20世紀・シ
ネマ・パラダイス
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伝説の衣装デザイナー
イーディス・ヘッド (1897-1981)
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◆ アカデ
ミー賞に35回ノミネートされ、8回も受賞した伝説の衣装デザイナー
・語学の教師だったが、最初の結婚(1923年)を
機に退職。衣装デザインに興味を覚え、アートスクールに通っている時にパラマウント社がスケッチ・アーティストを募集していることを知った。まだまと
もにデッサンを描けなかった彼女は友人の作品を買い取り、面接を受けて合格。アシスタントとして働きながらスクールにも通っていたという。
(右の写真)イーディス・ヘッド
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・『ジャングルの女王』(1936年)、
『ジャングルの恋』(1938年)等でサロン・ドレスをデザインし、リゾートウェアとして大流行させた。
主演のドロシー・ラムーアは「サロンの女王」
と称される人気スターとなり、イーディス・ヘッドは1938年にチーフ・デザイナーに任命された。
(左の写真)ドロシー・ラムーア(左)と |
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サロンドレス姿のドロシー・ラムーア
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ドロシー・ラムーア(右)と
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サロンドレス姿のドロシー・ラムーア |
・『レディ・イヴ』(1941年)でのバーバラ・スタンウィッ
クの衣装が大評判となり、イーディス・ヘッドの知名度は一躍高まった。
『教授と美女』(1941年)、
『深夜の告白』(1944年)、『私は殺される』(1948年)等でも、スタンウィックの衣装を担当した。
(右の写真)バーバラ・スタンウィック(右)と
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『レディ・イヴ』(1941年)バーバラ・スタンウィック
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| ! 同じ衣装を着た人形を作って、出演者にプレゼントしていた。
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・
パラマウント社以外からもオファーが届くようになった。
『汚名』(1946年/RKO社)でイングリッド・バーグマ
ンの衣装を手掛けて以後、アルフレッド・ヒッチコック監督作品の多くでヒロイン
たちの衣装を手掛けることとなった。ヒッチコック監督はイーディス・ヘッドに全幅の信頼を寄せていたという。
(左の写真)アルフレッド・ヒッチコック監督と
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・1948年度(第21回)のアカデミー賞から衣装デザイン賞が新設された。イーディス・ヘッドは『皇帝円舞曲』でノミネート(カラー部門)され、翌年、『女相続人』(1949年)で初受賞(白黒部門)した。
(右の写真)『皇帝円舞曲』ジョーン・フォンテイン
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・1950年度は、『サムソンとデリラ』(カラー作品)、『イヴの総て』(白黒作品)で、アカデミー賞の衣装デザイン部門をダブル受賞。 |
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・1950年度の賞レースにおいて、『イヴの総て』の対抗馬となった『サンセット大通り』の衣装を手掛けたのもイーディス・ヘッド。
名実ともにハリウッドの衣装デザインの第一人者となった。
(左の写真)『旅愁』(1950年)のジョーン・フォンテイン
イーディス・ヘッドからプレゼントされた人形と
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! 『イヴの総て』に出演したアン・バ
クスターとは親友となり、彼女の娘の名付け親にもなった。そして、死後に自身の宝石のコレクションを譲渡している。
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| 『陽のあたる場所』(1951年)エリザベス・テイラー
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・1952年度のアカデミー賞授賞式からTV放映がスタート。イーディス・ヘッドは女優た
ちの衣装の監視役に任命され、‟ドレス・ドクター”と称された。1968年までこの任務を務めた。 |
| 『ローマの休日』(1953年)オードリー・ヘップバーン
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・細身でふくらはぎ丈のズボンは、「サブリナ・パンツ」として大流行した。 |
| 『麗しのサブリナ』(1954年)オードリー・ヘップバーン
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・『麗しのサブリナ』の一部の衣装はジバンシーがデザインした。その後、『パリの恋人』(1957年)、『ティファニーで朝食を』(1961年)においても、ジバンシーと共にオードリー・ヘップバーンの衣装を手掛けた。そのため、あの衣装、この衣装はイーディス・ヘッドとジバンシーのどちらがデザインしたのか?と論争の的になった。
(左の写真)オードリー・ヘップバーン(左)と
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・『裏窓』、『喝采』、『トコリの橋』(1954年)、
『泥棒成金』(1955年)の4作で、グレース・ケリーの衣装を手掛けた。 |
・イーディス・ヘッドの一番のお気に入りの女優だったとも言われているグレース・ケリー
は、『喝采』の演技でアカデミー賞主演女優賞を受賞した際の授賞式にイーディス・ヘッドがデザインした衣装で登場した。
(右の写真)グレース・ケリー(左)と
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・1960年度、ルシル・ボールの衣装をデザインした『よろめき珍道中』(白黒作品)で、6年ぶり7度目のアカデミー賞を受賞。女優の衣装だけでなく、男優の衣装もデザインした。
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・『スティング』(1973年)で8度目のアカデミー賞衣装デザイン賞を受賞。
* 1967年度から、(白黒部門)、(カラー部門)の区分が廃止された。
(左の写真)ロバート・レッドフォードと
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| 『スティング』(1972年)ロバート・レッドフォード、ポール・ニューマン
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・アカデミー賞授賞式では、「世界中で最もハンサムな2人の男性の衣装を思い描いただけよ…」とスピーチした。
(右の写真)プレゼンターのツイッギー(左)、ピーター・フォークと
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イーディス・ヘッド
8度目のオスカー受賞時。
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・アカデミー賞のノミネート35回、受賞8回は女性では最多記録。
・映画『オスカー』(1966年)、
TV『刑事コロンボ』(1973年)等に本人役で出演。『刑事コロンボ』では親友のアン・バクスターと共演した。
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・生涯現役として活躍し、最後の作品『四つ数えろ』(1982年)は、彼女の没後に公開された。
・1981年、83歳で他界。 |
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イーディス・ヘッド トリビュート動画
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