20世紀・シネマ・パラダ
イス
◆ ゲー
リー・クーパーの代表作となった西部劇の名作
西部の町ハドリーヴィル。ある日曜日、かつて町を追われた3人の
ならず者が舞い戻って来
た…。 |
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その頃、町の保安官ウィル・ケインとエミイの
結婚式が執り行われていた。ウィルはこの日を最後に保安官を辞し、町から去ることになっていた。 |
とそこへ、ウィルが5年前に逮捕したならず者のフ
ランク・
ミラーが正午の汽車で町に到着するとの電報が届いた。駅にいる3人と一緒にウィルに復讐をするつもりだ。 |
時刻は10時40分。ウィルは皆に促さ
れて町を後にしたが、ならず者に背を向けることが出来ず、町へ引き返した。 |
エミイは逃げようと懇願したが、ウィルは聞き入れなかった。彼女は正午の汽車で町を去ると
言い残し、1人で駅へ向かった。 |
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ウィルは自警団を作るため判事に声を掛けたが、判事は復讐を恐れ
て町から逃げ出してしまった。 |
保安官補のハーヴェイが後任の
保安官として推薦するように求めてきたが、ウィルは断った。ハーヴェイはウィルのかつての恋人ヘレンと
同棲しており、ウィルがその事を妬んでいると非難し、保安官補を辞めてしまった。
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ウィルがヘレンと交際する前、彼女はフランク・ミラーの恋人だった。ヘレンの身を案じた
ウィルは彼女の部屋を訪ね、町から出るように話しをした。
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ウィルはホテルのロビーでエミイと顔を合わせたが、話をする時間
は無かった。
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ウィルは酒場を訪ね、協力者を募った。しかし、保安官補が6人もいた5年前とは状況が違う
ため、皆、尻込みし、協力を申し出る者は1人もいなかった。
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ウィルは次に教会を訪ねた。町の人々からは様々な意見が出た。町長のヘンダーソンは、ウィルのこれまでの仕事を称えたが、今は町の人々を巻き込まないために去るべきだと結論
づけた。
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ウィルは元保安官のマーチンに
相談したが、彼もウィルが引き返して来るべきではなかったと意見した。
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エミイはヘレンを訪ね、ウィルの説得を頼んだが、逆に何故一緒に戦わないのかと問い詰めら
れた。エミイは父と兄を銃で殺されてクエーカー教徒となった
と話し、正義よりも命が大切だと主張した。
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ハーヴェイが力づくでウィルを町から追い出そうとしてきたが、ウィルはこれをはね返した。
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ウィルが事務所に戻ると、ただ1人協力を申し出ていた友人が待っていたが、2対4の決闘と
なると知ると、恐れをなして退散してしまった。
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孤立無援となったウィルが遺書をしたためていると、時計の針が正午を指し、汽笛が響いてき
た。
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外へ出たウィルの前を、エミイとヘレンを乗せた馬車が通り過ぎていった。
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汽車が到着した。下車したフランク・ミラーは仲間と合流し、エミイとヘレンはその汽車に乗
車した。
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日曜日の正午だというのに、通りには人影がなくなった…。
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いよいよ決闘が始まった。ウィルがまずは1人を仕留めた。
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銃声を耳にしたエミイは汽車から飛び降り、町へ向かった…。
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『真昼の決闘』 予告編
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◆ 主な出演者など
・独立系の製作者スタ
ンリー・クレイマーと脚本家のカール・フォアマンのコラボ5作目で、前々作『男たち』(1950年)のフレッド・ジンネマン監督が再起
用された。
映画の上映時間と劇中の進行時間がほぼ同じリアルタイム劇で、時計と主人公の苦悩に満ちた表情を随所に映し出すことで緊迫感を高めた。
