20世紀・シネマ・パラダ
イス
◆ 日本で人
気NO.1の西部劇
1890年。ワイオミングの荒原に流れてきたガンマンのシェーンが、入植農民ジョー・スターレットの家に立ち寄った。 |
*
入植農民 … 未開発地で5年以上農業を営むと土地が与えられるとするホームステッド法(1862年制定)により入植した農民。
|
暫らくすると、土地の権利を巡ってジョーと対立している牧畜業者ライカーの一味がやって来て、いつものように立ち退きを要求して去っていった。シェーンをライカーの仲間
だと勘違いしていたジョーは、その非礼を詫び、夕食に招待した。ジョーは妻のマリアンと息子のジョーイと3人暮らし。シェーンは食事のお礼に庭の開墾を手伝った。 |
シェーンは人手を欲しているジョーの使用人となり、町へ買物に出かけた。ライカーの手下のクリスが喧嘩を売ってきたが、ジョーから忠告されていたシェーンはこらえて引き下がった。ジョーの家に限
らず、この地の入植農民たちはライカーに嫌がらせを受けていた。 |
農民たちはジョーの家に集まり対策を話し合ったが、シェーンは臆
病者だと
町で評判になっているとのことだった。
ジョーイ 「シェーンは臆病者じゃないよね」
マリアン 「シェーンをあまり好きにならないで…。いつか出ていく人よ…。別れがつらくなるわ… 」 |
|
農民たちは集まって町へ買物に出かけた。シェーンは臆病者の汚名を晴らすためクリスに
喧嘩を売って、彼を殴り倒した。ライカーの手下たちがシェーンを取り囲んだが、ジョーが加勢し、2人はライカーの手下たちを叩きのめした。 |
|
シェーンはジョーイ
少年のヒーローとなった。そして、マリアンもシェーンに仄かな想いを抱き始めていた…。 |
ライカーは全面対決を決め込み、シャイアンの地から凄腕の殺し屋ウィルソンを呼び寄せた。ライカーの一味の嫌がらせはエスカレートし、農民仲間のアーニーがこの地から去っていった。
|
7月4日。農民たちは集まって独立記念日を祝い、この日が結婚記
念日のジョーとマリアンは
皆から祝福された。
|
|
|
ライカーは、農民たちのリーダー格であるジョーを金で釣ろうとし
たが失敗した。
|
町へ買物に出かけた農民のトーリーが、
ウィルソンに挑発されて銃を抜いたために撃ち殺されてしまった。
|
農民たちは皆でトーリーを弔った。この地を去ると言い出す者が続
出し、ジョーは思い止まるように説得した。
|
|
その日の夜。ジョーの家にライカーの使いの者が訪ねて来た。「冷静に話し合おう。ク
ラフトンの店で待っている」。その少し後にクリスがシェーンを訪ねて来た。「スターレットは罠に嵌められる」。
|
ライカーと決着をつけに行くためマリアンを説得しているジョーの前に、腰に銃を巻いた
シェーンが現れた。
|
代わりに行くと言うシェーンとジョーが殴り合いを始め、シェーンは銃でジョーの頭を殴って
気絶させた。ジョーイ「シェーンなんて大嫌いだ」。
|
マリアン 「私のためなの?」 シェーン 「君たち夫婦と
ジョーイのためだ 」 マリアン 「もう2度と会えないのね…。お願い、命を大切に 」
|
|
シェーンは町へ向かい、ジョーイがその後を追った。
町に着き、シェーンはウィルソンと対峙した…。
|
|
『シェーン』 予告編
|
◆ 主な出演者など
・原作は、1949年に出版されたジャック・シェーファーの同タイトルの小説で、ジョンソ
ン群戦争(1892年)に着想を得て執筆されたと言われている。
映画化が決まった時、シェーファーがシェーン役に相応しいと思った俳優はジョージ・
ラフトだったという。
(右の写真)アラン・ラッド
|
|
|
・スティーヴンス監督は、シェーン役にモンゴメリー・クリフト、ジョー役にウィリアム・ホールデンを希望したがキャスティング出来
ず、パラマウント社が提示した俳優のリストを見て、アラン・ラッドとヴァン・ヘフリンに即決したという。
マリアン役のジーン・アーサーは、5年ぶり、1作限りの銀幕復帰となった。
(左の写真)ジーン・アーサー
|
・開拓時代の初期で学校もなく、遊び相手もいないジョーイ少年と、孤独な流れ者シェーンの
交
流。シェーンとマリアン、ジョーの三角関係。ホーム・ドラマとしても優れた作品であることから、女性の観客からも高く支持されて大ヒットした。日本で最も
人気がある西部劇と言って間違いない。
(右の写真)アラン・ラッドとブランドン・デ・ワイルド。
* シェーンがジョーイ少年に銃の腕前を披露するシーンは119回も撮り直した。 |
|
|
・西部劇ファンの間では、アラン・ラッドの早撃ちが話題になった。映画史上最速の早撃ち
は、『シェーン』のアラン・ラッド、若しくは、『平原児』(1936年)のゲーリー・クーパーだと言われていた。ちなみに、『平原児』
でヒロインを演じたのもジーン・アーサーだった。
(左の写真)アラン・ラッド
|
・「シェーン、カムバック!」
。あまりにも有名な映画史に残る名ラスト・シーン。シェーンが死んでいるという説がある。映画『交渉人』(1998年)で
も、主人公の2人がシェーンの生死を議論しているが、致命傷を負わせたのはウィルソンか? ライカー兄弟か?
それとも、そもそも致命傷など負っていないのか? こんな論争が起こるのも人気作品ならでは。
|
|
|
・アカデミー賞では、作品賞、監督賞、助演男優賞
(ブランドン・デ・ワイルドとジャック・パランス)、脚色賞、撮影賞でノミネートされたが、受賞は撮影賞
(カラー部門)のみに留まった。 |
・AFI(アメリカ映画協会)が、1998年に選定した
「アメリカ映画100年ベスト100」で第69位、2003年に選定した「ヒーロー&悪役ベスト100」でシェーンがヒーローの第16位、2005年に選
定した「名セリフベスト100」で‟シェーン、カムバック”が第47位、2006年に選定した「勇気と感動のアメリカ映画ベスト100」で
第53位、2008年に選定した「ジャンル別ベスト10・西部劇」
で第3位にランクイン。 |
|
◆ ピック・アップ … ヴァン・ヘフリ
ン
|
Van Heflin
1908-1971 (アメリカ)
・1908年、オクラホマ州生れ。(1910年生れとする文献もある)
・1928年、ブロードウェイでデビューし、キャサリン・ヘップバーン主演の『女性の反逆』(1936
年)で銀幕デビュー。キャサリン・ヘップバーンとは舞台「フィラデルフィア物語」(1939年〜)で
も共演。映画版ではジェームズ・ステュアートが演じた役を務めた。 |
|
|
『Johnny
Eager』(1941年)
ロバート・テイラー(右)と |
『三
銃士』(1948年)
ジーン・ケリー(左)と
|
|
|
『ボ
ヴァリー夫人』(1949年)
ジェニファー・ジョーンズと
|
『シェー
ン』(1953年)
|
・『シェーン』(1953年)で共演した
アラン・ラッドとは親友となり、ラッドが亡くなった
時には珍しく取り乱してしまったという。
|
|
・オールスター・キャストの『大空港』(1970年)が
最後に出演した劇場用映画となった。
(左の写真)『大空港』ヘレン・ヘイズと
・1971年、プールで泳いでいる時に心臓発作を起こし、意識不明のまま6週間後に亡くなった。
享年62歳。 |
|