20世紀・シネマ・パラダ イス
アンソニー・クイン
Anthony Quinn
1915-2001(メキシコ/アメリカ)
◆
代表作
革命児サパタ
Viva Zapata !
(1952年/アメリカ)
道
La Strada
(1954年/イタリア)
炎の人ゴッホ
Lust for Life
(1956年/アメリカ)
ナバロンの要塞
The Guns of Navarone
(1961年/アメリカ)
アラビアのロレンス
Lawrence of Arabia
(1962年/イギリス)
その男ゾルバ
Zorba the Greek
(1964年/イギリス・ギリシャ・アメリカ)
◆
国際的に活躍したメキシコ人俳優
・
1915年
、メキシコ生れ。幼い頃に家族でアメリカへ移住。9歳の時に父親を交通事故で亡くし、靴みがき等をして家計を助けた。
1936年に銀幕デビュー。インディアン、ハワイの酋長、スペインの闘牛士、中国のゲリラ、アラブの首長、等々、強面の便利屋俳優として数多くの作品に出演した。
(右の写真)『平原児』(1936年)
ゲーリー・クーパー
(左)と
『血と砂』(1941年/主演:
タイロン・パワー
)
『モロッコへの道』(1942年/主演:
ビング・クロスビー
)
・ブロードウェイの舞台劇「欲望という名の電車」
(1947年〜)
で、主演男優
マーロン・ブランド
のアンダースタディ(控え)を務め、ブランドが怪我で降板した時に本番の舞台に出演。舞台監督の
エリア・カザン
に認められたことが大きな転機となった。
1947年、アメリカの市民権を取得。
(左の写真)舞台「欲望という名の電車」
ジェシカ・タンディ
と
・メキシコ革命の英雄エミリアーノ・サパタの半生を描いた『革命児サパタ』
(1952年/監督:エリア・カザン)
で、マーロン・ブランド扮する主人公の兄を演じてアカデミー賞の助演男優賞を受賞。メキシコ人で初のオスカー俳優となった。授賞式では、当時の妻キャサリン
(
セシル・B・デミル
監督の養女)
が代理人としてオスカー像を受け取った。
(右の写真)『革命児サパタ』 マーロン・ブランド(右)と
・イタリアで、
『道』
(1954年/監督:
フェデリコ・フェリーニ
)
に出演。世界中で大ヒットし、国際的なスターに。彼の主演作で最も人気の高い作品となった。
(左の写真)『道』 ジュリエッタ・マシーナと
・『炎の人ゴッホ』
(1956年/監督:
ヴィンセント・ミネリ
)
で、画家のポール・ゴーギャンを演じて2度目のアカデミー賞助演男優賞を受賞。
アンソニー・クインは若い頃から趣味で絵を描いており、プロ並みの腕前だった。
(右の写真)『炎の人ゴッホ』
カーク・ダグラス
(左) と
・国際的な人気俳優、名優として大活躍。『野生の息吹き』
(1957年/監督:
ジョージ・キューカー
)
、『その男ゾルバ』
(1964年)
では、アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。
(左の写真)自身2個目のオスカー像を手にするアンソニー・クイン
『ノートルダムのせむし男』(1956年)
ジーナ・ロロブリジータ
と
『野生の息吹き』(1957年)
アンナ・マニャーニ
と
『ナバロンの要塞』(1961年)
グレゴリー・ペック
(左)と
『アラビアのロレンス』
(1962年/監督:
デヴィッド・リーン
)
ピーター・オトゥール
(左)と
『その男ゾルバ』(1964年)
アラン・ベイツ(右)と
『サンタ・ヴィットリアの秘密』(1969年)
アンナ・マニャーニと
・1987年、ゴールデン・グローブ賞のセシル・B・デミル賞を受賞。
『リベンジ』(1990年)
ケビン・コスナー(右)と
『ラスト・アクション・ヒーロー』(1993年)
アーノルド・シュワルツェネッガー(左)と
・最晩年まで第一線で活躍。遺作となったシルベスター・スタローン主演の『ザ・ボディガード』
(2002年)
は、没後に公開された。
(右の写真)『ザ・ボディガード』
・
2001年
、
86歳
で他界。
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