20世紀・シネマ・パラダ
イス
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地上より永遠に
From Here to Eternity
監督:フレッド・ジンネマン
(1953年/アメリカ)
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◆ 軍隊の腐
敗した一面を描いたアカデミー賞受賞作品
1941年、ハワイのスコフィールド米軍基地。前の部隊で首席ラッパ手だったプルーイットが、伍長から上等兵に格下げされて転属して来た。 |
優秀なボクサーでもあったプ
ルーイットは、中隊長のホームズ大尉から、ボ
クシング部に入れば下士官(伍長以上)に昇進させると誘われた。しかし、練習相手を失明させてから、ボク
シングをやらないと誓っていたプ
ルーイットは誘いを断り、大尉の機嫌を損ねてしまった。見かねたウォーデン曹長がプルーイット
を説得したが、彼は意見を曲げなかった。 |
ホームズ大尉夫人のカレンは評
判の美人だが、夫婦の関係は冷えきっていた。 |
中隊のボクシング部は、ミドル級のプルーイットが加われば優勝を狙えるチームだった。優勝
すれば、大尉は少佐に昇進し、部員には10日間の特別休暇が付与される。ボクシング狂の大尉のおかげで下士官となっていた部員たちが、プルーイットを不当
にしごき始めた。 |
ウォーデン曹長は、大尉が不在の時間を見計らって大尉の自宅を訪ね、カレンと愛し合うよう
になった。
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休日。プルーイットは友人のアンジェロ・マジ
オと街のクラブへ繰り出し、ウォーデン曹長は人目を忍んでカレンとデートをした。
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マジオが営倉係のジャドソン
軍曹と口論し、殴り合いになりかけたが周囲が取り押さえた。
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カレンには、浮気相手を漁っているとの噂があった。ウォーデンがその事を問い詰めると、彼
女はホームズ大尉の浮気
と酒が原因で流産した上、子供を産めない体になったことを告白した。
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プルーイットはホステスのロリーンに一目惚れし、親しくなった。
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基地内でのプルーイットへの嫌がらせは日増しにエスカレートしていったが、彼は音を上げな
かった。痺
れを切らせたホームズ大尉が、プルーイットを軍法会議にかけろと言いだしたが、ウォーデン曹長が上手く立ち回り、回避させた。
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基地内の酒場でマジオとジャドソン
軍曹が喧嘩を始めた。軍曹がナイフを取り出したが、ウォーデン曹長が仲に入り、その場
を治めた。
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ウォーデン曹長の取り計らいで久しぶりに外出許可を得たプルーイットは、ロリーンに無理を言って店の外に誘い出し、少し遅れてマジオが合流した。
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マジオは職務を放棄して外出していた。泥酔したマジオはプルーイットが目を離した隙に、そ
ばを通りかかったMPに絡んで捕まってしまった。
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マジオは軍法会議の結果、6ヶ月の営倉入りとなった。営倉では因
縁の相手ジャドソン軍曹が手ぐすね引いて待っていた。
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休日。ロリーンが友人と住んでいる家に招かれたプルーイットはプ
ロポーズしたが、軍人とは結婚したくないと断わられた。
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ウォーデン曹長とカレンは人目を忍んでの逢瀬を重ねていた。
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ボクシング部員の下士官が挑発して来て、プルーイットと殴り合いになった。
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マジオが脱走した。ジャドソン軍曹に痛めつけられていた彼は、「あの巨体には気をつ
けろ」と言いながら息を引き取った。その夜、プルーイットは消灯ラッパを吹き、マジオを追悼した。
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プルーイットはジャドソン軍曹に決闘をけしかけ、マジオの敵を討ったが、自分も腹を刺され
てロリーンの家に逃
げ込んだ。
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ホームズ大尉がプルーイットへの不当な虐待により軍から追放され本国へ帰ることになった。
カレンはウォーデン曹長が自分への愛よりも軍隊での今の職務を優先したのを知っ
て去っていった。
