20世紀・シネマ・パラダ イス
ジャッ キー・クーガン
Jackie Coogan
1914-1984 (アメリカ)
◆
代表作
キッド
The Kid
(1921年/アメリカ)
トム・ソーヤの冒険
Tom Sawyer
(1930年/アメリカ)
◆
元祖子役のスーパースター
・
1914年
、カリフォルニア生れ。本名は
John Leslie Coogan
。両親が舞台芸人だったため、幼い頃から舞台に出演。赤ん坊の時に映画 『
Skinner's Baby
』
(1917年)
にも出演した。
・
チャップリン
の日本人秘書・
高野虎市
さんが舞台に出演しているジャッキーを観て、チャップリンにも観るように勧め 、チャップリンはあまり乗り気ではなかったそうだが、高野さんが何回も勧めるので観に行ったとのこと。高野さんの
Good Job!
。
・チャップリンはジャッキーを大変気に入り、まず 『一日の行楽』
(1919年)
に出演させた。
(右の写真) 『一日の行楽』 一番右がジャッキー
・次に、チャップリンはジャッキーを主演とする映画 『キッド』
(1921年)
の脚本を書いた。
(左の写真) 『キッド』
・当時6歳のジャッキーは、映画を観た万人の心を打つ名演技を披露。
映画界で最初の子役スターが誕生した。
(右の写真) 『キッド』
・子役スターとして主演映画が何本も作られ、当時のハリウッドで最もギャラが高いスターの 1人となり、キャラクター・グッズまで売り出された。
『悪戯小僧』 (1921年/監督:
サム・ウッド
)
『オリバー・ツイスト』 (1922年)
『王様万歳』 (1923年)
『フランダースの少年』 (1924年)
『少年ロビンソン』 (1924年)
『古着屋クーガン』 (1925年)
ジョーン・クロフォード
と
・1935年、交通事故に遭い、同乗していた父親、『トム・ソーヤーの冒険』
(1930年)
等で共演した親友のジュニア・ダーキン
(19歳)
な ど4名が命を落とした。
ジャッキーは大怪我をしたものの、唯一の生存者であった。
(右の写真) 子供の頃のジャッキー
・不幸が続いた。ジャッキーが稼いだ莫大な金を、母親と義父がギャンブル等で全て浪費して し まったことが判明。親子の間で裁判となった。
この時の裁判がきっかけとなり、子役が稼いだ金は、その子が成人するまで残して置くことなどを規定した法律 (通称クーガン法) が制定
(1939年)
された。
しかし、稼いだ金がジャッキーに戻ってくることはなかった。
(左の写 真)
子供の頃のジャッキー
ジャッキーはチャップリンにお金を借りに行き、チャップリンはかなりの大金を差し出 したという。
1935年、 チャップリンと
・1937年、当時人気No.1のアイドル、 ‟ピンナップ・ガール” の
ベティ・グレイブル
と結婚したが、2年後に離婚。その後3度結婚した。
(右の写真) ベティ・グレイブルと
・大人になってからも映画やTVで活躍。特にTVの 「アダムス・ファミリー」
(1964〜1966年)
でのフェスター・フランプ役は人気があったという。
『バ スター・キートン物語』 (1957年) 撮影時。
左から、ジャッキー、
ドナルド・オコナー
、
キートン
TV 「アダムス・ファミリー」
・
1972年、チャップリンが1952年の追放以来、約20年ぶりにアメリ カ に。
アカデミー賞名誉賞を贈呈された授賞式に、ジャッキーも駆け付けて祝福した。
(左の写真) ジャッキー(左)とチャップリン。チャップリンも嬉しそうです。
・『キッド』 を撮る前、チャップリンはスランプに陥っていたという。
チャップリンが天才子役ジャッキーと出会わなければ、間違いなく名作 『キッド』 も生まれていなかっただろう。
(右の写真) すっかりおじさんとなったジャッキー。善良そうで何よりです。
・
1984年
、
69歳
で他界。
チャップリンとジャッキーのパフォーマンス。とっても可愛いジャッキー。
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