20世紀・シ
ネマ・パラダイス
オードリー・ヘップバーン 写真館 A
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幻のハリウッド・デビュー作
『ローマの休日』(1953年/パラマウント社)でハリウッド・デビューする前、古代ローマを舞台にした史劇『クォ・ヴァディス』(1951年/MGM社)のカメラ・テスト等を受けたが落選。この役はデボラ・カーが演じた。
(左の写真)『クォ・ヴァディス』カメラ・テスト時 |
アンネ・フランクの父親と
『アンネの日記』(1959年)
への出演を辞退。年齢的に無理があり、感情的にも無理だと判断した。10代前半をナチス・ドイツ占領下のオランダで過ごし、多
くのユダヤ人やレジスタンス活動家が迫害されるのを目の当たりにしたオードリーにとって、同じオランダに住んでいた同じ年(1929年生)のアンネ・フランクは特別な存在だったようだ。
(右の写真)アンネの父親と彼の再婚相手と
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授賞式にはプレゼンターとしても度々登場。作品賞のプレゼンターを女優としては最多の4回務めた。
・1955年度 … 受賞作『マーティ』
・1960年度 … 受賞作『アパートの鍵貸します』
・1966年度 … 受賞作『わが命つきるとも』
・1975年度 … 受賞作『カッコーの巣の上で』
(右の写真)1955年度授賞式の舞台裏でグレース・ケリー(右)と |

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日本人のワダ・エミが、『乱』(1985年/監督:黒澤明)で衣装デザイン賞を受賞した時のプレゼンターもオードリーだった。
(左の写真)ワダ・エミ(左)と
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ファッション・リーダー
ヘップバーン・カット、サブリナ・パンツ等々が大流行。
多くの女性ファンが彼女のファッションに憧れた。 |
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ユベール・ド・ジバンシィ
『麗しのサブリナ』(1954年)以後、数多くの作品でオードリーの衣装を手掛け、彼女が亡くなるまで公私に渡り良き友人でもあった。
(右の写真)ユベール・ド・ジバンシィと |
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イーディス・ヘッド
『ローマの休日』(1953年)、『麗しのサブリナ』(1954年)でアカデミー賞衣装デザイン賞を受賞。『パリの恋人』(1957年)、『ティファニーで朝食を』(1961年)でも、ジバンシィと共にオードリーの衣装を手掛けた。
(左の写真)イーディス・ヘッド(左)、メル・ファーラーと |

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『緑の館』(1959年)撮影時
共演の早川雪洲 (右)のために和服姿を披露した。 |
1983年、初来日時 |
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フォトジェニック
映画だけでなく、数多くのファッション雑誌等に登場。
何人もの一流写真家とコラボした。 |
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ミルトン・H・グリーン … マリリン・モンローとのコラボで有名な写真家。モンローと一緒に、映画『王子と踊子』(1957年)を製作した。
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バド・フレーカー … 1940〜1960年代にかけて、パラマウント社の宣伝用写真部で活躍した写真家。
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バド・フレーカーと |
『麗しのサブリナ』(1954年)出演時 |

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『パリの恋人』(1957年)出演時
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『ティファニーで朝食を』(1961年)出演時 |
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『麗しのサブリナ』(1954年)撮影時 |
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マーク・ショウ … LIFE誌などで活躍した写真家。ジョン・F・ケネディ大統領夫妻を撮った写真が有名。
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ジャック・カーディフ … 映画のカメラマン。イギリスで『赤い靴』(1948年)等を撮影。ハリウッドに招かれ、オードリーの『戦争と平和』(1956年)等を撮影。シャーリー・マクレーンの『青い目の蝶々さん』(1962年)、アラン・ドロンの『あの胸にもう一度』(1968年)等を監督。2001年にアカデミー賞名誉賞を受賞した。
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リチャード・アヴェドン … ファッション写真の大家の1人。『パリの恋人』(1957年)でフレッド・アステアが扮したカメラマンのモデル。
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リチャード・アヴェドンと
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ボブ・ウィロビー … ハリウッド・スターやジャズ・ミュージシャンの舞台裏の表情を撮影した写真家。
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セシル・ビートン … イギリスを代表する写真家の1人。戦前から多くの著名人を撮影し、舞台や映画の美術、衣装デザインも手掛けた。『マイ・フェア・レディ』(1964年)でアカデミー賞の美術賞、衣装デザイン賞を受賞。生涯でトニー賞を4回、アカデミー賞を3回受賞した。
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セシル・ビートンと
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ダグラス・カークランド … ハリウッド・スターやファッション・デザイナーのココ・シャネルを撮影した写真家。
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ウィリアム・クライン … ニューヨーク、東京などの都市を撮影した巨匠の1人。キャリアの初期にファッション関連の写真も撮影した。
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マーク・ショウ
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リチャード・アヴェドン
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ボブ・ウィロビー
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セシル・ビートン
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