20世紀・シネマ・パラダ
イス
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巴里のアメリカ人
An American in Paris
監督:ヴィンセント・ミネリ
(1951年/アメリカ)
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◆ MGM社
ミュージカルの代表作
パリで画家として生計を立てているアメリカ人のジェリーは、友人のピアニストアダムを介し
て、ミュージック・ホールの人気歌手アンリと知り合った。 |
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ジェリーがモンマルトルの路上で絵を展示していると、アメリカ人の婦人ミロが絵を買い求めて
きた。お金持ちのミロは、絵よりもジェリーに興味を覚え、パトロンになると申し出た。 |
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ジェリーとミロはジャ
ズ・クラブへ出かけた。ジェリーは、その店に来ていたフランス人娘リズに一目惚れ。強引にダン
ス
に誘い、電話番号を聞き出した。 |
ミロは、ジェリーを画家として成功させることで囲い込もうと奔走していた。
リズは、ジェリーの強引さに腹を立てていたが、彼に猛アタックされてデートの約束をした。 |
リズは戦時中にレジスタンスだった両親を亡くして以来、アンリの家で養われ、彼から求愛
されていた。リズの躊躇いを知らないジェリーは、セーヌ川の畔で彼女に愛を語り、2人は唇を重ねた。
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アンリがアメリカの興行師からスカウトされ、リズは一緒に渡米しようとプロポーズされ
た。
ジェリーはミロから立派なアトリエを与えられ、3ヶ月後に個展を開催することになった。彼は忙しくなった創作活動の合間を縫って、リズとデートを重
ねていた。
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ジェリーはミロの存在、リズはアンリの存在を隠しながら交際していることに悩んでいた。ジェリーは、彼とリズの関係を知らないアンリに励まされ、リズ
に改めて愛を告白した。しかし、リズからアンリとの結婚話を打ち明けられ、ショックを受けたジェリーは彼女の前から立ち去った。
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自棄になったジェリーはミロを誘って美術学校の仮装パーティーへ出向いたが、事もあろう
にアンリとリズのカップルと出くわしてしまった…。
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『巴里のアメリカ人』 予告編
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◆ 主な出演者など
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・ジェリー役 … ジーン・ケリー
・リズ役 … レスリー・キャロン
・アンリ役 … ジョルジュ・ゲタリ
・ミロ役
… ニーナ・フォッシュ
・アダム役
… オスカー・レヴァント
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・作曲家のジョージ・ガーシュウィンが1928年に発表した「パリのアメリカ人」
をモチーフにした映画。全編に渡ってガーシュウィンの曲が使用されているが、彼は1937年に38歳の若さで亡くなっており、映画製作者のアーサー・フリードは、ガーシュウィンの兄で作詞家のアイラ・ガーシュウィンから楽曲の使
用許可を得て、アラン・ジェイ・ラーナーがストーリーを執筆した。
(右の写真)作曲家のジョージ・ガーシュウィン
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・リズ役は、バレエの素養があるフランス人女優のオディール・ヴェルソワ(女優マリナ・ヴラディの実姉)が第1候補だったが、フランスで舞台に出演していたレスリー・
キャロンをジーン・ケリーがスカウト。本作で華々しい銀幕デビューを果たした。
(左の写真)♬「我が愛はここに」をバックに踊るジーン・ケリーとレスリー・キャロン
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・アダム役には、ガーシュウィン兄弟と親交のあったオスカー・レヴァントが起用された。「ピ
アノ協奏曲へ調」
のシーンでは、1人で何役もこなして見せたが、実際にピアニスト、指揮者、作曲家、作家、司会者、俳優として活躍した多才な人物だった。本作撮影中、ス
タッフの間では、レスリー・キャロンと顔が似ていると評判だったとか。
(右の写真)♬「Tra-La-La」を唄うジーン・ケリー(左)、オスカー・レヴァント
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・アンリ役は、当初はもう少し年上の設定でモーリス・シュヴァリエが候補だったが、ブロードウェイの舞台に出演していた
ジョルジュ・ゲタリが抜擢された。ソロで「天国への階段」、ケリーとのデュエットで「ス・ワンダフル」
等を唄ったが、本作出演後は欧州の舞台を中心に活動したため、現在の日本で彼の姿が見られる映像は本作だけ。
(左の写真)♬「ス・ワンダフル 」を唄うジーン・ケリー(左)とジョルジュ・ゲタリ
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・クライマックスはラストの17分に及ぶダンス・シーン。デュフィ、マネ、ユトリロ、ル
ソー、ゴッホ、ロートレックの絵画の世界をイメージしたセットを作成するのに6週間を要し、その間、ヴィンセント・ミネリ監督は『可愛い配当』(1951年)を撮影し、ジーン・ケリーはダンサー達とリハーサルに励んだ。
(右の写真)ユトリロの絵画の人物に扮したジーン・ケリー
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・アカデミー賞の作品、脚本、撮影、
美術監督・装置、ミュージカル映画音楽、衣装デザインの6部門を受賞。カラー映画の作品賞受賞は、『風と
共に去りぬ』(1939年)以来の2作目だった。また、アーサー・フリードにアーヴィング・G・
タルバーグ賞、ジーン・ケリーに名誉賞が贈られた。
(左の写真)左から、レスリー・キャロン、ジーン・ケリー、ヴィンセント・ミネリ監督
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・AFI(アメリカ映画協会)が1998年に選定した
「アメリカ映画100年ベスト100」で第68位に。
・AFI(アメリカ映画協会)が2006年に選定した「ミュージカル映
画ベスト25」(2006年選定)で第9位に。
(右の写真)撮影時のレスリー・キャロンとジーン・ケリー
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◆ ピック・アップ … レスリー・キャロン
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Leslie Caron
1931- (フランス/アメリカ)
・1931年、フランス生れ。父親はフランス人、母親はアメリカ人。
・シャンゼリゼ・バレエ団のプリマドンナとして舞台に出演しているところをジーン・ケリーにスカウトされ、『巴里のアメリカ人』(1951年)で銀幕デビュー。
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・ミュージカルの人気スターとなり、『リリー』(1953
年)、『足ながおじさん』(1955年)、『恋の手ほどき』(1958年/監督:ヴィンセント・ミネリ)等でヒロインを務めた。 |
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『巴
里のアメリカ人』(1951年)
ジーン・ケリーと |
『リ
リー』(1953年)
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『足
ながおじさん』(1955年)
フレッド・アステアと |
『恋
の手ほどき』(1958年)
ルイ・ジュールダンと |
・『リリー』と『L型の部屋』(1962年/イギリス)で
2度アカデミー賞主演女優賞にノミネートされ、オスカーは逃したが、両作品で2度英アカデミー賞の主演女優賞を受賞した。
(右の写真)『L型の部屋』
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・1960年代以降は活動の拠点を欧州に移し、映画だけでなく舞台でも活躍。ソ連出身の世
界的な人気バレエダンサー、ミハイル・バリシニコフ、ルド
ルフ・ヌレエフとも共演した。 |
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『パリは燃えているか』
(1966年)
アラン・ドロンと
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『ショコラ』
(2000年)
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