20世紀・シネマ・パラダイス

hearttbar
Lana_Turner

ラナ・ターナー

Lana Turner

 1921- 1995(アメリカ)

 

heartbar


   代表作

Honky_Tonk-3
The_Postman_Always_Rings_Twice
無法街
Honky Tonk
(1941年/アメリカ)
郵便配達は二度ベルを鳴らす
The Postman Always Rings Twice

(1946年/アメリカ)
The_Bad_and_the_Beautiful
Peyton_Place
悪人と美女
The Bad and the Beautiful
(1952年/アメリカ)
青春物語
Peyton Place
(1957年/アメリカ)


      あまりにもハリウッド的な私生活の果てに…

 ・1921年、アイダホ州生れ。本名はJulia Jean Turner。 6歳の時にサンフランシスコへ移住。両親は駆け落ちして結婚した仲だったが、父親が出奔し、母親が夜遅くまで働くようになった。まだ子供だった彼女は牛 乳とクラッカーだけで何日も過ごしたことが度々あったという。尚、父親はギャンブルで大金を手にした帰り道に殺されたが、事件は未解決のまま迷宮入りとなっている。彼女が15歳の時に母親が健康を害し、医師の勧めでロスアンゼルスに移住した。

 ・ハリウッド高校在学中、授業をサボってカフェでコーラを飲んでいる時に、業界誌「ハリウッド・リポーター」の創刊者ウィリアム・ウィルカーソンにスカウトされた。彼がタレント・エージェントのゼッポ・マルクスに紹介し、マルクスがワーナー・ブラザース社のマーヴィン・ルロイ監督に紹介。同監督の『They Won't Forget(1937年/主演:クロード・レインズで銀幕デビューした。(右の写真)『They Won't Forget』 左がラナ・ターナー They_Won't_Forget

They_Won't_Forget-2
 ・彼女の役は映画が始まってすぐに殺されてしまう女学生という小さなものだったが、ウィルカーソンが彼女を称賛する記事を書いた。その中に、彼女のセーターの下の豊満なバストについてのコメントがあったため、「セーター・ガール」の愛称で呼ばれるようになった。その後、数本に端役で出演。ルロイ監督がMGM社に引き抜かれた際、彼女も誘われ同社と契約を交わした。(左の写真)『They Won't Forget


最初の男性

 彼女の自伝によると、初体験は17歳の時。ハリウッドの著名人たちの顧問弁護士を務めていたグレッグ・バウツァーに操を捧げたが、ジョーン・クロフォードと2股をかけられていた事を知り、別れたという。
 この男性、「ハリウッドと浮気した男」という異名を持つプレイボーイで、ドロシー・ラムーアジンジャー・ロジャースなどとも浮名を流した。彼女は初めから男運が悪かったようだ。
 (右の写真)グレッグ・バウツァーと
Greg_Bautzer


最初の結婚(1940年)

Artie_Shaw  初の主演作『Dancing Co-ED(1939年)で共演したジャズのクラリネット奏者アーティ・ショウと結婚したが、僅か4ヶ月で離婚。彼女は妊娠したが中絶している。彼も生涯で8度結婚したプレイボーイで、ラナは3人目の妻だった。ちなみに5人目の妻はエヴァ・ガードナー
 (左の写真)
Dancing Co-ED』アーティ・ショウと

Ziegfeld_Girl
Dr._Jekyll_and_Mr._Hyde
『美人劇場』(1941年)
ジュディ・ガーランド(左)、ヘディ・ラマー(中央)と
『ジキル博士とハイド氏』(1941年)
イングリッド・バーグマン(左)、スペンサー・トレイシー

 ・演技の経験を重ねるにつれ、役柄もトントン拍子で大きくなっていった。まだ若い彼女には、26歳で亡くなったジーン・ハーローの後釜としての期待が掛けられていた。そして、MGM社のトップ・スター、クラーク・ゲーブルと初共演した『無法街』(1941年)が、その年のMGM社最大のヒット作となり、彼女は同社の看板女優の1人となった。
Honky_Tonk
Johnny_Eager
『無法街』(1941年)
クラーク・ゲーブルと

Johnny Eager(1941年/監督:マーヴィン・ルロイ)
ロバート・テイラー



2度目の結婚(1942〜1943年)、3度目の結婚(1943〜1944年)
 映画俳優でレストラン経営者のステファン・クレインと結婚。彼の前妻との離婚が成立していなかったため、結婚は無効とされたが、ラナが妊娠していたことが判明。彼の離婚が成立すると再結婚し、1943年7月に長女シェリルを授かったが、翌年に離婚した。
 (右の写真)ステファン・クレインと
Joseph_Stephen_Crane

