20世紀・シネマ・パラダ イス
ジャック・パランス
Jack Palance
1919-2006(アメリカ)
◆
代表作
シェーン
Shane
(1953年/アメリカ)
軽蔑
Le Mepris
(1963年/仏・伊)
バグダッド・カフェ
Out of Rosenheim
(1987年/西ドイツ)
シティ・スリッカーズ
City Slickers
(1991年/アメリカ)
◆
強面の個性派俳優として息長く活躍
・
1919年
、ペンシルベニア州生れ。ウクライナからの移民だった父親と炭坑で働いていたが、20歳の頃にヘビー級のプロボクサーに転身。‟ジャック・ブラッゾ”のリング・ネームで15戦12勝の成績を収めた。
・第2次世界大戦が勃発し、陸軍航空隊に入隊。飛行訓練中、顔に火傷を負い、整形手術を施された
(整形手術の件は映画会社の作り話だとも言われている)。
除隊後、スタンフォード大学でジャーナリズムを学び、スポーツ記者となったが、やがて俳優を志すようになった。
・ブロードウェイ劇「
The Big Two
」
(1947年)
のロシア兵役でデビュー。次いで、「欲望という名の電車
」(1947年)
で
マーロン・ブランド
の代役を務めた。
!
ブランドの楽屋でサンドバッグを打ちあっている時に、パランスのパンチが誤ってブランドの顔面にヒットし、鼻を骨折させた、との伝説がある。
・舞台「欲望という名の電車」の演出家だった
エリア・カザン
の監督作品で、
リチャード・ウィドマーク
主演の『暗黒の恐怖』
(1950年)
で銀幕デビュー。エリア・カザンとは、『革命児サパタ』
(1952年)
に出演させるという約束を反故にされた
(
アンソニー・クイン
が代わりに出演)
ため、絶縁したとか。
(右の写真)『暗黒の恐怖』
・3作目、
ジョーン・クロフォード
主演のフィルム・ノワール作品『突然の恐怖』
(1952年)
で、アカデミー賞助演男優賞に初ノミネート。
(左の写真)『突然の恐怖』 ジョーン・クロフォードと
・
『シェーン』
(1953年)
で強烈な印象を残し、2年連続でアカデミー賞助演男優賞にノミネート。
バイオレンス映画の巨匠サム・ペキンパー曰く、「
パランスがエリシャ・クック・Jr.
(農民役)
を撃ち殺すシーンから、西部劇が暴力に傾斜し始めた
」。
(右の写真)『シェーン』
・パランスが演じた2挺拳銃の殺し屋は、銃を抜く時以外は動作がスローテンポで何とも不敵。馬に乗ってもゆっくり…、と言うのも、パランスは乗馬の経験が無く、何とか乗れるようになったばかりだった。
(左の写真)『シェーン』 … ちょっとショボかった(笑)馬に乗っての登場シーン
・人気俳優となり、フィルム・ノワール作品『俺が犯人(ホシ)だ!』
(1955年)
、戦争映画『攻撃』
(1956年)
、西部劇『ロンリー・マン』
(1957年)
といった作品で主役を務めた。
(右の写真)『攻撃』
・1960年代、活動の場を欧州にも拡げ、史劇『バラバ』
(1961年/イタリア)
、
ジャン=リュック・ゴダール
監督の『軽蔑』
(1963年/仏・伊)
等にも出演した。
(左の写真)『軽蔑』
ブリジット・バルドー
と
・『シェーン』の原作者ジャック・シェーファーが、西部開拓時代の末期を背景に、時代の波に押し流され、哀れな末路を辿るカウボーイを描いた『モンテ・ウォルシュ』
(1970年)
に出演。1970年代以降、作品に恵まれず、長い低迷期間中に数多くのB級作品に出演した。
(右の写真)『モンテ・ウォルシュ』 リー・マーヴィン(右)と
・日本では、ミニシアターで公開された西ドイツ映画『バグダッド・カフェ』
(1987年)
が異例の大ヒットとなった。『シェーン』の頃からのファンは懐かしく感じただろうが、この作品でジャック・パランスを初めて見たという映画ファンも多かったのかも知れない。
(左の写真)『バグダッド・カフェ』
・コメディ映画『シティ・スリッカーズ』
(1991年)
で老カウボーイを演じ、アカデミー賞助演男優賞を受賞。『シェーン』で2度目の候補となってから38年が経っていた。
アカデミー賞授賞式では、まだまだ若い者には負けないぞ、とばかりに片手腕立て伏せを披露(当時73歳)し、会場を大いに沸かせた。
(右の写真)『シティ・スリッカーズ』
アカデミー賞授賞式。プレゼンター:ウーピー・ゴールドバーグ
・私生活では2度結婚し、最初の妻との間で授かった3人の子供も俳優となった。長女のホリーはオカルト映画『オーメン』
(1976年)
等に出演。次女のブルックは
エリザベス・テイラー
の長男と結婚。長男のコーディーは『ヤングガン』
(1988年)
等で父親と共演したが、1998年、父親より先に亡くなった。
・映画は年に数本、上質な作品しか観ず、自分の出演した作品は大半がクズなので、滅多に自分の作品を観なかった、と語っている。若い頃から絵画や詩作を趣味としており、詩集を出版したこともあった芸術家肌の人物だった。
(右の写真)アカデミー賞授賞式にて。
・
2006年
、
87歳
で他界。
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