20世紀・シネマ・パラダ
イス
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誰が為に鐘は鳴る
For Whom the Bell Tolls
監督:サム・ウッド
(1943年/アメリカ)
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◆ クーパー&バーグンの共演で大ヒットした文芸超大作
1937年5月。共和国派(人民戦線政府)と
ファシスト派(フランコ将軍率いる反乱軍)の内戦下のスペイン。
共和国派に身を投じたアメリカ人のロバート・
ジョーダンは、敵の軍用列車を爆破したが、退散する途中で同志が撃たれ身動きが取れなくなった。
「ロベルト(ロバートのスペイン式の呼び方)、約束だ」
生け捕りよりは死を。ロベルトは同志を撃ち殺した。 |
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市街へ戻ったロベルトは上官のゴルツ将軍に次の任務を命じられた。
共和国派は3日後の夜明けに反攻の奇襲作戦に打って出るが、その攻撃開始(=爆撃音)と同時に、敵軍の前線への唯一の補給路である鉄橋を爆破せよ、との
命令であった。 |
翌朝。ロベルトは案内役の老人アンセルモに
引率されて山を登った。渓谷にかかる爆破目標の鉄橋を視察した後、その地域のゲリラ隊のアジトへ向かい、リーダーのパブロと
顔を合わせた。 |
アジトの巌窟に着いた。昼食の時、ロベルトはマ
リアと出会った。お互いに相手のことが気になり、目を離すことが出来ない。マリアはファシスト派に捕らえられていたところをパブロ隊に救出
され
たとの事だ。「3ヶ月前のことよ」、丸刈りにされていたという頭髪を引っ張りながらマリアが応えた。 |
マリアと入れ替わりで、パブロの女ピラーが
顔を出した。ジプシーの血が混ざっているピラーは、ロベルトの手相を見て顔を曇らせたが、「何でもないさ」とシラを切った。 |
ロベルトとアンセルモが鉄橋の下見から戻ってみると、アジトの中は重苦しい空気に包まれていた。パブロが鉄橋の爆破には反対だと口を切った。ロベルトはピ
ラーに意見を求めた。彼女は共和国のために鉄橋を爆破すると答え、他の同志もピラーに賛同した。弱腰のパブロに代って、ピラーがゲリラ隊のリーダーになっ
た。 |
ロベルトが外で寝支度をしていると人影が近づいてきた。マリアがパブロは危険だと注意しに
来たの
だ。パブロが外へ出たのに気づいたロベルトはマリアをシェラフの中に隠した。次に、ジプシーのラファエルがやって来て、パブロを殺せとそそのかした。2
人が様子を見に行くと、パブロは馬を相手に愚痴をこぼしていた。
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2日目の朝。ロベルトは戦闘機の爆音で目を覚ました。ファシスト派を支援するドイツとイタ
リアの戦闘機だ。これまでになかったことだという。更に、町から戻って来
たフェルナンドによると、共和国派が鉄橋を爆破することなどが噂になっているという。作戦が敵に漏れたのか?。ロベルトに不安がよぎった。
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鉄橋を爆破した後、退散するのに馬の数が足りない。ロベルトは別のゲリラ隊のリーダーであ
るエル・ソルドを訪ねた。エル・ソルドは敵軍から馬を盗んでくることを請け合ってくれた。
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帰り道。ピラーは、恋をしているロベルトとマリアを気遣い、足早に2人の前から姿を消し
た。ロベルトは明日をも知れぬ身の上であり、マリアとの関係が深くなることをためらっていた。
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ロベルトがマリアに身寄りがいないか尋ねると、彼女は共和党員で町長で
あった父と母が目の前でファシストに銃殺されたことを話した。その先を話そうとするマリアの口をロベルトの手が塞いだ…。
…マリア「キスしたいけれど…。鼻は邪魔に
ならないの?」。
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その日の夜、季節外れの雪が降りだした。雪が積もれば馬の足跡が残り、ゲリラ隊にとって良
からぬ状況だ。パブロが何かと絡んできて、怒ったアグスティンがパブロの顔を殴った。
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パブロが外へ出た後、アジトの中ではパブロを始末せよとの意見が多数を占めた。ピラーが、
パブロがかつては勇敢な闘士だったことを語っていると、パブロが戻って来た。パブロは気持ちを入れ替え、鉄橋爆破に協力すると申し出た。退散の道案内がで
きる
のはパブロだけだ。ロベルトはパブロを生かしておくことにした。
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3日目の朝。ロベルトは近づいて来た敵の騎兵を撃ち殺した。恐らく斥候だ。馬の足跡を辿っ
てくるだろう敵兵を欺くため、パブロが馬に乗って走り去り、ロベルトたちは峠で戦闘準備に着いた。
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案の定、敵兵が続々と姿を現した。窮地の時、エル・ソルド隊が敵を遠くの丘の上へおびき寄
せてくれた。援護に行けば全滅してしまうことが明らかだ。ロベルト達は見守るしかなかった。
