20世紀・シネマ・パラダ
イス
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戦場よさらば
A Farewell to Arms
監督:フランク・ボーゼージ
(1932年/アメリカ)
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◆ 文豪ヘミ
ングウェイの「武器よさらば」映画化作品
第1次世界大戦中のチロル地方。イタリア軍の救護班員ヘンリー中尉(アメリカ人)が、戦闘で負傷した兵士
たちを町の病院へ搬送して来た。 |
その病院にはヘンリーの親友の軍医リナルディ
少佐(イタリア人)が勤務していた。 |
空襲に遭い、ヘンリーは防空壕へ避
難した。そこへ、1人の女性が駆け込んで来た。やがて空襲が止み、2人はそのまま別れた。 |
翌日。ヘンリーはパーティーに誘われ、リナルディから看護婦のキャサリン嬢(イギリス人)とファーガソン嬢を紹介され
た。キャサリンは前夜の防空壕の中の女性だった。ヘンリーはキャサリンに一目惚れした。 |
キャサリンはリナルディのお目当ての女性だったが、ヘンリーはリナルディとファーガソンを
ほったらかして、キャサリンを散歩に誘った。 |
キャサリンには婚約者がいたが戦死したとの事だった。
ヘンリーはキャサリンの唇を奪ったが、「軽く思われたくない」
と平手打ちを喰らった。だが、キャサリンもヘンリーに恋をして、2度目のキスは受けとめた。 |
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ヘンリーは再び前線へ赴くことになった。一度は出発したが、トラックを町へ引き返らせ、病
院のキャサリンを訪ねた。そして、自分の思いが真剣であることを告げた。キャサリンは自分のネックレスをお守りとしてヘンリーに贈った。
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ヘンリーとキャサリンの仲に嫉妬したリナルディが院長に告げ口
し、キャサリンはミラノの病院へ配置換えとなってしまった。
ヘンリーが前線で負傷した。手術に駆けつけたリナルディは自分の告げ口を反省し、ヘンリーをミラノの病院へ入院させる約束をした。
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ミラノの病院で再会したヘンリーとキャサリンは愛を確かめ合った。ヘンリーは見舞い来た顔
馴染みの神父に結婚する意思を告げ、神父は2人の為に祝福の祈りを捧げた。
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ヘンリーは順調に回復し、2人は休暇を満喫していたが、彼の病室から酒瓶が発見され、休暇
は取り上げとなった。ヘンリーは再び前線へ赴くことになり、別れを惜しむキャサリンは泣き崩れた。
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キャサリンはヘンリーの子を身籠っていたが、心配を掛けたくない
ので内緒にしていた。
ヘンリーが出征した後、キャサリンはファーガソンに見送られながら、1人でスイスへ旅立った。
キャサリンはスイスの安宿から毎晩のようにヘンリーに手紙を書いた。
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ヘンリーはリナルディからの遊びの誘いを断り、ミラノのキャサリン宛に手紙
を書いていた。面白くないリナルディは、ヘンリー宛に届いたキャサリンの手紙を検閲し、全て送り返してしまっていた。
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キャサリンからの便りが届かず、自分が出した手紙は返送されてく
る。不安になったヘンリーは任務を放棄してミラノへ戻ることを決意した。任務放棄の脱走は重罪だ。打ち明けられた神父はヘンリーの身を案じたが止めること
は出来なかった。ヘンリーは途中で憲兵に捕まってしまったが、隙を見て川へ飛び込み逃亡した。
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ミラノに着いたヘンリーは、病院に侵入してファーガソンをつかまえた。しかし、ヘンリーと
キャサリンの仲を妬んでいるファーガソンは、キャサリンの居場所を教えず、彼女が妊娠したことだけを伝えた。
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ヘンリーは新聞に尋ね人の広告を出し、それを見たリナルディが会
いに来た。
初めは軍へ戻るように説いていたリナルディだが、ヘンリーの一途な思いを知り、キャサリンがスイスのブリッサーゴにいることを打ち明けた。
ヘンリーは国境の湖をボートで渡り、スイスを目指した。
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その頃、キャサリンは、これまでに出した手紙が全て返送されて来
たのを見て、ショックのあまりその場で倒れてしまった。
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ヘンリーが病院へ着いたのは、キャサリンの帝王切開の手術が始ま
る直前だった…。
…手術が終わった。死産だった。そして、キャサリンは意識不明のまま。ヘンリーは必死でキャサリンの無事を祈るが…。
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『戦場よさらば』 予告編
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◆ 主な出演者など
・ノーベル賞作家アーネスト・ヘミングウェイが、自身の従軍記者時代の体験をもとに執筆し
た大ベストセラー小説「武器よさらば」(1929年出版)の映画化作品。
日本では、映画公開当時に軍部の意向により、「武器よさらば」のタイトルが使用出来ず、「戦場よさらば」という題名になった。
(右の写真) 「武器よさらば」の原作本を手にするゲーリー・クーパー |
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・ヘミングウェイとゲーリー・クーパーは本作製作後に知り合い、大の親友となった。
ヘミングウェイは、自作の「誰が為に鐘は鳴る」の映画化が決
まった際に、クーパーを主役にすることを条件の1つにしたと言われている。
(左の写真) ゲーリー・クーパー(左)とアーネスト・ヘミングウェイ
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・ヘレン・ヘイズは後年、「もし、クープに愛を告白されたら、私は
夫を捨てることさえいとわなかった」と告白している。
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・アカデミー賞では、作品賞、撮影賞、室内装置賞、録音賞の4部
門でノミネートされ、撮影賞と録音賞を受賞した。 |
◆ ピック・アップ … ヘレン・ヘイズ
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Helen Hayes
1900-1993 (アメリカ)
・「ブロードウェイのファースト・レディ 」と称されたアメリカの国民的大女優。
・5歳の時から舞台に立ち、9歳の時にブロードウェイ・デビュー。以後、ブロードウェイの歴史を語る上で、欠かすことの出来ない大女優となっていった。
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・1928年、劇作家のチャールズ・マッカーサーと結婚。夫が脚本を書いた
『マデロンの悲劇』(1931年)で本格的に銀幕デビュー。いきなりアカデミー賞主演女優賞を
受賞した。 |
・1930年代半ばからは舞台活動に専念。1950年代から再び映画にも出演するようにな
り、
『大空港』(1970年)でアカデミー賞助演女優賞を受賞した。 |
・アカデミー賞を2度受賞した他、トニー賞を3度、エミー賞、グラミー賞も受賞した。尚、
第1回
トニー賞(1947年)の主演女優賞はイングリッド・バーグマンとのダブル受賞であり、2人は映画『追
想』で共演もした。
… ヘレン・ヘイズは「ハッピー・バースディ」、イングリッド・バーグマンは
「ロレーヌのジャンヌ」で受賞。
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最後の仕事は1985年に出演したTVドラマ。女優としてのキャリアは80年に及んだ。舞台が中心で映画への出演が少ないため、日本ではあまり有名ではな
いが、アメリカでは、キャサリン・ヘップバーンやベティ・デイビス等と共に、最も尊敬されていた女優の1人であり、ブ
ロードウェイには彼女の名前を冠した劇場がある。
・1986年、大統領自由勲章を授与された。
(右の写真) アカデミー賞主演女優賞受賞時
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