20世紀・シネマ・パラダ
イス
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欲望という名の電車
A Streetcar Named
Desire
監督:エリア・カザン
(1951年/アメリカ)
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◆ 浅ましき
欲望の成れの果て…
生まれ故郷のオリオールで高校の教師を務めていたブランチが、妹夫妻を訪ねてニューオーリンズへやって来た。ブランチは、両親の医療費や葬儀代など出費が
かさみ、実家の農園を失ったことを妹のステラに
打ち明けた。 |
ステラの夫スタンリーは、農園
の売却金があれば、その一部は自分のものだと主張し、農園に関する書類を見せるようブランチに詰め寄った。しかし、書類は全て農園を担保にした借金証書
だった。 |
スタンリーはブランチの上品ぶった態度が癇に障り、苛立って、赤ん坊を身籠っているステラ
に手を
上げることもあった。 |
そんな中、スタンリーの同僚のミッチがブランチに好意を寄せ、ブランチも純情で紳士的なミッチに好感を抱いていた。 |
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ブランチは、スタンリーのような野蛮人とは離婚するようステラに訴えたが、ステラは喧嘩を
してもスタンリーを愛しており、離れることが
出来なかった。
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ブランチはミッチとデートした。ブランチは若い時に自分の言動で夫を自殺に追い込んでし
まっ
た過去を打ち明けた。ミッチ 「お互いに伴侶が必要だ」。ブランチはプロポーズされた。
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そんな折、オリオールでのブランチの悪い評判を聞きつけたスタンリーがミッチに暴露してし
まった。
ブランチの誕生日パーティー。招待したミッチが姿を見せず、食卓は気まずい雰囲気になって
いた。ブランチのせいで夫婦仲がこじれたことに腹を立てていたスタンリーは、誕生日プレゼントだと言ってオリオールへの片道切符を差し出した。
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夫婦喧嘩の最中にステラが産気づき、2人は病院へ向かった。
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ブランチが泣き崩れているとミッチが訪ねて来た。オリオールでブランチの噂話の真偽を確
かめてきたと言う。ブランチは夫に死なれた侘しさを紛らすため、いかがわしいホテルで通りすがりの男を何人も相手にし、17歳の少年まで誘惑したために教
師をクビにな
り、町にも住めなくなったと白状した。ミッチが結婚する気など無くなったと言いながらも体を求めてきたので、ブランチは大声を出して彼を追い払った。
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元々不安定だったブランチの精神は崩壊寸前まで来ていた。そこへ、ステラを病院へ預けたス
タンリーが帰って来た…。
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『欲望という名の電車』 予告編
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◆ 主な出演者など
・大ヒットしたブロードウェイの舞台劇(1947年〜)の
映画化作品。舞台もエリア・カザンが監督を務め、ブランチを演じたジェシカ・タンディが
トニー賞の主演女優賞を受賞。原作者のテネシー・ウィリアムズがピューリッツアー賞(戯曲部門)を受
賞した。
(右の写真)ブロードウェイ劇のキャスト。左から、カール・マルデン、マーロン・ブランド、ジェシカ・タンディ、キム・ハンター
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・映画化に際し、ワーナー・ブラザース社がブランチ役に知名度の高いスター女優の起用を要
請。オリヴィア・デ・ハヴィランドが辞退し、ロンドンの舞台(1949年/監督:ローレンス・オリヴィエ)で
ブランチを演じたヴィ
ヴィアン・リーが起用された。(左の写真)撮影時。左から、カール・マルデン、キム・ハンター、エリア・カザン、マーロ
ン・ブランド、ヴィヴィアン・リー、テネシー・ウィリアムズ
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・舞台劇には当時の映画製作倫理規定(=ヘイズ・コード)
に抵触する内容があったため、脚本の変更を余儀なくされた。大きな変更は次の2点。まず、ブランチの死んだ夫が同性愛者だったという設定が削除された。そ
して、物語の最後の方でブランチがスタンリーにレイプされるシーンは、強姦を
ほのめかす程度にとどめられた。
(右の写真)マーロン・ブランド、ヴィヴィアン・リー
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・アカデミー賞では作品賞など12部門でノミネートされ、主演女優、助演男優、助演女
優、美術監督・装置(白黒部門)の4部門で受賞。映画出演2作目で本命視されていたマーロン・ブラ
ンドが受賞を逃し、演技賞4部門独占とはならなかったが、3部門で受賞したのは、本作と『ネットワーク』(1976年)だ
けである(2018年現在)。
ヴィヴィアン・リーとキム・ハンターは授賞式を欠席し、グリア・ガースンとベティ・デイビスが代理人としてオスカー像を受け取った。
(左の写真)アカデミー賞授賞式にて。カール・マルデン、プレゼンターのクレア・トレヴァー
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・AFI(アメリカ映画協会)が1998年に選定した「アメリカ映画100年ベスト
100」で第45位にランクイン。
2005年に選定した「アメリカ映画 名セリフ
ベスト100」で、スタンリーの「Stella! Hey, Stella! ステラ!、おい、ステラ!」
が第45位、ブランチの「I've always depended on the kindness of
strangers 私、いつも、見ず知らずの方のご好意に頼ってきましたの 」が第75位にランクイン。 |
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・映画の舞台となったニューオーリンズでは、今でも世界最古と言われている路面電車が
走っている。かつては「Desire」(欲望)という名の路面電車も本当に走っていたが、
映画が製作された当時、その路線はバスに変わっていたため、冒頭のシーンは当局の協力を得て撮影された。 |
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実
際に運行していた「欲望という名の電車」 |
ヴィ
ヴィアン・リー
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◆ ピック・アップ … キム・ハンター、カール・マルデン
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Kim Hunter
1922-2002 (アメリカ)
・1922年、ミシガン州生れ。フィルム・ノワール作品『The Seventh Victim』(1943
年)で銀幕デビュー。ヒロインを務めたイギリス映画『天国への階段』(1946年/監督:マイケル・パウエル & エメリック・プレスバーガー)が大ヒッ
トし、期待の新人女優として注目を集めた。 |
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『天国への階段』
(1946年)
デヴィッド・ニーヴンと |
『欲望という名の電車』(1951年)
マーロン・ブランドと
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・舞台「欲望という名の電車」(1947年)で
ブロードウェイ・デビューし、同作の映画版でアカデミー賞助演女優賞を受賞。その後の活躍が期待されたが、‟赤狩り”のブラックリストに名前が載り、メジャーの檜舞台から追放されてしまった。 |
・B級映画やTV、舞台で活動を続け、‟赤狩り”の犠牲者たちの名誉回復が進むなか、SF
映画の傑作『猿の惑星』(1968年)で、人間を援護するチンパンジーのジーラ博士に扮し、
メジャーに復帰。その後もTVを中心に晩年まで息長く活躍した。
(右の写真)『猿の惑星』 チャールトン・ヘスト
ンと
・2002年、79歳で他界。 |
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Karl Malden
1912-2009 (アメリカ)
・1912年、イリノイ州生れ。1937年、ブロードウェイでデビューし、キャ
ロル・ロンバード、チャールズ・ロートン主演の『They
Knew What They Wanted』(1940年)で銀幕デビューした。
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・『欲望という名の電車』で舞台と同じ役を演じてアカデミー賞助演男優賞を受賞。以後、助
演クラスながらも数々の名作、ヒット作に出演。 |
・1989年から1992年までアカデミー協会の会長を務めた。
(右の写真)『パットン大戦車軍団』(1970年/監督:フランクリン・J・シャフナー)ジョージ・C・スコットと
・2009年、97歳で他界。 |
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