20世紀・シネマ・パラダイス
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ジューン・アリソン
June Allyson
1917-2006(アメリカ)
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◆ 代表作
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三銃士
The Three Musketeers
(1948年/アメリカ) |
若草物語
Little Women
(1949年/アメリカ) |
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グレン・ミラー物語
The Glenn Miller Story
(1954年/アメリカ) |
重役室
Executive Suite
(1954年/アメリカ) |
◆ 好感度抜群で両性から支持される
・1917年、ニューヨーク生れ。彼女が生れて半年後に父親が家族を捨てて出奔し、母親と祖父母に育てられた。8歳の時、倒木の下敷きになり、医師から「もう歩けないかも知れない」と言われる大怪我を負ったが、水泳等のリハリビに励み、4年後には普通に歩行できるようになった。
・映画が大好きで、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの大ファンだった。彼等の『コンチネンタル』(1934年)を17〜18回も観て、ジンジャー・ロジャースのダンスを独学で習得した。
・短編映画『Swing for Sale』(1937年)で銀幕デビューし、ミュージカル劇「Sing Out the News」(1938年)でブロードウェイ・デビューした。
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・夢は医者になることで、芸能活動は学費を稼ぐためだったが、ジーン・ケリーが振付をしたブロードウェイ・ミュージカル「Best Foot Forward」(1941年)がMGM社で映画化されることになり、彼女も請われて同社と契約。同作の映画版で本格的に女優の道を歩むこととなった。
(右の写真)『Best Foot Forward』(1943年)。一番左がジューン・アリソン
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・『Best Foot Forward』の主役はルシル・ボールで、アリソンは助演クラスだったが、MGM社に多くのファン・レターが届き、4作目の『姉妹と水兵』(1944年)でヒロインに抜擢された。
(左の写真)『姉妹と水兵』 ヴァン・ジョンソンと
* ヴァン・ジョンソンとは、『High Barbaree』(1947年)、『逃げた花嫁』(1948年)、『Too Young to Kiss』(1951年)、『Remains to Be Seen』(1953年)でも共演した。
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・1945年、ルシル・ボール主演の『Meet the People 』(1944年)で共演したディック・パウエルと結婚。1948年に女の子を養子縁組し、1950年に長男を授かった。
ディック・パウエルは13歳年上で、2度の離婚歴があったが、彼が亡くなるまで連れ添った。
(右の写真)ディック・パウエル、長女、長男と
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『逃げた花嫁』(1948年)
ヴァン・ジョンソンと
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『三銃士』(1948年)
ジーン・ケリーと
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・彼女が憧れていたジンジャー・ロジャースは、ジューン・アリソンのことを、「男の子が恋人にしたいと思い、女の子が友達になりたいと考える女の子」と評した。
日本においても好感度が高く、男性からも女性からも支持された。
『若草物語』以後は、良妻賢母役で活躍した。
(右の写真)ジンジャー・ロジャース(右) と
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・『打撃王』(1942年)のサム・ウッド監督が再び実在の野球選手を題材とした作品『甦る熱球』(1949年)で、ジェームズ・ステュアートと共演。
銃の暴発で右足を切断しながらも、義足でマイナー・リーグに復帰した元メジャー・リーガーのモンティ・ストラットン投手の妻を演じた。
(左の写真)『甦る熱球』 ジェームズ・ステュアートと
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・『恋愛準決勝戦』(1951年/監督:スタンリー・ドーネン)で、大ファンだったフレッド・アステアと共演する予定だったが、妊娠したため降板した。
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『猛獣と令嬢』(1950年)
ディック・パウエルと(夫婦となってからの初共演作)
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『Battle Circus 』(1953年)
ハンフリー・ボガートと
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* ジューン・アリソンとディック・パウエル夫妻が所持していたヨットをハンフリー・ボガートとローレン・バコール夫妻が購入した。
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・『グレン・ミラー物語』(1954年/監督:アンソニー・マン)でジェームズ・ステュアートと再共演。
トロンボーン奏者で、1930〜1940年代に大流行したスウィング・ジャズの代表的ミュージシャンの1人グレン・ミラーの妻を演じた。
(右の写真)『グレン・ミラー物語』 ジェームズ・ステュアートと
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・オールスター・キャストの『重役室』(1954年/監督:ロバート・ワイズ)、ジェームズ・ステュアートとの3度目の共演作『戦略空軍命令』(1955年/監督:アンソニー・マン)、『或る夜の出来事』(1934年)のリメイク作で、夫のディック・パウエルが監督した『夜の乗合自動車』(1956年)等に出演。
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・1963年、ディック・パウエルが他界。その後、パウエルの理髪師だったグレン・マックスウェルと結婚・離婚(1963〜1965年、1966〜1970年)を繰り返した。この間、アルコール依存症の闘病生活を送っており、女優としての活動は時たまTVに出演するだけだった。
(左の写真)『夜の乗合自動車』撮影時。ディック・パウエル(左)、ジャック・レモンと
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・28年ぶりとなるブロードウェイでコメディ劇「Forty Carats」(1970年)に出演し、13年ぶりとなる劇場用映画『大捜査』(1972年)に出演。 |
・1976年、俳優のデヴィッド・アシュロウと4度目の結婚。夫婦で舞台劇「My Daughter, Your Son」の全米ツアーを行い好評を博した。
(右の写真)夫のデヴィッド・アシュロウと |
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・1982年、自伝「June Allyson By June Allyson」を出版。
・1985年、『グレン・ミラー物語』のステレオ・サウンド版がカンヌ国際映画祭で上映されることになり、ジェームズ・ステュアートと共に映画祭に招かれた。
(左の写真)ジェームズ・ステュアートと
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・大人用おむつのCMに出演したことがきっかけで、失禁患者のケアと研究の為の財団「June Allyson Foundation」を設立(1997年)。
・夫婦で出演した『A Girl, Three Guys, and a Gun』(2001年)が、最後に出演した劇場用映画となった。
・2006年、88歳で他界。
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