20世紀・シネマ・パラダ イス
アラン・ラッド
Alan Ladd
1913-1964(アメリカ)
◆
代表作
拳銃貸します
This Gun for Hire
(1942年/アメリカ)
青い戦慄
The Blue Dahlia
(1946年/アメリカ)
ネブラスカ魂
Whispering Smith
(1948年/アメリカ)
シェーン
Shane
(1953年/アメリカ)
◆
『シェーン』の勇姿と共に
・
1913年
、アーカンソー州生れ。4歳の頃に父親を亡くし、その後、彼の火遊びで家が全焼してしまい、引っ越した先のオクラホマで母親が再婚。8歳の頃にカリフォルニア州に移り住んだ。
・高校時代は優秀な飛び込み選手で、ロサンゼルス・オリンピック
(1932年)
を目指していたが、怪我をして断念。学生演劇に出演しているところをスカウトされ、俳優見習生としてユニヴァーサル社の演劇学校に通い、『鉄血士官校』
(1932年/監督:
ウィリアム・ワイラー
)
等にエキストラで出演もしたが、半年程で退学した。
高校卒業後は職を転々とし、高校の近くにハンバーガー・ショップを開いたこともあったが成功しなかった。
(右の写真)飛び込みをしているアラン・ラッド
・1936年、高校時代からの恋人と結婚。翌1937年、長男のアラン・ラッド・ジュニアを授かった。
(左の写真)妻と息子と
・ 1936年、カリフォルニア州のラジオ局KFWBと契約。ラジオドラマの声優として活動していたところ、1939年頃に元映画女優でタレント・エージェ ントのスー・キャロルと出会い、キャリアの転機を迎えた。彼女の尽力で、端役ながらも映画で役に就くようになり、あの
『市民ケーン』
(1941年)
にも新聞記者役で出演した。
・1941年にパラマウント社と契約。グレアム・グリーン原作のフィルム・ノワール作品『拳銃貸します』
(1942年)
の殺し屋役で一躍脚光を浴び、人気スターとなった。同作のヒロイン、
ヴェロニカ・レイク
とは、『ガラスの鍵』
(1942年)
、『青い戦慄』
(1946年)
、『
Saigon
』
(1948年)
でも共演した。
*
グレアム・グリーン …
『第三の男』
(1949年)の原作者
(右の写真)『拳銃貸します』ヴェロニカ・レイクと
・
身長が168cmと小柄だったので、約150cmのヴェロニカ・レイクとの共演が多かった。
・1941年、前妻と離婚し、翌1942年にスー・キャロルと再婚。彼女の方が7歳年上だった。
1943年に女の子アラナ、1947年に男の子デヴィッドを授かった。
(左の写真)2番目の妻スー・キャロルと
『ガラスの鍵』
(1942年)
ヴェロニカ・レイクと
初の主演作『
Lucky Jordan
』(1942年)
ヘレン・ウォーカーと
・第2次世界大戦中の1943年1月、陸軍に入隊したが潰瘍を患い11月に除隊。以後は兵役を免れ、B級のフィルム・ノワール作品を中心に活躍。1947年にはドル箱
(マネー・メイキング)
スター・ベストテンの第10位に初登場した。
『
Salty O'Rourke
』(1945年)
ゲイル・ラッセルと
『青い戦慄』
(1946年)
ヴェロニカ・レイクと
『
Saigon
』(1948年)
ヴェロニカ・レイクと
『栄光は消えず』(1948年)
ドナ・リード
と
・自身初の西部劇で初のカラー作品『ネブラスカ魂』
(1948年)
、F・スコット・フィッツジェラルドの小説「グレート・ギャツビー」の2度目の映画化作品『暗黒街の巨頭』
(1949年)
等に出演。
『ネブラスカ魂』(1948年)
ブレンダ・マーシャルと
『暗黒街の巨頭』(1949年)
ベティ・フィールドと
『血ぬられし欲情』(1952年)
ヴァージニア・メイヨ
と
『東方の雷鳴』(1952年)
デボラ・カー
と
・西部劇の名作
『シェーン』
(1953年/監督:
ジョージ・スティーヴンス
)
が大ヒット。日本においても彼の人気が急騰した。
(右の写真)『シェーン』
・10年以上在籍したパラマウント社を離れ、トップクラスの条件でワーナー・ブラザース社と契約。自身の映画製作会社「
Jaguar Productions
」を設立するなど精力的に活動したが、『シェーン』以後はヒット作を生み出す事が出来なかった。
『マッコーネル物語』(1955年)
*
カラー作品
ジューン・アリソン
と
『島の女』(1957年)
ソフィア・ローレンと
・
ジョージ・スティーヴンス
監督の大ヒット作
『ジャイアンツ』
(1956年)
で、
ジェームズ・ディーン
が演じた役のオファーを断っている。アラン・ラッドは背が低いことにコンプレックスを抱いていたとも言われている。
『誇り高き反逆者』(1958年)
オリヴィア・デ・ハヴィランド
、
次男のデヴィッド・ラッドと
『悪人の土地』(1958年)
ケント・スミス(中央)、
アーネスト・ボーグナイン
(右)と
・1962年、心臓近くに被弾して倒れているところを発見された。自殺未遂とも噂されたが、誤って自分に発砲してしまった事故だったと発表された。
・
1964年
、
50歳
で他界。アルコールと睡眠薬の混用が死因だった。遺作となった
ジョージ・ペパード
主演の『大いなる野望』は没後に公開された。
生前、自身の人気ラジオドラマ「
BOX 13
」
(1948〜1949年)
を映画化し、ヴェロニカ・レイク等がカメオ出演すると発表していた。
(左の写真)『大いなる野望』
・『大いなる野望』は大ヒットし、彼が演じた役柄‟ネバダ・スミス”を主人公にしたスピンオフ作品『ネダバ・スミス』
(1966年)
が製作され、主人公は
スティーブ・マックイーン
が演じた。現役当時に人気があっても大半のスターが忘れ去られてしまうが、アラン・ラッドは、『シェーン』の勇姿と共に映画ファンの記憶に残り続けている。
(右の写真)『シェーン』
おまけ
ハンフリー・ボガート
(右)
と
第2次世界大戦中に製作された戦意高揚の短編映画『
Hollywood Victory Caravan
』
(1945年)
の撮影合間に撮られた写真。
第11回ゴールデン・グローブ賞(1953年度)授賞式にて
マリリン・モンロー
と
三條美紀(左)、伏見和子(右)と
・アラン・ラッドとマリリン・モンローは、世界的に最も人気があると認定されたスターに贈られるヘンリエッタ賞を受賞した
(男優はアラン・ラッドと
ロバート・テイラー
の2人が受賞)
。
・三條美紀、伏見和子は、『赤穂義士』
(1954年/大映)
の宣伝で渡米していた。
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