20世紀・シネマ・パラダイス

Megaphonebar
Robert_Wise

ロバート・ワイズ

Robert Wise

1914-2005 (アメリカ)

Megaphonrbar

  ◆ 代表作

The_Day_the_Earth_Stood_Still
 地球の静止する日
 The Day the Earth
  Stood Still
 (1951年/アメリカ)
Somebody_Up_There_Likes_Me
 傷だらけの栄光
 Somebody Up There
  Likes Me
 (1956年/アメリカ)
I_Want_to_Live!-2
 私は死にたくない
 I Want to Live !
 (1958年/アメリカ)
West_Side_Story
 ウエスト・サイド物語
 West Side Story
 (1961年/アメリカ)
The_Sound_of_Music  サウンド・オブ・ミュージック
 The Sound of Music
 (1965年/アメリカ)
The_Sand_Pebbles-2
 砲艦サンパブロ
 The Sand Pebbles
 (1966年/アメリカ)

   
     ◆
 ミュージカルの名作 『ウエスト・サイド物語』、『サウンド・オブ・ミュージック』 を監督

 ・1914年、インディアナ州生れ。大恐慌の煽りを受け、フランクリン・カレッジを1年で中退。兄が勤めていたRKO社に入社したのが19歳の時。音響部門で2〜3年働いた後、編集部門に移り、25歳でチーフ編集者となった。

 ・オーソン・ウェルズ『市民ケーン』 (1941年) でアカデミー賞編集賞にノミネートさもれた。ウェルズの次作 『偉大なるアンバーソン家の人々』 (1942年) の編集も担当したが、試写会での評判が芳しくなく、会社からの指示で再編集。更に、助監督と一緒にラストシーンの撮り直しもしたが、全てウェルズには無断でおこなわれた為、ワイズはウエルズに目の敵にされていた、とのエピソードも。(右の写真) オーソン・ウェルズ(右)と
Wise_&_Welles
 * 1983年、オーソン・ウェルズが全米監督協会の生涯功労賞を受賞した際に再会し、和解の握手をしたという。

 ・『キャット・ピープルの呪い』 (1944年) で監督デビュー。ホラー映画 『キャット・ピープル』 (1942年) の続編だが、当初の監督(グンター・フォン・フリッチ)による撮影が遅れたため、途中から引き継いで完成させた。仕事ぶりが認められ、監督に昇格し、RKO社で合計9本のB級 (低予算) 作品を監督。9作目の 『罠』 (1949年) は、ボクシングの八百長試合をセミ・ドキュメンタリー・タッチで描き、高く評価された。
The_Curse_of_the_Cat_People The_Body_Snatcher
『キャット・ピープルの呪い』 (1944年)
 シモーヌ・シモン(左) と アン・カーター
『死体を売る男』 (1945年)
ボリス・カーロフ(中央) と ベラ・ルゴシ(右)

Blood_on_the_Moon
The_Set-Up
『月下の銃声』 (1948年)
ロバート・ミッチャム と バーバラ・ベル・ゲデス

『罠』 (1949年)
ロバート・ライアン と オードリー・トッター

The_Day_the_Earth_Stood_Still-2
 ・フリーの映画監督となり、様々なジャンルの名作を撮った。『地球の静止する日』 (1951年) はSF映画の古典的名作に。AFI (アメリカ映画協会) が、2006年に選定した 「感動のアメリカ映画ベスト100」 で第67位、2008年に選定した ジャンル別の 「SF映画ベスト10」 で第5位に。2008年、キアヌ・リーブス主演でリメイクもされた。
 (左の写真) 『地球の静止する日』 の撮影現場

 ・『傷だらけの栄光』 (1956年) は、ボクシングのミドル級世界チャンピオン、ロッキー・グラジアノの半生を描いた伝記映画。交通事故で他界したジェームズ・ディーンに代って主役に抜擢されたポール・ニューマンの出世作となった。
 (右の写真) 『傷だらけの栄光』 撮影時。ポール・ニューマン(右)と
Somebody_Up_There_Likes_Me

I_Want_to_Live_!
 ・『私は死にたくない』 (1958年) は、実在した死刑囚を描いた作品。主人公を演じたスーザン・ヘイワードに、念願のアカデミー賞主演女優賞をもたらした。自身も、受賞は逃したが、アカデミー賞の監督賞に初ノミネートされた。
 (右の写真) 『私は死にたくない』 撮影時。
  左から、ジョン・マーレー、スーザン・ヘイワード、ワイズ監督。