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エル・ソルドは、手柄をはやる敵の大尉を騙して撃ち殺すなど善戦した
が、敵軍の戦闘機に空爆され全滅した。
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パブロが一足先にアジトに戻った。途中で、首を切られたエル・ソ
ルドの死体を見て臆病風
に吹かれたパブロは、鉄橋爆破に使用するダイナマイトの起爆装置を焚き火で燃やしてしまった。
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鉄橋を見張っていたアンセルモが戻って来た。兵士を満載したトラックや戦車などが続々と前
線へ移動しているとの事だ。味方の奇襲作戦が漏れたこと
は間違いない。ロベルトは、作戦を中止すべし、との意見書を書き、アンドレスが伝令として出発した。
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夜明けまで5〜6時間。マリアは両親が射殺された後に受けた恥辱を話して聞かせた。マリア
「でも、キスしたのは貴方が初めてよ…」。ロベルト 「誰も君に触れていないよ…」。
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伝令のアンドレスは各検問所で足止めをくらい、ゴルツ将軍の所ま
で辿り着けないでいた。
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マリア 「貴方に何かあれば、貴方を殺して私も死ぬわ…。私に何かあれば、私を殺
すと約束して」。ロベルト 「約束するよ」。
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ピラーが灰になった起爆装置を発見した。ロベルトが手榴弾で代替装置を作っている所へ、逃
げ出していたパブロが他所から3人連れて戻って来た。「馬も3頭増えた。あいつらには退散の馬は必要ない…」。パブロは不敵な笑みを浮かべ
た。
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ロベルトたちは作戦の配置につき、やがて夜が明けた。ロベルトの意見書の内容が漸くゴルツ
将軍に伝わったが、一足遅かった。共和国派の戦闘機は既に前線へ向かって飛び出していた。
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爆撃音と同時にロベルトたちは行動を開始した。ロベルトとアンセ
ルモは鉄橋のこちら側の歩
哨を倒し、ダイナマイトの設置に取り掛かった。
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ピラー組は鉄橋下の兵舎小屋を襲撃し、パブロ組は鉄橋の向こう側の歩哨を倒した後、前線へ
向かう敵軍の後続
隊を妨害した。
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馬番のマリアはロベルトの無事を神に祈っていた。
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起爆装置が無い分、ダイナマイトの設置に
手間取るロベルト。敵の戦車が鉄橋のすぐ手前まで迫っていた…。
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『誰が為に鐘は鳴る』 予告編
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◆ 主な出演者など
・闘牛に魅了され、スペインを愛した文豪アーネスト・ヘミングウェイ。スペイン内戦時に
は共和国派の資金調達に尽力もしていたヘミングウェイが、自身最長編の小説「誰がために鐘は鳴る」を出版(1940年
10月)すると、たちまち大ベストセラーとなった。
(右の写真) アーネスト・ヘミングウェイ
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・パラマウント社が当時の最高額である15万ドルで小説の映画化権を取得。当初、セシル・B・デミルが製作・監督する予定だったが、最終的にサム・ウッドが製作・監督を務めることとなった。
(左の写真)右から時計回りに、イングリッド・バーグマン、アーネスト・ヘミングウェイ、ヘンリー・ハサウェイ、ゲーリー・クーパー |
・予告編で、「ヘミングウェイ自身が選んだスター」
と紹介されている通り、ゲーリ・クーパーもイングリッド・バーグマンもヘミングウェイの意向が反映されたキャストであるが、バーグマンの起用はすんなりと
決まった訳ではなかっ
た。
(右の写真)左から、イングリッド・バーグマン、サム・ウッド監督、カティーナ・パクシヌー、ゲーリー・クーパー |
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・ゲーリー・クーパーとアーネスト・ヘミングウェイは、クーパーがヘミングウェイ原作の『戦場よさらば』(1932年)に
出演して以来の親友であり、ヘミングウェイはロベルト役にクーパーを起用することを要請した。
当時、クーパーはサミュエル・ゴールドウィン社と契約しており、パラマウント社
は
クーパーを借りる見返りとして、自社の脚本家ビ
リー・ワイルダーとチャールズ・ブラケットのコンビを貸し出した。そして生まれた作品が、クーパーの前々作 『教授と美女』(1941年)であ
る。 |
・更に、クーパーはサミュエル・ゴールドウィン社で『打撃王』(1942年)に
