20世紀・シネマ・パラダ
イス
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奇跡の人
The Miracle Worker
監督:アーサー・ペン
(1962年/アメリカ)
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◆ 奇跡を起こしたサリヴァン先生とヘレン・ケラーの壮絶な2人3脚
アラバマ州タスカンビア。ケラー夫妻の赤児のヘ
レンが、病による高熱で視力、聴力、言葉を失ってしまった…。
数年後、意思を疎通する手段が無く、躾も受けずに育ったヘレンは、好き勝手に動き回り、一家の生活を振り回していた。 |
夫妻は方々を頼り、治療等を試みてきたが、全て徒労に終わっていた。父親のアーサーは半ば諦めており、(前妻との)息子のジェームズが
言うように、ヘレンを施設に入れた方が良いかもしれないと思っていた。母親のケイトにとっては
ヘレンは初めての子供であり、彼女と意思の疎通が出来るようになり、一緒に暮らし続けていくことを諦めきれないでいた。 |
夫妻はボストンのパーキンス盲学校の評判を聞きつけ、支援を要請した。数日後、家庭教師のアン・サリヴァンが派遣されて来た。彼女自身が視覚障害者 (弱視)
であり、学校を優秀な成績で卒業したとはいえ、教師の経験はなかった。 |
サリヴァンがお土産の人形を与え、‟D-O-L-L”
の指文字を教えると、ヘレンが手まねをした。その様子を見ていたジェームズは、ただの猿まねで意味は分かっていないと揶揄した。最初は猿ま
ねでも構わない。サリヴァンは繰り返し指文字を教えたが、何かを強制されることを嫌うヘレンに人形で顔を殴られ、奥歯を欠いてしまった。 |
ヘレンがサリヴァンを部屋に閉じ込めてしまった。ケイトがヘレンの洋服などを調
べ、鍵を探したが見つからず、サリヴァンは窓から梯子で外へ出た。サリヴァンが暫らく様子を見ていると、ヘレンは口の中から鍵を出し、井戸の中へ落とし
た。
ヘレンは賢い。サリヴァンは希望を見出していた。
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その日の夜。サリヴァンは悪い事と良い事があると教えようと試みたが、ヘレンは泣き顔と笑
い顔を猿まねするだけで、その意味を理解した様子は見られなかった。
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翌日の食事の時。ヘレンは食卓の周りを歩きながら、兄や母親の皿から食物を手掴みしては口
に運んでいた。こ
れが日常らしく、ケラー家の人々は普通にやり過ごしていた。ヘレンがサリヴァンの皿に手を伸ばした。サリヴァンがその手を払いのけ、取っ組み合いになっ
た。アーサーもケイトもサリヴァンを諫めた 。サリヴァンは教育の邪魔になると言って、皆を部屋の外に追い出した。
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椅子に座らせ、スプーンで食事をさせようとするサリヴァン。必死で反発するヘレン。2人の
壮絶なせめぎ合いは何時間も続いた…。 |
アーサーはサリヴァンの態度に腹を立て、クビにしようと言い出した。しかし、ヘレンが自分
でナプキンを畳んだと聞かされていたケイトは、サリヴァンに期待を寄せていた。
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サリヴァンは、過保護な両親と一緒では教育することが出来ないので、ヘレンと2人きりにさ
せてくれと直訴した。「ヘレンの悪いところは愛と哀れみを受けていることです…。ヘレンをペットのように扱っていますが、犬でも躾はします…」。
サリヴァンは2週間だけ、離れの小屋でヘレンと暮らすことを許可された。
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ヘレンが場所を察しないように、夫妻は馬車で遠回りをして彼女を離れの小屋に連れて行っ
た。
サリヴァンはヘレンを躾け、全ての物に名前があることを教えていった…。
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ヘレンに気づかれないように様子を見に来たアーサーとケイトは、ヘレンが自分で洋服を着た
り、きちんとナプキンをつけて食事をする様子を見て満足していた。
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2週間が経った。ヘレンがマナーを守るのは強制されたからであり、自制するまでには至って
いなかった。また、指文字も猿まねの域を脱しておらず、その意味を理解していなかった。
サリヴァンは期間の延長を願い出たが、ケラー夫妻は聞き入れなかった。
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帰宅して最初の食事の時、ヘレンがナプキンを払い落し、サリヴァンと取っ組み合いになっ
た。ヘレンが助けを求めて母親にしがみつくと、ケイトはヘレンを擁護した。「これくらいは大目に見てあげて 」。
サリヴァンの2週間の苦労は水泡に帰そうとしていた…。
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『奇跡の人』 予告編動画
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◆ 主な出演者など
・ヘレン・ケラー役 … パティ・デューク
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・アーサー・ケラー役
… ヴィクター・ジョリー
・ケイト・ケラー役 … インガー・スヴェンソン
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アン・サリヴァン (1866〜1936)
幼い頃に病気で視覚障害者となった。9歳の時に母親が亡くなり、足が不自由だった弟と一緒に施設に入れられ、弟は間もなく亡くなった。盲目となり、
14歳の時にパーキンス盲学校に入校。指文字を学び、数度の手術の結果、ある程度の視力を回復した。20歳の時にヘレン・ケラーの家庭教師となり、70歳
で
亡くなるまで彼女を支え続けた。
映画の中で弟を回想するシーンは、弱視だった彼女に合わせて画面をぼかしている。