The_Postman_Always_Rings_Twice-2
 ・『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1946年)が、その年のMGM社最大のヒット作に。彼女は愛人と共謀して自分の夫を殺害する悪女を演じ、新境地を開拓。本人のお気に入りの作品であり、1番の代表作ともなった。
 (左の写真)『郵便配達は二度ベルを鳴らす』 ジョン・ガーフィールド


実らなかったロマンス

 タイロン・パワーと恋愛関係に。タイロン・パワーはアナベラとの離婚が成立(1948年)する前だが、実質的には別れていた時期。
 ラナはタイロン・パワーの子供を身籠ったが、中絶(1947年の秋)したことを自伝で告白している。
 (右の写真)タイロン・パワーと
Tyrone_Power

Homecoming
The_Three_Musketeers
『帰郷』(1948年/監督:マーヴィン・ルロイ)
クラーク・ゲーブルと
『三銃士』(1948年)
ジーン・ケリー


4度目の結婚(1948〜1952年)
/Henry_J._Topping
 億万長者の投資家ヘンリー・J・トッピングと結婚したが、彼の飲酒、ギャンブル癖が原因で離婚。この間、彼女は自殺を図ったこともあったという。尚、彼の兄ダン・トッピングは、大リーグのニューヨーク・ヤンキースのオーナー(1945〜1969年)だった。
 (左の写真)
ヘンリー・J・トッピングと

 ・1940年代末には、ハリウッドで最高給取りの女優の1人となった。大ヒット作『悪人と美女』(1952年/監督:ヴィンセント・ミネリでの演技は批評家からも好評を博した。
 しかし、当時のMGM社は経営の曲がり角にあり、主演の歴史劇『Diane(1956年)が大赤字となると、契約を打ち切られてしまった。
 (右の写真)『悪人と美女』 カーク・ダグラス
The_Bad_and_the_Beautiful


5度目の結婚(1953〜1957年)
Lex_Barker  俳優のレックス・バーカーと結婚。ジョニー・ワイズミューラーの後釜として‟ターザン”を演じた俳優。ラナは彼の子供を死産している。
 レックスが娘のシェリルをレイプし、その事を知ったラナが拳銃を突きつけてレックスを家から追い出したという。
 (左の写真) レックス・バーカーと

 ・20世紀FOX社で『青春物語』(1957年)に出演。女子高生の母親を演じ、初めてアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。
 尚、本作は、アカデミー賞において作品賞等ノミネートされた9部門で全敗という最多記録(当時)を樹立した。
 (右の写真)『青春物語』 リー・フィリップスと
Peyton_Place-2

 ・1958年4月、彼女の愛人が彼女の娘シェリルに殺されるという事件が発生し、一大スキャンダルとなった。(詳細はこちら

 ・MGM社からお払い箱にされた彼女は、『青春物語』の出演料を叩かれたが、興行収益の何%かを受け取るオプション契約を交わしていた。 1957年12月に公開された『青春物語』は、アカデミー賞にノミネートされたこともあり、そこそこの興行成績で推移していたが、殺人事件発生後、急速に 客足が伸び、最終的に彼女のキャリアで最大のヒット作となった。

Imitation_of_Life
 ・事件後に出演した『悲しみは空の彼方に』(1959年/監督:ダグラス・サーク)も大ヒット。ラナはこの2作の歩合給として相当な金額を受け取ったという。男運は悪かったが、金運は良かったようだ。
 *『悲しみは空の彼方に』 … クローデット・コルベール主演『模倣の人生』(1934年)のリメイク作
 (左の写真)『悲しみは空の彼方に』


6度目の結婚(1960〜1962年)
 実業家のフレッド・メイと結婚。2年で離婚したが、離婚後も良好な友人関係だったという。
 (右の写真)フレッド・メイと
Frederick_C._May


7度目の結婚(1965〜1969年)
Robert_Eaton  実業家?のロバート・イートンと結婚。10歳年下だった彼の浮気が発覚して離婚。 
 (左の写真) ロバート・イートンと


8度目の結婚(1969〜1972年)
 最後の結婚。相手は自称催眠術師のロナルド・ダンテ。その正体はロナルド・ペラーという本名の詐欺師だった…。
 
(右の写真)ロナルド・ペラーと
Ronald_Pellar

 ・生涯で8度も結婚・離婚したラナ・ターナー。ご本人曰く、「1人の夫と7人の子供を持つことが理想だったけれど、それが逆になってしまったわ…

 ・劇場用映画への出演は『Witches' Brew(1980年)が最後となった。1970年以降はTVや舞台でも活動し、TVドラマ 「The Love Boat(1985年)に出演したのが女優としての最後の仕事となった。

 ・1982年、自伝を出版。

 ・1995年74歳で他界。

Lana_Turner-2
Lana_Turner-3


HOME