆
多様なジャンルで活躍し大女優に
・
1934年
、バージニア州生れ。本名は
Shirley MacLean Beaty
。当時絶大な人気を誇っていた子役の
シャーリー・テンプル
にちなんで名付けられた。3年後に弟のウォーレン・ベイティが生まれている。
3歳の時からクラシック・バレエを習っていたが、やがて演劇やミュージカルに興味を抱くようになった。
(右の写真) 子供の頃。弟のウォーレン・ベイティと
・高校卒業後、コーラス・ガールとしてブロードウェイ・デビュー。2作目の 「
The Pajama Game
」
(1954年)
公演中、準主役のキャロル・ヘイニー
(本作でトニー賞のミュージカル助演女優賞を受賞)
が怪我で降板した時に代役を務め、その舞台を観ていた映画製作者の
ハル・B・ウォリス
にスカウトされてハリウッドへ。
*
「
The Pajama Game
」 …
トニー賞のミュージカル作品賞を受賞。
ドリス・デイ
主演で映画化 『パジャマゲーム』 (1957年) もされた。
・
アルフレッド・ヒッチコック
監督の 『ハリーの災難』
(1955年)
で銀幕デビュー。人気コンビ、
ディーン・マーティン&ジェリー・ルイス
主演の 『画家とモデル』
(1955年)
、オールスター・キャストの超大作 『八十日間世界一周』
(1956年)
等に出演。映画女優として恵まれたスタートをきった。
(左の写真) 『ハリーの災難』 ジョン・フォーサイスと
『画家とモデル』 (1955年) 左から、シャーリー・マクレーン、
ジェリー・ルイス、ドロシー・マローン、ディーン・マーティン
『八十日間世界一周』 (1956年)
デヴィッド・ニーヴン
と
・『走り来る人々』
(1958年/監督:
ヴィンセント・ミネリ
)
でアカデミー賞主演女優賞にノミネート。『恋の売込み作戦』
(1959年)
でベルリン国際映画祭の女優賞
(銀熊賞)
、英アカデミー賞の主演女優賞
(国外)
を受賞。
人気・実力ともトップスターの仲間入りを果たした。
(右の写真) 『走り来る人々』
フランク・シナトラ
(左)、ディーン・マーティンと
『恋の売込み作戦』
(1959年)
デヴィッド・ニーヴンと
『カンカン』 (1960年)
フランク・シナトラ(左)、
モーリス・シュヴァリエ
と
・
『アパートの鍵貸します』
(1960年/監督:
ビリー・ワイルダー
)
で2度目のアカデミー賞主演女優賞候補に。
最有力候補との評判が立ったが、『バターフィールド8』 の
エリザベス・テイラー
が急性気管支炎で倒れると状況が一変。同情票を集めた彼女がオスカーを獲得し、シャーリーは涙をのんだ。
ヴェネツィア国際映画祭の女優賞、ゴールデン・グローブ賞の主演女優賞
(ミュージカル・コメディ部門)
、英アカデミー賞の主演女優賞
(国外)
を受賞。
(左の写真) 『アパートの鍵貸します』
ジャック・レモン
と
『噂の二人』 (1961年/監督:
ウィリアム・ワイラー
)
オードリー・ヘップバーン
(左)と
『青い目の蝶々さん』 (1962年/監督:ジャック・カーディフ)
・『アパートの鍵貸します』 のビリー・ワイルダー監督、ジャック・レモンと再び組んだ 『あなただけ今晩は』
(1963年)
でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされるも3度目の正直とはならず。ゴールデン・グローブ賞の主演女優賞
(ミュージカル・コメディ部門)
は2度目の受賞となった。
(右の写真) 『あなただけ今晩は』 ジャック・レモンと
『何という生き方!』 (1964年)
ジーン・ケリー
と
『黄色いロールス・ロイス』 (1964年)
アラン・ドロン
と
・日本未公開の 『
Desperate Characters
』
(1971年)
で2度目のベルリン国際映画祭の女優賞