 ・『ウエスト・サイド物語』 (1961年) は、ブロードウェイ版の原案、演出、振付者ジェローム・ロビンズとの共同監督作品。ミュージカルに革命を起こしたと言われているエポックメイキングな作品。映画史に不滅の名を残すこととなった。
 (右の写真) 『ウエスト・サイド物語』 撮影時。ナタリー・ウッド
West_Side_Story

West_Side_Story-2.
 ・『ウエスト・サイド物語』 は、アカデミー賞で作品賞、監督賞など10部門で受賞。ワイズ監督は製作者でもあったので、2つのオスカー像を獲得。ジェローム・ロビンズは特別賞も受賞した。
 (左の写真) アカデミー賞の授賞式後。 ジェローム・ロビンズ(左)と。

 ・『サウンド・オブ・ミュージック』 (1965年) は、おそらく日本で最も人気の高いミュージカル映画。インフレ調整後の興行成績では、『風と共に去りぬ』 (1939年)、『スター・ウォーズ』 (1977年) に次ぐ歴代第3位となる (2019年現在) 空前の大ヒットを記録し、『クレオパトラ』 (1963年) の大失敗で倒産の危機に瀕していた20世紀FOX社の経営を立て直した。
 (右の写真) 『サウンド・オブ・ミュージック』 撮影時。ジュリー・アンドリュースと
The_Sound_of_Music-2

Julie_Andrews
 ・『サウンド・オブ・ミュージック』は、アカデミー賞で作品賞、監督賞など5部門で受賞。ワイズ監督は授賞式を欠席していたため、監督賞はジュリー・アンドリュースが代理人として受け取り、作品賞は共同製作者のソウル・チャップリンが1人で受け取った。
 (左の写真)ワイズ監督の代理人を務めたジュリー・アンドリュース。
  アカデミー賞授賞式にて。


 ・『砲艦サンパブロ』 (1966年)は、1920年代の政情不安定な中国に派遣された米軍の海兵隊員たちが、歴史の渦に巻き込まれていく様を描き、当時のベトナム戦争を批判したと言われている作品。ワイズ監督は、本作の製作を条件に 『サウンド・オブ・ミュージック』 の監督を引き受けた。
 (右の写真) 『砲艦サンパブロ』 撮影時。
  スティーブ・マックイーン(左)、リチャード・クレンナ(中央)と

The_Sand_Pebbles

Robert_Wise-2
 ・『砲艦サンパブロ』 は、アカデミー賞で作品賞、主演男優賞 (スティーブ・マックイーン)、助演男優賞 (マコ岩松)等、8部門でノミネートされたが無冠に終わった。
 同年のアカデミー賞で、ロバート・ワイズはアービング・G・タルバーグ賞を受賞した。
 (左の写真) プレゼンターのアーサー・フリード(右)と

 ・その後、謎のウィルスと科学者たちの戦いを描いた 『アンドロメダ…』 (1971年)、飛行船ヒンデンブルグ号の爆発事故(1937年) を描いた 『ヒンデンブルグ』 (1975年)、SFの大作 『スタートレック』 (1979年) 等を監督。
Star!
The_Andromeda_Strain
『スター!』 (1968年) 撮影時
ジュリー・アンドリュースと

『アンドロメダ…』 (1971年) 撮影時
ワイズ監督(右)

The_Hindenburg Star_Trek
『ヒンデンブルグ』 (1975年) 撮影時
ジョージ・C・スコット(右)と
『スタートレック』 (1979年) 撮影時
ワイズ監督(左から2番目)


 ・上記の他、急死した社長の後釜を狙う重役たちの人間模様を豪華キャストで描いた 『重役室』 (1954年/主演:ウィリアム・ホールデン、潜水艦を舞台にした海戦映画 『深く静かに潜航せよ』 (1958年/主演:クラーク・ゲーブル、ホラー映画 『たたり』 (1963年/主演:ジュリー・ハリス 等、様々なジャンルの作品を撮った。

 ・全米監督協会の会長 (1971〜75年)、アカデミー協会の会長 (1985〜88年) を務め、AFI (アメリカ映画協会) の生涯功労賞を受賞 (1998年) した。
 (右の写真) AFI生涯功労賞授賞式にて。
  ホストを務めたジャック・レモン(左)、ジュリー・アンドリュースと


Robert_Wise-3

 ・『スタートレック』 の 「ディレクターズ・エディション 特別完全版」 (DVD/2001年発売) を手掛けたのが最後となった。

 ・2005年91歳で他界。


HOME