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スタニスラフスキー・システム 〜 アメリカでの系譜

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  スタニスラフスキー・システム

 モスクワ芸術座を設立した1人でもあるロシアの演劇人コンスタンチン・スタニスラフスキー(1863〜1938年)が提唱した俳優の教育理論。
 (右の写真)
コンスタンチン・スタニスラフスキー
Konstantin_Stanislavski




  「アメリカン・ラボラトリー・シアター」(1923〜1933年)

 スタニスラフスキーに師事した後、アメリカへ渡った俳優のリチャード・ボレスラウスキー、マリア・オースペンスカヤが、ニューヨークで「アメリカン・ラボラトリー・シアター」を設立。演技法を教授した。

リチャード・ボレスラウスキー マリア・オースペンスカヤ
Richard_Boleslawski
Maria_Ouspenskaya

 映画監督として、マレーネ・ディートリッヒ主演の『沙漠の花園』(1936年)等を撮った。

 『孔雀夫人』(1936年)、『邂逅』(1939年)で2度アカデミー賞助演女優賞候補に。『哀愁』(1940年)等に出演。




  劇団「グループ・シアター」(1931〜1941年)

 「アメリカン・ラボラトリー・シアター」 で学んだリー・ストラスバーグ等3人が、ニューヨークで劇団「グループ・シアター」 を結成。スタニスラフスキー・システムを実践して成功を収めるも、メンバー間の軋轢や資金不足により解散した。共産主義に傾倒し、‟赤狩り”の時代に標的にされた人物が多く在籍していた。
  クリフォード・オデッツ(劇作家)、エリア・カザン(映画監督)、ジョン・ガーフィールドフランシス・ファーマーリー・J・コッブ等々。




 上記の流れを汲む次の3つの俳優養成所が有名で、数多くの名優を輩出している。それぞれの理論は異なるが、大元はスタニスラフスキー・システムである。

  「アクターズ・スタジオ」(1947年〜)

 エリア・カザン等、「グループ・シアター」の元メンバー3人が設立。
 演技指導者として加わったリー・ストラスバーグが、
スタニスラフスキー・システムを元に確立した「メソッド演技法」が有名。

  アル・パチーノ、ダスティン・ホフマン、ジャック・ニコルソン等々、数多くの名優を輩出している。
 (右の写真)リー・ストラスバーグ
Lee_Strasberg.

Lee_Strasberg-2
 リー・ストラスバーグ

 俳優としての映画出演はごく僅かながらも、『ゴッドファーザーPART U』(1974年)でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。
 (左の写真)
『ゴッドファーザーPART U』 アル・パチーノ(右)と


  「ステラ・アドラー演技スタジオ」(1949年〜)

 「グループ・シアター」に在籍していた女優で、スタニスラフスキー本人から直接指導を受けた数少ないアメリカ人の1人であるステラ・アドラーが設立。
 同スタジオを設立する前、ニュースクール・フォー・ソーシャル・リサーチ
(現在のニュースクール大学)のワークショップで教鞭を執っていた時の生徒にマーロン・ブランドがいる。ブランドは亡くなるまで「ステラ・アドラー演技スタジオ」の名誉会長だった。
 (右の写真) ステラ・アドラー
Stella_Adler
 ▶ ロバート・デ・ニーロ(後に「アクターズ・スタジオ」にも通った)ウォーレン・ベイティ等を輩出している。

Stella_Adler-2.
 ステラ・アドラー 

  映画出演は、『影なき男の影』(1941年)等、3作品のみ。
 (左の写真)『My Girl Tisa』(1948年)リリーパルマー(右)と

 * 『ピクニック』(1955年)等の監督ジョシュア・ローガンもスタニスラフスキー本人から直接指導を受けたアメリカ人。


  「ネイバーフッド・プレイハウス」(1928年〜)

 グループ・シアター」に在籍していたサンフォード・マイズナーが、1935年から演技指導者として参加。彼が、スタニスラフスキー・システムを元に確立した演技指導法「マイズナー・テクニック」が有名。

 
サンフォード・マイズナーは、「アクターズ・スタジオ」でも指導していたが、リー・ストラスバーグと対立して辞めた言われている。
  (右の写真)
サンフォード・マイズナー
Sanford_Meisner
 ▶ グレゴリー・ペックスティーブ・マックイーン、ロバート・デュバル等を輩出している。

Sanford_Meisner-
 サンフォード・マイズナー

  映画出演は、ジェニファー・ジョーンズ主演の『夜は帰って来ない』(1962年)等、3作品のみ。
 (左の写真)舞台「The Cold Wind and the Warm」(1958年)
スザンヌ・プレシェットと


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