(銀熊賞)
を受賞。
『女と女と女たち』 (1967年
監督:
ヴィットリオ・デ・シーカ
)
1人で7役をこなした
『
白昼の死闘』 (1970年/監督:ドン・シーゲル)
クリント・イーストウッドと
・1976年、ブロードウェイで初めてのコンサートを開催。
・『愛と喝采の日々』
(1977年/監督:ハーバート・ロス)
で4度目のアカデミー賞主演女優賞候補となるも、またしても受賞ならず。
(左の写真) 『愛と喝采の日々』
アン・バンクロフト
(左)と
『チャンス』 (1979年/監督:ハル・アシュビー)
ピーター・セラーズ
と
『LOVEシーズン』 (1980年) アンソニー・ホプキンスと
・『愛と追憶の日々』
(1983年/監督:ジェームズ・L・ブルックス)
で遂にアカデミー賞主演女優賞を受賞。
元々は、
ジェニファー・ジョーンズ
が 『タワーリング・インフェルノ』
(1974年)
以来の復帰作として映画化權を取得した作品だったが、パラマウント社が彼女の長いブランクと年齢
(当時64歳)
により無理があると判断し、シャーリーが起用された。続編 『夕べの星』
(1996年)
も製作された。
アカデミー賞授賞式のスピーチは、「
もらって当然だわ
」 の言葉で締めくくった。
(右の写真) 『愛と追憶の日々』 デブラ・ウィンガー(左)と
アカデミー賞授賞式。プレゼンターは
ロック・ハドソン
と ライザ・ミネリ
・『マダム・スザーツカ』
(1988年/監督:ジョン・シュレシンジャー)
でヴェネツィア国際映画祭の女優賞、ゴールデン・グローブ賞の主演女優賞
(ドラマ部門)
を受賞。
『マダム・スザーツカ』 (1988年)
ナヴィーン・チャウドリーと
『マグノリアの花たち』 (1989年/監督:ハーバート・ロス)
サリー・フィールド(右)と
・1990年、日本で初公演。『ぼくが天使になった日』
(2000年)
では監督業にも挑戦した。
『ハリウッドにくちづけ』 (1990年/監督:マイク・ニコルズ)
メリル・ストリープ(左)と
『ぼくが天使になった日』
(2000年)
アレックス・D・リンツと
・押しも押されぬ大女優として、21世紀に入ってからも第一線で大活躍。
『奥さまは魔女』 (2005年)
ニコール・キッドマン(右)と
『あの日の指輪を待つきみへ』
(2007年/監督:
リチャード・アッテンボロー
)
クリストファー・プラマーと
・女優業だけでなく著述家としても活躍。
輪廻転生、チャネリング、前世、体外離脱などについて著述した 「アウト・オン・ア・リム」
(1983年出版)
は世界中でベストセラーになった。
その後もスピリチュアルの世界についての著作等を数冊出版している。
・私生活では、銀幕デビュー前の1954年に実業家のスティーブ・パーカーと結婚。彼は仕事の関係で1958年頃から日本に在住。長い別居生活を経て、1982年に離婚した。
パーカーは日本人女性と再婚し、2001年にハワイで亡くなった。『青い目の蝶々さん』
(1962年)
の製作者でもあった。
(右の写真) 夫だったスティーブ・パーカーと
・1956年、1人娘
Stephanie Sachiko Parker
を授かった。ミドルネームの ‟幸子” は映画評論家の ‟小森のおばちゃま”こと小森和子が命名した。
1985年にサチ・パーカーの芸名でデビューし、日本映画 『西の魔女が死んだ』
(2008年)
等に出演。
(左の写真) 娘のサチ・パーカーと
・1998年、ゴールデン・グローブ賞のセシル・B・デミル賞を受賞。
・1999年、ベルリン国際映画祭の名誉金熊賞を受賞。
・2012年、AFI (アメリカ映画協会) の生涯功労賞を受賞。授賞式のホストはメリル・ストリープが務めた。
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