出演することが決まっており、その監督を務めたのがサム・ウッドである。
『打撃王』の撮影が長引いている間に、ダドリー・ニコルズによる『誰が為に…』の脚本が完成。クーパーとウッド監督は、極めて異例な2作掛け持ちの撮影
に臨むこととなった。
* ダドリー・ニコルズ … アカデミー賞史上初の受賞拒否者としても有名な脚本家。 |
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・1941年11月下旬、ロケ地のカリフォルニア州北部のシエラ・ネヴァダ山脈に雪が積も
り、撮影が開始されたが、零下の寒さでカメラが動かなくなることもあったという。この時期は
マリア役が決まっておらず、エル・ソルド隊とファシスト軍の戦闘シーンの撮影で、12月7日(日本時間の8日)は
戦闘機の空爆シーンを撮る予定だった。そこへ、日本軍が真珠湾を空爆したとの一報が入り、本物の戦闘機が飛んでくるかもしれない、と撮影隊は慌てて
下山したというエピソードも。 |
・主役の2人が揃って、ロケ地での本格的な撮影が始まったのは1942年7月。マリア役
は、ベティ・フィールド、スーザン・ヘイワード、ポーレット・ゴダード、
ルイーゼ・ライナー、バーバラ・ブリトンなどが候補だったが、クーパー同様、サミュエル・ゴールドウィン社と契約していたヴェラ・ゾリーナが起用された。
ところが、山の上での撮影が始まると、元々バレリーナのゾリーナは怪我を恐れて演技に集中出来ない様子でもあり、半月程で降板させられた。
(右の写真)ゲーリー・クーパーと幻のマリア役ヴェラ・ゾリーナ。後ろはエイキム・タミロフ |
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・イングリッド・バーグマンはマリア役を熱望しており、アーネスト・ヘミングウェイと会っ
て、髪を短く切ることも厭わない
と売り込んだという。
ヘミングウェイも彼女の起用を望んでいたが、バーグマンと契約していたデビッ
ド・O・セルズニックとパラマウント社との間の金額交渉で一旦はNGと
なっていた。 |
・本作出演の再オファーを受けたバーグマンは、『カサブランカ』の撮影が終わると髪をバッサリと切り、ロケ地へ出立。1ヶ月遅れの8月から撮
影に合流した。
ヘミングウェイから、「この小説のマリアそのものであるイングリッド・バーグマンへ」と書かれた原作本を贈られたそうである。 |
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・クーパー曰く、「共演は大きな喜びであった。彼女はその場面を実際に生きているの
だと感じさせることの出来る稀な女優」。一方のバーグマンは、クーパーがあまりにも自然体なので、撮影中は「この人は演技しているのか?」
と感じていたそうである。しかし、完成した映画を観て、その疑念は一掃された。スクリーンに映し出されたクーパーの演技は「素晴らしかった」
と自伝で述べている。 |
・主役の2人に勝るとも劣らない存在感を
示したが、エイキム・タミロフとカティーナ・パクシヌー。 |
・ロシア生まれのエイキム・タミロフは、1923年に公演で渡米し、そのまま米国に定住し
た。
個性派俳優として活躍し、ゲーリ・クーパーと共演した『将軍暁に死す』(1936年/監督:ルイス・マイルストーン)と本作で、2度アカ
デミー賞助演男優賞にノミネートされた。
オーソン・ウェルズと親交が深く、ウェルズが監督した『Mr.
Arkadin 』(1955年)、『黒い罠』(1958
年)、『審判』(1963年)に出演した。 |
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・ギリシャ生れのカティーナ・パクシヌーは元々オペラ歌手で、ギリシャの王立劇場から優秀
歌手として金メダルを
贈られたこともある。ブ
ロードウェイやロンドンの舞台でも活躍し、本作に出演するためイギリスから渡米する際に、ドイツ軍のUボートに襲撃され、18個もの衣装ケースが海に沈め
られたという。本作では、銀幕デビュー作とは思えぬ貫禄の演技を披露。その後、本作の脚本家ダドリー・ニコルズが監督した『喪服の似合うエレクトラ』(1947年)、『若者のすべて』(1960年/監督:ルキノ・ヴィスコ
ン
ティ)等に出演。母国ギリシャの舞台で数々の名作に出演し、アテネには彼女の記念館がある。 |
・撮影後の編集等にも時間がかかり、作品が公開されたのは1943年7月。
製作に3年近くを費やし、300万ドルの巨費を投じた超大作は、その年、全米で最大のヒット作となった。
日本では、40分カットされた短縮版が1952年に公開されたが、当時人気No.1のクーパーとバーグマンの共演作ということもあって大ヒットした。
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・アカデミー賞では、作品賞、演技賞の4部門など合計9部門でノミネートされ、カティー
ナ・パクシヌーが助演女優賞を受賞した。また、第1回ゴールデン・グローブ賞で、パクシヌーとタミロフが助演賞をダブル受賞した。
(左の写真)
アカデミー賞授賞式にて。左から、ポール・ルーカス、ジェニファー・ジョーンズ、
カティーナ・パクシヌー、チャールズ・コバーン |
・サム・ウッド監督、ゲーリー・クーパー、イングリッド・バーグマンの3人は、『サラトガ
本線』(1945年)で再び組んだ。残念ながら凡作だが、人気スターの再共演でこちらも大ヒットした。
(右の写真)『サラトガ本線』 ゲーリー・クーパー、イングリッド・バーグマン
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