20世紀・シネマ・パラダ イス

startbar
Warren_Beatty

ウォーレン・ベイティ

Warren Beatty

 
1937-     (アメリカ )

 

starbar

     代表作

Splendor_in_the_Grass  草原の輝き
 Splendor in the Grass
 (1961年/アメリカ)
Bonnie_and_Clyde  俺たちに明日はない
 
Bonnie and Clyde
 (1967年/アメリカ)
McCabe_&_Mrs._Miller  ギャンブラー
 McCabe & Mrs. Miller
  (1971年/アメリカ)
Shampoo  シャンプー
 Shampoo
 (1975年/アメリカ)
Heaven_Can_Wait  天国から来たチャンピオン
 Heaven Can Wait
 (1978年/アメリカ)
Reds  レッズ
 Reds
 (1981年/アメリカ)
Bugsy
 バグジー
 Bugsy
 (1991年/アメリカ)
Bulworth
 ブルワース
 Bulworth
 (1998年/アメリカ)

     ◆  ハリウッドきってのプレイボーイはマルチな才能の持ち主

 ・1937年、バージニア州生れ。子供の頃から映画が好きで、3歳年上の姉シャーリー・マクレーンと一緒によく映画館に足を運んでいたという。
 銀幕デビューした姉の活躍に刺激を受け、ノースウェスタン大学を中退し、ニューヨークのステラ・アドラー演技クラスで演技を学んだ。
 (右の写真) 子供の頃。姉のシャーリー・マクレーンと
Warren_Beatty-4.

A_Loss_of_Roses_1959
 ・1957年、TVドラマで俳優としてデビュー。ブロードウェイでのデビュー作 「A Loss of Roses (1959年) での演技で、トニー賞の助演男優賞にノミネートされた。
 (左の写真) 舞台 「A Loss of Roses 」 で、主役のキャロル・ヘイニーと

 ・『草原の輝き』 (1961年/監督:エリア・カザン で銀幕デビュー。ゴールデン・グローブ賞の主演男優賞にノミネートされ、同賞の新人賞を受賞した。
 (右の写真) 『草原の輝き』 ナタリー・ウッド
Splendor_in_the_Grass

The_Roman_Spring_of_Mrs_Stone
All_Fall_Down
Lilith
『ローマの哀愁』 (1961年)
ヴィヴィアン・リー

All Fall Down 』 (1962年)
エヴァ・マリー・セント
『リリス』 (1964年)
ジーン・セバーグと

Mickey_One
Promise_Her_Anything
Kaleidoscope
Mickey One
(1965年/監督:アーサー・ペン
『のぞき』 (1965年)
レスリー・キャロン
『カレードマン / 大胆不敵』 (1966年)
スザンナ・ヨークと


Bonnie_and_Clyde-2
 ・30歳の時に自ら製作、主演した 『俺たちに明日はない』 (1967年/監督:アーサー・ペン) が、若者たちから絶大な支持を受けて大ヒット。アメリカン・ニューシネマのブームを巻き起こした。
 アカデミー賞で、製作者、主演男優として2部門でノミネートされ、ハリウッドで確固たる地位を築いた。
 (左の写真) 『俺たちに明日はない』 フェイ・ダナウェーと

The_Only_Game_in_Town
McCabe_&_Mrs._Miller-2
『この愛にすべてを』 (1970年/監督:ジョージ・スティーヴンス
エリザベス・テイラー

『ギャンブラー』 (1971年/監督:ロバート・アルトマン)
ジュリー・クリスティと

Dollars
The_Parallax_View
『バンク・ジャック』 (1971年/監督:リチャード・ブルックス)
ゴールディ・ホーンと

『パララックス・ビュー』 (1974年/監督:アラン・J・パクラ)
ポーラ・プレンティスと


 ・『シャンプー』 (1975年/監督:ハル・アシュビー) では、製作、主演、脚本(共同) の3役をこなし、初めて執筆した脚本でアカデミー賞の脚本賞にノミネートされた。
Shampoo-2
The_Fortune
『シャンプー』 (1975年)
ジュリー・クリスティと