(右の写真)左から、ゲーリー・クーパー、ジンネマン監督、グレース・ケリー
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・主人公の第1候補だったグレ
ゴリー・ペックは、自身のお気に入り作品『拳銃王』(1950年)の役柄とイメージが重なるのを
嫌って辞退。その後、モンゴメリー・クリフト、マーロン・ブランドなどに断わられ、頭を抱えていたスタンリー・クレイマーが、ある映画
ファンから「クーパーを忘れてもらっては困る」と言われ、ゲーリー・クーパーにオファーしたとのエピソードが伝わっている。
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クーパーは当初、「自分たちの町の保安官が危機に直面しているのに、町の人々が誰も
助けないなんて、西部の町ではありえない」
と出演を渋っていたという。
また、本作の予算は約70万ドルで、クーパーの出演料約30万ドルを支払うことは出来なかった。しかし、改めて脚本を読んだクーパーは、6万ドル+興行
収益の一部という破格の条
件で出演を承諾。サイレント期から数多くの西部劇に出演していたベテラン俳優の経験と知識は、初めて西部劇を撮ったオーストリア出身のジンネマン監督を大
い
に助けた。 |
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・ヒロイン役のグレース・ケリーにとっては2作目の映画。ほとんど無名の新人だったが、オ
フ・ブロードウェイの舞台に出演しているところをスタンリー・クレイマーにスカウトされて役を得た。本作出演をきっかけにMGM社と契約し、人気女優とし
て大ブレイクし
た。 |
・主人公が勇猛果敢なヒーローであるステレオタイプな西部劇とは異なる
「異色の西部劇」として、また、単純明快な勧善懲悪ものの西部劇に飽き足らない映画ファンから「大人の西部劇」として支持された一方で、ジョン・ウェインが「市民に助けを求めるなんて、そんな弱腰な奴は保安官の面汚しだ。ぶん殴ってやりたい」と発言するなど、一部の人々から反発も食らった。 |
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・アカデミー賞では7部門でノミネートされた。当時の政治的問題 (後述)もあってか、本命視されていた作品賞、脚色賞は逃したが、主演男優賞、編集賞、劇・喜劇音楽賞、歌曲
賞の4部門で受賞。クーパーはロケのため授賞式を欠席。代理人としてオスカー像を受け取ったのは、皮肉なことにジョン・ウェインだった。フレッド・ジンネ
マン監督は、「カメラがクープを愛した」とコメントした。 |
・AFI(アメリカ映画協会)が1998年に選定した「アメリカ映画100年ベスト
100」で第33位。西部劇では最上位だった。
また、同協会が2008年に選定した「西部劇ベスト10」で第2位に、2003年に選定した「アメリカ映画ヒーロー・ベスト50」
で保安官ウィル・ケインが第5位に。西部劇のヒーローでは最上位だった。 |
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◆ ピックアップ … ‟赤狩り”の犠牲者となった脚本家カール・フォアマン
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Carl Foreman 1914〜1984
(アメリカ)
・1941年に脚本家としてデビュー。戦後、『チャンピオン』(1949年/主演:カーク・ダグラス)
でアカデミー賞脚色賞にノミネート。同作の製作者スタンリー・クレイマーと組んで、『勇者の家』(1949年)、
『男たち』(1950年/主演:マーロン・ブランド)、
『シラノ・ド・ベルジュラック』(1950年)を発表。『男たち』はアカデミー賞オリジナル脚本賞にノミ
ネートされた。
(左の写真)カール・フォアマン。『真昼の決闘』のセットにて |
・短編小説「ブリキの星」(1947年/ジョン・W・カ
ニンガム著)を基に執筆した『真昼の決闘』 の脚本は、フレッド・ジンネマン監督に「完璧な脚本」
と言わしめた傑作だったが、同作の撮影中、フォアマンは‟赤狩り”の聴聞会に非友
好的証人として召喚され、証言を拒否したために共産主義者と認定された。
スタンリー・クレイマーからパートナーシップの解消を言い渡され、お先真っ暗のフォアマンを最後まで擁護したのはジンネマン監督とゲーリー・クーパー
だったという。
(右の写真)『真昼の決闘』の撮影現場
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・フォアマンが映画製作会社を設立するつもりであることを知ったクーパーは協力を惜しまな
い
と申し出たが、ルイス・B・メイヤー、ウォルター・ウェンジャーといったハリウッドの重鎮たちがクーパーにス
トップをかけた。結局、フォアマンは会社設立を断念。ハリウッドから去り、イギリスへ渡った。フォアマンが‟赤”と認定されたため、本作公開当時には、
‟赤狩り”を黙認する世間への批判が込められた作品だとの評判があったが、ジンネマン監督は、
「政治的な意味はない」 と否定した。
(左の写真)『真昼の決闘』撮影時。ゲーリー・クーパー(右)
とジンネマン監督(手前) |
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