(右の写真) アン・サリヴァン |
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ヘレン・ケラー (1880〜1968)
1歳半の時に病による高熱で3重苦となった。7歳の時にサリヴァン先生と出会い、指文字によって意思の疎通が出来るようになり、その後、パーキンス盲学
校や聾学校で学び、ラドクリフ・カレッジ (現:ハーバード大学) に入学・卒業した。
障害者の教育・福祉のための活動家として世界各地を歴訪し、日本にも3度 (1937、1948、1955年) 訪
れた。著書に 「わたしの生涯」、「わたしの宗教」 等がある。
(左の写真) ヘレン・ケラー
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ヘレン・ケラー と
サリヴァン先生
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左から、ポリー・トンプソ
ン、サリヴァン先生、
ヘレン・ケラー、チャップリン
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* ポリー・トンプソン (1885〜1960) … ヘレンの身の回りの世話をし、サリヴァン先生没後は彼女の代わりも務めた。
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・原題の 「The Miracle Worker 」 は
「奇跡を起こす人」 の意。小説 「トム・ソーヤーの冒険」、「ハックルベリー・フィンの冒険」 の作者マーク・トウェインが、サリヴァン先生のことを
「The Miracle Worker 」
と呼んだ最初の人物だと言われている。マーク・トウェインは、ヘレン・ケラーが大学教育を受けるための資金援助もしていたという。(右の写真) 手前右から時計回りに、マーク・トウェイン、ヘレン・ケラー、サリヴァン先生、ローレンス・ハットン(評論家)
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・1957年、脚本・戯曲家のウィリアム・ギブソンが、ヘレン・ケラーの
「わたしの生涯」 を元に脚本を執筆したTVドラマ 「The Miracle Worker 」 が放映された。監督はアーサー・ペン。主役のサリヴァン先生はテレサ・ライトが演じた。
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・1959年10月、ブロードウェイで舞台劇 「The Miracle
Worker 」 の公演がスタートし、1961年7月までのロングラン公演となった。
トニー賞の演劇作品賞、演劇演出賞 (アーサー・ペン)、演劇主演女優賞(アン・バンクロフト) 等、4部門で受賞した。
(左の写真) 映画 『奇跡の人』 撮影時。
アーサー・ペン監督(左) と舞台・映画の製作者のフレッド・コウ
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・映画化に際し、ユナイテッド・アーチスツ社はサリヴァン役に知名度の高い大スターの起用
を要望したが、アーサー・ペン監督が舞台で実績のあるアン・バンクロフトの起用を譲らなかった。 |
また、パティ・デュークは撮影時には14歳になっており、7歳のヘレン・ケラーを演じるに
は無理があるとの声もあったが、こちらも舞台での実績が評価されて起用された。ちなみに、本作の製作費は50万ドルだったが、UA社は、サリヴァン役がエリザベス・テイラーならば、予算を200万ドル (一説には500万ドルとも)にすると提案していたという。
(右の写真) パティ・デューク (左) と アン・バンクロフト
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・サリヴァン先生とヘレン・ケラーが食堂でせめぎ合う場面、8〜9分のシーンだが、撮影に
は5日間を要したという。アン・バンクロフトとパティ・デュークの体当たりの演技は圧巻だ。アーサー・ペン監督と言えば、『俺たちに明日はない』 (1967年) の‟死の舞踏” のシーンが有名だが、それに勝るとも劣らない迫力十分な名場面となっている。
(左の写真) アン・バンクロフト (左) とパティ・デューク
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・アカデミー賞では、監督賞、主演女優賞、助演女優賞、脚色賞、衣装デザイン(白黒部門)の5部門でノミネートさ |
れ、主演女優賞と助演女優賞の2部門で受賞。助演女優賞のパティ・デュークは感極まり、やっ
との思いで 「Thank You 」
の一言を述べた。主演女優賞のアン・バンクロフトは舞台出演のため授賞式を欠席。自ら代理人を名乗り出たジョーン・クロフォードが、因縁の相手ベティ・デイビスの目の前でオスカー像を受け取った。
(右の写真) アカデミー賞授賞式でのパティ・デューク
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・1979年、TVドラマとしてリメイクされ、パティ・デュークがサリヴァン先生を、大河
ドラマ 「大草原の小さな家」 の名子役メリッサ・ギルバートがヘレンを演じた。日本では劇場用映画として公開された。
・2006年、AFI (アメリカ映画協会) が選定した 「感動のアメリカ映画ベスト100」 で第15位に。
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◆ ギャラリー
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舞台 「奇跡の人」
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アン・バンクロフト と
パティ・デューク
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映画 『奇跡の人』
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アン・バンクロフト と
パティ・デューク |
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