20世紀・シネマ・パラダイス
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アーサー・ペン
Arthur Penn
1922-2010 (アメリカ)
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◆ 代表作
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奇跡の人
The Miracle Worker
(1962年/アメリカ)
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俺たちに明日はない Bonnie and Clyde
(1967年/アメリカ)
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アリスのレストラン
Alice's Restaurant
(1969年/アメリカ) |
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小さな巨人
Little Big Man
(1970年/アメリカ)
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◆ アメリカン・ニューシネマの旗手
・1922年、
ペンシルベニア州生れ。幼少期に両親が離婚し、母親とニューハンプシャー州に引っ越したが、父親が病気になったためペンシルベニア州に戻り、父親の時計修
理店を手伝いながら高校を卒業。1943年から3年間兵役に就き、除隊後、ノースカロライナ州のブラック・マウンテン大学で演劇を学んだ。 |
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・NBCテレビに入り、1953年から数多くのTVドラマを演出。西部開拓時代の無法者ビリー・ザ・キッドの生涯を描いた 『左きゝの拳銃』 (1958年) で映画監督デビュー。同作は欧州では人気を得たが、アメリカでは興行成績が振るわず、また、ワーナー・ブラザース社が作品を無断で編集したこともあり、ペン監督は暫らく映画界と距離を置くことになった。
(左の写真) 『左きゝの拳銃』 ポール・ニューマン
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・活動の場をブロードウェイに移し、ヘンリー・フォンダ主演の舞台劇 「Two for the Seesaw 」 (1958年) でトニー賞の演芸演出賞にノミネートされた。
(右の写真) 舞台劇 「Two for the Seesaw 」 リハーサル時。
アン・バンクロフト、ヘンリー・フォンダ(右)と
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・三重苦のヘレン・ケラーとサリヴァン先生の苦闘を描いた 「The Miracle Worker 」 (1959年) でトニー賞の演芸演出賞を受賞。同舞台の映画化作品 『奇跡の人』 (1962年)でアカデミー賞の監督賞に初ノミネート。受賞は逃したが、アン・バンクロフトに主演女優賞、パティ・デュークに助演女優賞をもたらした。
本作を撮った後、ブロードウェイに戻った。
(左の写真) 『奇跡の人』 撮影時。アン・バンクロフトと
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・次に、『大列車作戦』 (1965年) の撮影に臨んだが、主演のバート・ランカスターとの折り合いが悪く、ジョン・フランケンハイマー監督に交代させられた。 |
・ウォーレン・ベイティ主演の 『Mickey One 』 (1965年/日本未公開) を監督。親交のあった黒澤明監督の推薦により藤原釜足が出演した。
その後、マーロン・ブランド主演の 『逃亡地帯』 (1966年) を監督。社会派ドラマの佳作に仕上げた。
(右の写真) 『逃亡地帯』 撮影時。マーロン・ブランド(左)と
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・『俺たちに明日はない』 (1967年)でアメリカン・ニューシネマのブームを巻き起こし、映画史に名を残すことになった。あまりにも有名なラストの‟死の舞踏”。ボニーとクライドを葬った87発の弾丸は、アメリカ映画の新時代の扉をこじ開けた。アカデミー賞の監督賞にノミネートされた。
(左の写真) 『俺たちに明日はない』 撮影時。左から、ウォーレン・ベイティ、
フェイ・ダナウェー、ペン監督
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・『アリスのレストラン』 (1969年) で3度目のアカデミー賞監督賞候補に。
フォーク歌手ウッディ・ガスリーの息子で現代の吟遊詩人と呼ばれていたアーロ・ガスリーの唄 「アリスのレストランの大虐殺」 を元に製作された作品。アーロ・ガスリー本人が出演した。
(右の写真) 『アリスのレストラン』 撮影時。ペン監督(左) と アーロ・ガスリー(右)
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・ダスティン・ホフマン主演の 『小さな巨人』 (1970年) を監督。先住民に育てられた121歳の白人男性が語る西部開拓史。アメリカン・ニューシネマを代表する西部劇の1作に。
(左の写真) 『小さな巨人』 撮影時。ペン監督(左) と ダスティン・ホフマン(右)
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・ミュンヘン・オリンピックの記録映画 『時よとまれ、君は美しい / ミュンヘンの17日』 (1973年) の中の1篇、棒高跳び競技を記録した 「最も高く」 を監督。
その後、私立探偵もののサスペンス 『ナイトムーブス』 (1975年)、西部劇 『ミズーリ・ブレイク』 (1976年)、青春映画 『フォー・フレンズ / 4つの青春』 (1981年)、スパイ・アクション 『ターゲット』 (1985年)、サスペンス 『冬の嵐』 (1987年) 等を監督した。
(右の写真) 『ナイトムーブス』 撮影時。ジーン・ハックマン(後)と
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『ミズーリ・ブレイク』 撮影時。マーロン・ブランド(左)と
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『ターゲット』 撮影時。
マット・ディロン(左)、ジーン・ハックマン(中央)と
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・2007年、ベルリン国際映画祭の名誉金熊賞を受賞。
(左の写真) 2007年、ベルリン国際映画祭にて
・2010年、88歳で他界。
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