20世紀・シネマ・パラダ イス
エルヴィス・プレスリー
Elvis Presley
1935-1977(アメリカ)
◆
代表作
監獄ロック
Jailhouse Rock
(1957年/アメリカ)
闇に響く声
King Creole
(1958年/アメリカ)
G.I.ブルース
G.I.Blues
(1960年/アメリカ)
ブルー・ハワイ
Blue Hawaii
(1961年/アメリカ)
ラスベガス万才
Viva Las Vegas
(1964年/アメリカ)
エルビス・オン・ステージ
Elvis : That's the Way It Is
(1970年/アメリカ)
◆
‟ キング・オブ・ロック ”銀幕での軌跡
・
1935年
、ミシシッピ州生れ。11歳の誕生日にギターをプレゼントされた。13歳の時にテネシー州メンフィスへ引っ越し、高校卒業後、トラック運転手として働いていた。
(右の写真)子供の頃のエルヴィス・プレスリー
・メンフィスのスタジオで自腹で歌を録音したことがきっかけで、サン・レコード社と契約。「ザッツ・オール・ライト」
(1954年)
でレコード・デビュー。1955年、RCAレコード社と契約。「ハートブレイク・ホテル」
(1956年)
が大ヒットし、ロックン・ロール歌手としてトップ・スターの地位に躍り出た。
(左の写真)1955年のエルヴィス・プレスリー
・映画製作者の
ハル・B・ウォリス
と契約。ワーナー・ブラザース社在籍時に
『カサブランカ』
(1943年)
等を製作し、当時は独立していた名プロデューサーである。
プレスリーは、
マーロン・ブランド
や
ジェームズ・ディーン
に憧れ、演技派を目指していたという。
『理由なき反抗』
のディーンの台詞は丸暗記していたとか。
(右の写真)ハル・B・ウォリスと
・『やさしく愛して』
(1956年)
… 銀幕デビュー作。南北戦争の頃に実在したギャングのリノ4兄弟を描いたミュージカル・タッチの西部劇。当初のタイトルは「
Rino Brothers
」だったが、公開前にリリースされた主題歌「やさしく愛して(
Love Me Tender
)」が大ヒットしたため、映画のタイトルも改められた。
・『さまよう青春』
(1957年)
… タイトル曲「
Loving You
」はレコードではB面となり、A面の「テディ・ベア」が大ヒットした。
『やさしく愛して』(1956年)
リチャード・イーガン(左)、デブラ・パジェットと
『さまよう青春』(1957年)
ドロレス・ハートと
・『監獄ロック』
(1957年)
… ターザン映画を数多く撮ったリチャード・ソープ監督の作品。映画完成の3日後にヒロイン役のジュディ・タイラーが交通事故で亡くなり、プレスリーは映画を 観ることが出来なかったという。主題歌「監獄ロック」は、AFI(アメリカ映画協会)が2004年に選定した「アメリカ映画主題歌ベスト100」で第21位に選出された。
・『闇に響く声』
(1958年)
… 『カサブランカ』等を撮った
マイケル・カーティス
監督の作品。批評家の評価も良く、プレスリー本人のお気に入りでもあった作品。主題歌は「冷たい女 (
Hard Headed Woman
)」。
『監獄ロック』(1957年)
ジュディ・タイラーと
『闇に響く声』(1958年)
ウォルター・マッソー(左)と
・当時のアメリカの徴兵制により、1958年3月から1960年3月まで陸軍で兵役に就いた。軍隊では空手を習った。
(左の写真)軍隊時代のエルヴィス・プレスリー
・『G.I.ブルース』
(1960年)
… 合計9作品で組むこととなったノーマン・タウログ監督との最初の作品。
・『燃える平原児』
(1960年)
… 『ダーティハリー』
(1971年)
のドン・シーゲル監督が撮った作品。
『G.I.ブルース』(1960年)
ジュリエット・プラウズと
『燃える平原児』(1960年)
バーバラ・イーデンと
・『嵐の季節』
(1961年)
… 『闇に響く声』と同様の非アイドル作品だが、批評家からは酷評された。
・『ブルー・ハワイ』
(1961年)
… 前作から一転、思いっきりアイドル路線のミュージカルで人気の高い作品に。
『嵐の季節』(1961年)
チューズデイ・ウェルドと
『ブルー・ハワイ』(1961年)
ジョーン・ブラックマンと
・『夢の渚』
(1962年)
… ロマンチック・コメディ作品。