『おかしなレディ・キラー』 (1975年/監督:マイク・ニコルズ)
ジャック・ニコルソン(左)と


 ・『天国から来たチャンピオン』 (1978年) では、監督 (共同) にも初挑戦。アカデミー賞では、製作者(作品賞)、監督、
主演男優、脚本家(共同) として4部門でノミネートされ、『市民ケーン』 (1941年) オーソン・ウェルズ以来となる偉業を達成した。
 オスカー像を獲得することは出来なかったが、ゴールデン・グローブ賞の作品賞 (ミュージカル・コメディ部門)、主演男優賞を受賞した。
 『幽霊紐育を歩く』 (1941年) のリメイク作品。
 (右の写真) 『天国から来たチャンピオン』 ジュリー・クリスティと
Heaven_Can_Wait-2

Reds-2
 ・大作 『レッズ』 (1981年) を発表。1917年のロシア10月革命のルポルタージュ 「世界を揺るがした10日間」 (1919年出版) を執筆した米国人ジャーナリスト、ジョン・リードの半生を描いた作品。前作の 『天国から来た〜』 に引き続き、4役全てでアカデミー賞にノミネートされ、監督賞を受賞した。
 (左の写真) 『レッズ』 ダイアン・キートンと

 ・『レッズ』 の製作で疲労困憊したのか、あるいは達成感が得られたからか、6年近くも銀幕から遠ざかった。

 ・『天国から来たチャンピオン』 の共同脚本家エレイン・メイが監督した 『イシュタール』 (1987年) で、まずは俳優として復帰し、『ディック・トレイシー』 (1990年) では、製作、監督、主演の3役をこなした。
Ishtar
Dick_Tracy
『イシュタール』 (1987年)
ダスティン・ホフマン(中央)、イザベル・アジャーニと

ディック・トレイシー』 (1990年)
マドンナと


 ・実在したギャングのベンジャミン・シーゲル (1906〜1947年) をモデルにした 『バグジー』 (1991年/監督:バリー・レヴィンソン) で、製作者として4度目、主演男優としても4度目のオスカー候補に。
 ゴールデン・グローブ賞の作品賞 (ドラマ部門) を受賞した。
 (右の写真) 『バグジー』 アネット・ベニングと
Bugsy-2

Love_Affair
 ・製作、出演した 『めぐり逢い』 (1994年) は、レオ・マッケリー監督の 『邂逅』 (1939年)、『めぐり逢い』(1957年) のリメイク作。特に、『邂逅』 (1939年)は、子供の頃からのお気に入りの作品だったという。
 敬愛していたキャサリン・ヘップバーンに自ら出演交渉して、約10年ぶりに銀幕復帰させた。
 (左の写真) 『めぐり逢い』 アネット・ベニングと

 ・製作、監督、脚本、主演の4役をこなした政治コメディ 『ブルワース』 (1998年) で、脚本家として4度目のオスカー候補に。
 (右の写真) 『ブルワース』 ハル・ベリーと
 

Bulworth-2

 ・『フォルテ』 (2001年) に出演後、再び銀幕から遠ざかった。そして、15年ぶりの 『ハリウッド・スキャンダル』 (2016年) も日本では劇場公開されず、すっかりご無沙汰の状況が続いている。
Town_&_Country
Rules_Don't_Apply
『フォルテ』 (2001年) * 出演のみ
ダイアン・キートンと
『ハリウッド・スキャンダル』 (2016年)
 * 製作、監督、脚本、出演


 ・2019年現在、出演した劇場用映画は23作品 (カメオ出演を除く) と寡作。彼が出演を辞退した作品には、『追憶』、『スティング』 (1973年)、『華麗なるギャツビー』 (1974年) 等、ロバート・レッドフォードの主演作品が多い。

