・1907年、フランスのル・ペック生れ。本名は Jacques Tatischeff 。父親はロシア人で、母親はオランダ人だった。
祖父はロシアの貴族で、パリのロシア大使館に勤務している時に現地の女性との間で彼の父親を授かった。
・学生時代からテニスや乗馬などスポーツに熱を入れ、社会人になってからはセミプロのラグビー・チームに入っていた。その当時からスポーツ選手のモノマネやパントマイム芸で仲間を笑わせていたという。
・両親が経営していた絵画の額縁店を継ぐつもりでいたが、世界大恐慌の煽りを受け、その道を断念。1931年頃からミュージック・ホールの芸人となった。
・初出演の短編映画 『テニスのチャンピオン、オスカール』 (1932年) は未完でお蔵入りとなったが、ルネ・クレマン監督の 『左側に気をつけろ』 (1936年) 等、3本の短編映画に出演。初めて監督業に挑んだ 『Retour a terre 』 (1938年) は未完となった。
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