・『恋のKOパンチ』
(1962年)
…
エドワード・G・ロビンソン
、
ベティ・デイビス
主演『倒れるまで』
(1937年)
のリメイク作。
『夢の渚』
(1962年)
アン・ヘルムと
『恋のKOパンチ』
(1962年)
★
カラー作品
チャールズ・ブロンソン
(左)と
・『ガール!ガール!ガール!』
(1962年) …
ハワイを舞台にした2作目。ゴールデン・グローブ賞の作品賞
(ミュージカル・コメディ部門)
にノミネートされた。
・『ヤング・ヤング・パレード』
(1963年) …
1962年にシアトルで開催された万国博覧会を舞台にした青春ドラマ。
『ガール!ガール!ガール!』
(1962年)
ローレル・グッドウィン(左)、
ステラ・スティーヴンス(中央)
『ヤング・ヤング・パレード』
(1963年)
ジョーン・オブライエン(左)と
・『アカプルコの海』
(1963年)
… リチャード・ソープ監督との2作目。
・『キッスン・カズン』
(1964年)
… プレスリーが1人2役に挑戦した作品。
『アカプルコの海』
(1963年)
ウルスラ・アンドレス
(左)、エルザ・カルデナス(右)
『キッスン・カズン』
(1964年)
イボンヌ・クレイグ(左)、パメラ・オースティン(右)
・『ラスベガス万才』
(1964年)
… 『錨を上げて』
(1945年)
、『アニーよ銃をとれ』
(1950年)
といったミュージカルの名作を撮ったジョージ・シドニー監督の作品。
・『青春カーニバル』
(1964年)
… 大女優
バーバラ・スタンウィック
と共演した作品。
『ラスベガス万才』
(1964年)
アン=マーグレットと
『青春カーニバル』
(1964年)
バーバラ・スタンウィックと
・兵役後、プレスリーは映画の撮影とレコーディングに明け暮れていた。1968年にTV番組「’68 カムバック・スペシャル」に出演するまで、TV出演は1960年5月の
フランク・シナトラ
司会の特別番組が最後であり、コンサートは1961年3月にハワイでおこなったきりだった。
(右の写真)1967年に結婚し、1973年に離婚したプリシラと
*
1961年3月のハワイ公演 … 日本軍の真珠湾攻撃で沈没した戦艦アリゾナとその乗務員を追悼するアリゾナ記念館の建設資金を調達するためのコンサート。
・彼のファンは映画館に足を運ばなければならない状況だったが、作品はマンネリ化したものであり、人気は下降の一途を辿った。それでも、契約に縛られていたので映画に出演し続けた。
(左の写真)妻のプリシラ、1人娘のリサ・マリーと
『フロリダ万才』(1965年)
『いかすぜ!この恋』(1965年)
『ハレム万才』(1965年)
『フランキーandジョニー』(1966年)
『ハワイアン・パラダイス』(1966年)
『カリフォルニア万才』(1966年)
『GO!GO!GO!』(1967年)
『ダブル・トラブル』(1967年)
『ブルー・マイアミ』(1967年)
『ステイ・アウェイ・ジョー』
(1968年)
『スピードウェイ』(1968年)
『バギー万才』(1968年)
『殺し屋の烙印』(1969年)
『トラブル・ウィズ・ガール』
(1969年)
『チェンジ・オブ・ハビット』
(1969年)
・1968年に放映されたTV番組「’68 カムバック・スペシャル」は、全米で視聴率42%、瞬間視聴率では70%という驚異的な数字を叩き出し、歌手エルヴィス・プレスリーの人気が衰えていないことを示した。
(右の写真)「’68 カムバック・スペシャル」
・映画出演の契約が終了したプレスリーはコンサート活動を再開。コンサートの模様やリハーサル、楽屋での風景を収めたドキュメンタリー映画『エルビス・オン・ステージ』
(1970年)
、ゴールデン・グローブ賞の最優秀ドキュメンタリー映画賞を受賞した『エルビス・オン・ツアー』
(1972年)
が製作された。
(左の写真)『エルビス・オン・ステージ』
・アカデミー賞を受賞した歌手の
ビング・クロスビー
やフランク・シナトラのように、俳優としても大きな成功を収めることは出来なかったが、フェロモンの塊のような歌声は未だに世界中の音楽ファンを魅了し続けている。
・
1977年
、
42歳
で他界。
< エルヴィス・プレスリー写真館 >
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