20世紀・シネマ・パラダ
イス
◆ ウィリア
ム・ホールデンがアカデミー賞を受賞
1944年12月。ドイツ軍の第17捕虜収容所。アメリカ空軍の軍曹ばかりが収容されてい
る第4兵舎から2人の捕虜が脱走した。同じ兵舎の仲間たちが成功を信じている中、ただ1人セフトン軍曹だ
けが失敗すると言い出し、賭けになった。ほどなくすると銃声が聞こえてきた。 |
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翌朝。兵舎の前に銃殺された2人の死体が放置されていた。「兵舎の中に情報を漏らし
たスパイがいるのでは?」。脱走が失敗することを予見していたセフトンが疑われ始めた。 |
ネズミの賭けレース、密造酒の製造・販売、望遠鏡による覗き(近くにロシア人女性の収容所がある)等々。セフトンは色々な商売をして稼いでおり、抜け目のない彼は、儲けの1
割をドイツ兵に渡し、商売を黙認させてもいた。 |
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もうすぐクリスマスというある日、将校のダン
バー中尉が仮収容されて来た。ダンバー中尉は捕虜となる前にドイツの軍用列車を爆破しており、皆から大歓迎された。しかし、将校試験に落第
したことのあ
るセフトンは、ダンバーに何かと言いがかりをつけた。 |
第4兵舎で隠し持っていたラジオが、監視役のシュ
ルツ軍曹に見つかり没収されてしまった。ドイツ兵を買収し、ロシア人女性の収容所に出入りしていたセフトンへの疑いが強まった。
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ダンバー中尉が収容所所長のシュルバッハに
連行された。ダンバー中尉が軍用列車を爆破したことを知っているのは第4兵舎の者だけだ。セフトンが売ったに違いない。彼への疑念は確信へと変り、セフト
ンは
皆に袋叩きにされた。
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セフトンはシュルツ軍曹を買収して本当のスパイの名を白状させようとしたが、その場を仲間
に見
られ、かえって疑念を強めてしまった。
ジュネーブ条約により赤十字の監察官が収容所を訪れ、捕虜たちはダンバー中尉が不当に連行されたと訴えた。監察官から注意を受けたシュルバッハ所長は、
ダンバー中尉
が列車を爆破した証拠を見つけるように指示を出した。
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クリスマス・イブ。セフトンは、第4兵舎の警務係でもあるプライスがシュルツ軍曹と内通していることを突き止めた。
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クリスマス。ダンバー中尉がベルリンへ移送されることになったと知った捕虜たちは、皆で協
力し
て彼を救出し、給水塔の中に隠した。
シュルバッハ所長は、24時間以内にダンバー中尉を発見できなければ兵舎を燃やすと警告した。誰かが危険を覚悟でダンバー中尉と脱走しなければならな
い。プライスが
その任務を引き受けると名乗りあげたが…。
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『第十七捕虜収容所』 予告編
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◆ 主な出演者など
・ブロードウェイで1年以上(1951年5月〜1952
年6月)のロングラン公演となった舞台劇の映画化作品で、原作者の1人が捕虜の役として出演している。… 妻から、「ある日、私そっ
くりの赤ん坊が家の前に捨てられていた」
という不倫をした事が明かな手紙を受け取りながらも、「信じるよ」と呟く捕虜の役。 |
・ストーリーとほぼ同じ時系列で撮影され、出演者たちは誰が本当のスパイかを知らされず
に撮影に臨んでいたという。コメディとしてもサスペンスとしても一級品である理由は、こうした撮影方法にもあるのかも知れない。 |
・映画監督としてのキャリアにほぼ専念していたオットー・プレミンジャーの収容所所長役、
ワイルダー監督の師匠エルンスト・ルビッチ監督の『生きるべきか死ぬべきか』(1942年)で
もナチス・ドイツの大佐役を演じたシグ・ルーマンの軍曹役など、映画ファンならニヤリとしてしまうキャスティングもビリー・ワイルダー監督ならでは。 |
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ウィリアム・ホールデン、
オットー・プレミンジャー
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シグ・ルーマン、ウィリア
ム・ホールデン
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・アカデミー賞の監督賞、主演男優賞、助演男優賞
(ロバート・ストラウス)の3部門でノミネートされ、ウィリアム・ホールデンが主演男優賞を受賞。ホールデンは、この年の同賞は、『地上より永遠に』のバート・ランカスターか、モンゴメリー・クリフトが相応しいと思っており、自分が受賞したのは『サンセット大通り』(1950年)で
受賞を逃したことの埋め合わせでもあると
思っていたという。尚、その1950年度の受賞者ホセ・フェラー (『シラノ・ド・ベルジュラック』 )が、ブロードウェイ劇「第十七捕虜収容所」の演出を務めていた。 |
◆ ピック・アップ … ドン・テイラー
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Don Taylor
1920-1998 (アメリカ)
・1920年、ペンシルベニア州生れ。ペンシルベニア州立大学で演劇を学び、1942年にMGM社と契約。端役で数本に出演した後、陸軍
航空隊に入隊し、軍務に就いた。
・戦後、『裸の町』(1948年)で注目を集め、『花嫁の父』(1950
年)、山口淑子のハリウッド・デビュー作『東は東』(1951年)等に出演した。 |
・1950年代後半からは監督に転身。『新・猿の惑星』(1971
年)、バート・ランカスター主演の
『ドクター・モローの島』(1977年)、ウィリアム・ホールデン主演の『オーメン2/ダミアン』(1978年)、カーク・ダグラス主演の
『ファイナル・カウントダウン』(1980年)等を撮った。
(右の写真)『明日泣く』(1955年)スーザン・ヘイワードと
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