 ・ハリウッドきってのプレイボーイとしてもその名を轟かせた。
Joan_Collins
 ・ジョーン・コリンズ … ベイティが銀幕デビューする前に交際していたイギリス人女優。彼女は自伝 (1978年出版) の中で、ベイティの子供を身籠ったが中絶したことを明らかにしている。
 
 ・ナタリー・ウッド … 銀幕デビュー作 『草原の輝き』(1961年) で共演後、デートする姿が度々目撃され、早くもプレイボーイぶりを発揮した。
 
Natalie_Wood
Leslie_Caron
 ・レスリー・キャロン … 『のぞき』(1965年) で共演。『何かいいことないか子猫チャン』 (1965年) は、ウディ・アレンがベイティの為に脚本を書いたが、製作者がキャロンの出演を拒んだため、ベイティも出演を取りやめ、ピーター・オトゥールが代わりに出演した。原題の 「What's New, Puussycat?」 は、ベイティがガールフレンドに電話する時の常套文句だったとか。
 ・カーリー・サイモン (シンガーソングライター) … 彼女の大ヒット曲 「うつろな愛」 (1972年) の歌詞は、ベイティの事だという説が有力。
 ‟うぬぼれてるわ きっとこの歌があなたのことだと思っているんでしょ そうでしょ…
Carly_Simon
Julie_Christie
 ・ジュリー・クリスティ … 長い間パートナーだったが、彼女が結婚して子供を産むことを嫌がっていたため、遂に結ばれなかった。
 パートナーシップ解消後も、『天国から来たチャンピオン』 (1978年) で共演する等、良好な関係を保っており、『レッズ』 (1981年) のヒロインの第1候補でもあった。
 ・ダイアン・キートン … 『レッズ』 (1981年) で共演した当時、私生活でも交際していた。破局後も良好な関係を保っており、『フォルテ』 (2001年) で再共演もした。
Diane_Keaton
 ・『イシュタール』 (1987年) で共演したイザベル・アジャーニ、『ディック・トレイシー』 (1990年) で共演したマドンナ等々、噂になった女性は枚挙にいとまがない…。
Annette_Bening
 ・1992年、54歳の時に、『バグジー』 (1991年) で共演したアネット・ベニングと結婚。天下のプレイボーイも遂に年貢を収めた。
 54、57、59、63歳の時に子供を授かっている。

 ・上記の通り、寡作の映画人であるが、製作者、主演男優、脚本家として各4回、監督として2回、合計14回もアカデミー賞にノミネートされている。
 (右の写真) 『レッズ』 (1981年) でアカデミー賞監督賞を受賞した時

 
・1998年、ヴェネツィア国際映画祭の栄誉金獅子賞を受賞。

 ・2000年、アカデミー賞のアービング・G・タルバーグ賞を受賞。
Warren_Beatty_1981
Warren_Beatty_1999  (左の写真) アービング・G・タルバーグ賞受賞時。
  プレゼンターを務めた親友のジャック・ニコルソン(右)と

 ・2007年、ゴールデン・グローブ賞のセシル・B・デミル賞を受賞。

 ・2008年、AFI (アメリカ映画協会) の生涯功労賞を受賞。授賞式のホストは、『ディック・トレイシー』 で共演したアル・パチーノが務めた。

 ・ 2017年、第89回 (2016年度) アカデミー賞授賞式で、フェイ・ダナウェーと共に作品賞のプレゼンターを務めた。『俺たちに明日はない』 の50周年を記念しての人選だったが、裏方のミスで受賞作品を間違えて発表するという前代未聞の大失態の当事者となってしまった。汚名返上とばかりに、翌 年の授賞式でも作品賞のプレゼンターを務めた。
89th_Academy_Awards
90th_Academy_Awards
第89回 (2016年度) アカデミー賞授賞式。フェイ・ダナウェーと 第90回 (2017年度) アカデミー賞授賞式。フェイ・ダナウェーと

Warren_Beatty-2
Warren_Beatty-3

HOME