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映画界 事件&スキャンダルの歴史

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1959年
 エリザベス・テイラーの略奪婚
 
5月12日。エリザベス・テイラー (以下、リズと称す) が4度目の結婚をした。相手は、MGM社の後輩で友人でもあった
デビー・レイノルズの夫だったエディ・フィッシャー。いわゆる略奪婚だった。

 2年前の1957年2月。リズの3度目の結婚式で、花婿花嫁の付添人を務めたのがエディ・フィッシャーとデビー・レイノルズ夫妻。エディ・フィッシャーは花婿のマイク・トッドの親友だった。 
 (右の写真) 左から、エディ・フィッシャー、デビー・レイノルズ、
  エリザベス・テイラー、マイク・トッド
Elizabeth_Taylor_1957

Elizabeth_Taylor_Scandal
 1958年3月、マイク・トッドが飛行機事故で他界。エディ・フィッシャーが失意のリズを慰めている間に愛が芽生えたと言われている。エディが友情以上の感情、俗に言えば、下心を持っていたのは言わずもがななこと。
 (左の写真) 左から、リズ、エディ・フィッシャー、デビー・レイノルズ

 リズとエディの不倫が発覚すると一大スキャンダルとなった。1957年から続いていたTVの人気番組 「エディ・フィッシャー・ショー」 は、1959年3月を最後に打ち切りを余儀なくされた。

 世間からバッシングを浴びながらも結婚した2人は、『バターフィールド8』 (1960年) で共演もした。しかし、リズが 『クレオパトラ』 (1963年) の撮影中に共演者のリチャード・バートンと恋に落ち、リズとエディは1964年3月に離婚した。
 (右の写真) 結婚式でのエディ・フィッシャーとエリザベス・テイラー
Elizabeth_Taylor_1958

                               リズとエディ・フィッシャー
Suddenly,_Last_Summer_1959
BUtterfield_8_1960
『去年の夏、突然に』 (1958) 撮影時
『バターフィールド8』

Eddie_Fisher_&_Debbie_Reynolds
 エディ・フィッシャー … 1950年代に高い人気を誇った歌手。1955年にデビー・レイノルズと結婚し、2児を授かった。長女は後に 『スター・ウォーズ』 (1977年) でレイア姫を演じたキャリー・フィッシャー。
 リズとの離婚後、3度 (生涯で合計5度) 結婚した。
 (左の写真) エディ・フィッシャー と デビー・レイノルズ

 キャリー・フィッシャーが著書の中で、父親とリズの関係について記している。
 「(父は) 最初はハンカチで彼女の目を乾かし、次に花で慰め、最終的にはペニスで慰めました 」。
 (右の写真) キャリー・フィッシャー と エディ・フィッシャー
Carrie_Fisher

1962年
 マリリン・モンロー・ノー・リターン
 
8月4日、マリリン・モンローがロスの自宅で死亡した。享年36歳。
 検死の結果、死因はドラッグの大量摂取で、「おそらくは自殺」 との見解が公表された。

Marilyn-Monroe
 彼女の死をめぐって、陰謀(他殺)説、事故説等、様々な憶測が飛び交い続けた。
 1982年、ロスの検察が再調査に着手したが、犯罪を裏付ける証拠は見つからなかった。
 事故説についてはどうか。モンローが摂取したドラッグの量は、誤飲とは思えないほどの量だった。また、彼女は情緒不安定で精神科の治療も受けており、精神科医の所見も交え、事故説は除外されていた。
 ちなみに、彼女の母親も精神病を患っていた。

 モンローは亡くなる数年前から、扱いづらい女優、トラブル・メーカーとの評判が立っていた。撮影時間になっても楽屋に引きこもったまま出て来ない…、台詞を覚えていない (覚えられない)… 等々。おそらく、ドラッグの副作用による神経症が現れていたのだろう。

 モンローと同じようにドラッグの副作用に苦しみ、ドラッグで亡くなったジュディ・ガーランドの場合は事故死と見なされている。

 自殺か事故か? 真実は 「神のみぞ知る」 ことだが、ドラッグの常用がモンローの肉体と精神を蝕み、死期を早めたことだけは間違いないようである。
Marilyn-Monroe-3


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