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12月7日、日曜日の午前8時前。日本軍の戦闘機が急襲してきた。プルーイットはロリーン
の制止を振り切って基地へと向かったが…。
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『地上より永遠に』 予告編
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◆ 主な出演者など
・大ベストセラー小説「地上より永遠に」(1951年/
ジェームズ・ジョーンズ著)の映画化作品。それまで聖域とされていた軍隊内部の腐敗した一面を初めて描き、ハリウッドの良心を示したとされ
る社会派作品で、大ヒットを記録した。
(右の写真)左から、フランク・シナトラ、モンゴメリー・クリフト、デボラ・カー、バート・ランカスター、ジェーム
ズ・ジョーンズ、フレッド・ジンネマン |
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・第2次世界大戦中、陸軍通信隊の中尉として活躍した映画製作者のバディ・アドラーが交渉
し、必要不可欠だった米軍の協力を得ることが出来たが、米軍からの要請と映画倫理規定により、小説の内容を変更せざるを得ない箇所があった。そのため、原
作者の
ジェームズ・ジョーンズは、映画が清潔過ぎると不満だったとも言われている。
(左の写真)モンゴメリー・クリフト |
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バディ・アドラー …
1955年、20世紀FOX社に製作部長として招かれ、『慕情』(1955年)、『バス停留所』(1956年)等を製作。アービング・G・タルバーグ賞
(1957年)、セシル・B・デミル賞(1958年)を受賞した。
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・小説では、ロリーンは売春婦で、カレンはホームズ大尉から性病を感染させられて不妊
者となったという設定。軍隊内での同性愛の描写は全てカットされ、マジオが営倉内で虐待されるシーンは映像化されなかった上、トラックの荷台から落ちたこ
とが致
命傷となったとも思われる台詞が用意された。
(右の写真)バート・ランカスター
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・バート・ランカスターとデボラ・カーの浜辺でのキス・シーンは、映画史に残る名ラブ・
シーンとなった。撮影場所は人気の観光スポットとなり、『七年目の浮気』(1955年)等、多くの作品でパロディー化されたが、このシーンも映倫によって短くカットされたらしい。
(左の写真)バート・ランカスターとデボラ・カー |
・アカデミー賞では、12部門で13のノミネーション。 |
作品賞、監督賞、助演男優賞、助演
女優賞、脚色賞、撮影賞(白黒部門)、編集賞、録音賞の8部門で受賞。『風と共に去りぬ』(1939年)に
並ぶ最多受賞記録(当時)を打ち立てた。
(右の写真)アカデミー賞授賞式にて。左から、フレッド・ジンネマン、ドナ・リード、バ
ディ・アドラー(製作者)、ダニエル・タラダッシュ(脚本家)
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・演技賞部門では、主演男優(バート・ランカスターとモ
ンゴメリー・クリフト)、主演女優(デボラ・カー)、助演男
優賞(フランク・シナトラ)、助演女優賞(ドナ・リード)と
4部門で5人がノミネート。4部門全てで候補者を出したのは『ミニヴァー夫人』(1942年)以来、5人の候補者が選出されたのは 『イ
ヴの総て』(1950年)以
来の快挙だった。
(左の写真)左から、モンゴメリー・クリフト、バート・ランカスター、フランク・シナトラ
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・ダブル・ノミネートとなった主演男優賞は、米軍基地で長時間の訓練を受け、ボクシングや
トランペットを習うなど役作りに励んだモンゴメリー・クリフトが本命視されていたが、コロンビア社がバート・ランカスターの方をプッシュし、共倒れとなっ
た。受賞したのは『第十七捕虜収容』のウィリアム・ホールデンだった。
(右の写真)モンゴメリー・クリフト
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・人気が落ち目だったフランク・シナトラが、マジオの役を得るためにマフィアの手を借りた
という
有名なエピソードがあるが、実際は、当時の妻エヴァ・ガードナーがコロンビア社の社長ハリー・コーンに猛プッシュをした結果とも言われている。シナトラは、「他の誰よりもモンゴ
メリー・クリフトから演技について多くのことを学んだ」と語っている。
(左の写真)アカデミー賞授賞式にて。フランク・シナトラ、ドナ・リード
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・AFI(アメリカ映画協会)が1998年に選定した
「アメリカ映画100年ベスト100」で第52位。2002年に選定した「愛と情熱のアメリカ映画ベスト100」で第20位にランクイン。
(右の写真)デボラ・カー(左)、ドナ・リード
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