20世紀・シネマ・パラダ イス

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Mrs. Miniver

       打撃王
        The Pride of the Yankees
         監督:サム・ウッド
        (1942年/アメリカ)
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  ニューヨーク・ヤンキース伝説のプレーヤー ルー・ゲーリッグの伝記映画

 ニューヨークの貧民街で生まれ育った野球好きのルー・ ゲーリッグは、 母親の夢である、叔父のようなエンジニアになるため、苦学してコロンビア大学に入学した。母親が同校の学生寮で賄い婦をしており、ルーは給仕のアルバイト をしていた。ルーは大学の野球部でも活躍していたが、貧しい育ちの彼を馬鹿にする者もいた。ダンス・パーティーでの女性との会話を盗み聞きされ、それを愚 弄した学生と喧嘩になったこともあった。
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 ルーは、スポーツ記者サム・ブレイクの 推薦でヤンキースにスカウトされたが、エンジニアになると言って断った。
 だが、病で倒れた母親を入院させるため、ヤンキースへの入団を決め、マイナーチームのあるハートフォードへ行くことになっ た。何も知らぬ母親は、ルーがハーバード大学へ編入するものと思い込み、泣いて喜んだ。
 ルーはマイナーリーグでホームランを量産し、ヤンキースへの昇格が決まった。退院した母親は、ルーが野球選手になったと知って機嫌を損ねていたが、 メジャー・デビューの日には夫と一緒に球場へ足を運んだ。
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  主な出演者など

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 ・ルー・ゲーリッグ役 … ゲーリー・クーパー Gary Cooper
 ・エレノア役 … テレサ・ラ イト Teresa Wright
 ・サム・ブレイク役 … ウォ ルター・ブレナン Walter Brennan

 ・脚本家のニーヴン・ブッシュにルー・ゲーリッグの伝記映画の製作を薦められた製作者のサミュエル・ゴールドウィンは、野球については無知で、野球ファンは映画館よりも野球 場に足を運ぶだろうとして興味を示さなかったが、ゲー リッグの引退セレモニーのニュース映画を見せられると、涙を流して 「もう一度見せてくれ 」 と言ったという。
  (右の写真) 左からサミュエル・ゴールドウィン、エレノア・ゲーリッグ、ゲーリー・クーパー
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 ・ゴールドウィンはエレノア夫人から3万ドルで映画化権を取得。
 ブッシュの依頼で、当時人気No.1であったスポーツ記者のポール・ギャリコが原作を執筆し、ジョー・スワーリングとハーマン・J・マンキーウィッツが 脚色。監督にはベテランのサム・ウッドが起用された。
  (左の写真) 『打撃王』 撮影時。左からサム・ウッド監督、ゲーリー・クーパー

 ・ゲーリー・クーパーは野球をしたことがなく、実際は右利きであったため、文字を反対にし たユニフォームを着て、右打ちで撮影したフィルムを裏返して使用したとの伝説があるが、実際に裏返しで撮影されたシーンはマイナーリーグ時代の1か所だ けで、あとは左利きとして演じだ。
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 ・「野球の神様」 ベーブ・ルースの他、ルー・ゲーリッグの親友であったビル・ディッキーなど現役の選手も本人役として出演した。
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ゲーリー・クーパーとベー ブ・ルース ゲーリー・クーパーとビ ル・ディッキー

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 ・テレサ・ライトは、当時婚約中であった脚本家ニーヴン・ブッシュの推薦によりエレノア夫 人役 に抜擢された。
 テレサ・ライトが亡くなった4ヶ月後に開催されたヤンキースのオールドタイマーズ・デー (2005年7月) で は、往年の名選手と一緒に彼女の名前も読み上げられた。
  (左の写真) 『打撃王』 撮影時。ベーブ・ルースとテレサ・ライト

 ・映画の中で使用されたブレスレットは、ルー・ゲーリッグがオールスターやワールドシリー ズに出場した際の記念メダルで作り、エレノア夫人にプレゼントした本物であり、現在は野球殿堂博物館に展示されている。 Yankees-46

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 ・サミュエル・ゴールドウィン社最大のヒット作 (当時) となり、アカデミー賞では作品賞、主演男優賞、主演女優賞など11部門でノミネートされ、編集賞を受賞した。
 ゲーリー・クーパーの演技にはエレノア夫人も大満足であったという。

 ・AFI (アメリカ映画協会) が選定したランキングでは次の通りランク入りした。
  「アメリカ映画のヒーロー・ベスト50」 の第25位 (2003年選定)
  「アメリカ映画の名セリフ・ベスト100」 の第38位 (2005年選定)
   『Today, I consider myself the luckiest man on the face of the Earth.
    今日、私はこの世で最も幸福な者だと思っています。』 
  「勇気と感動のアメリカ映画ベスト100」 の第22位 (2006年選定)
  「アメリカ映画スポーツ映画ベスト10」 の第3位 (2008年選定)
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Casanova Brown
 ・サム・ウッド監督、ゲーリー・クーパー、テレサ・ライトの3人は、2年後に 『クーパーの花婿物語』 (1944年) で再び組んだ。
  (左の写真) 『クーパーの花婿物語』 ゲーリー・クーパーとテレサ・ライト

   「ヤンキースの誇り」 ルー・ゲーリッグ


 Lou Gehrig  1903-1941
 父親がてんかんを患っており、母親が生計を立てていた。
 コロンビア大学在学中の1923年、母親が肺炎を患い、契約金で入院費を賄うためにヤンキース入り。1925年から一塁手としてレギュラーに定着した。
 1933年9月にエレノア・トゥイッチェルと結婚。
  (右の写真) ルー・ゲーリッグとエレノア夫人
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  ・アメリカン・リーグMVP2回 … 1927年、1936年
  ・首位打者1回 … 1934年
  ・本塁打王3回 … 1931年、1934年、1936年
  ・打点王5回 … 1927年、1928年、1930年、1931年、1934年
   1934年は三冠王
  
(左の写真) ルー・ゲーリッグとベーブ・ルース
  ・通算安打 … 2721 (歴代61位)     ・通算本塁打 … 493 (歴代28位)
  ・通算打点 … 1995 (歴代5位)     ・生涯打率 … 340 (歴代13位)
  ・通算満塁本塁打 … 23 (歴代2位)  ・連続試合出場 … 2130 (歴代2位)
   ( )内の数字は2015年現在のMLB記録。
  「鉄の馬」 (Iron Horse ) と呼ばれ、背番号4はMLB史上初の永久欠番となった。
 筋萎縮性側索硬化症 (通称:ルー・ゲーリッグ病) により、1939年に引退。
 2年後の41年に37歳で他界。  (右の写真) 引退セレモニーでのルー・ゲーリッグとベーブ・ルース
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