20世紀・シネマ・パラダ イス

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Marlon_Brando-2

マーロン・ブランド

Marlon Brando

 
1924-2004(アメリカ)

 

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 ・ デビュー以来、作品を厳選し、短期契約しか交わさない姿勢を貫いていたが、トラブル・メーカーとのレッテルを貼られ、俳優としての評価も後退。ユニヴァー サル社と5作品に出演する契約を交わしもしたが、この時期の作品はいずれも成功を収めることが出来ず、キャリアの停滞が続いた。
The Chase
A_Countess_from_Hong_Kong
『逃亡地帯』(1966年/監督:アーサー・ペン)
ロバート・レッドフォード(右)と

『伯爵夫人』(1967年/監督:チャールズ・チャップリン
ソフィア・ローレンと
Reflections_in_a_Golden_Eye
Candy
『禁じられた情事の森』 (1967年/監督:ジョン・ヒューストン
エリザベス・テイラー

『キャンディ』(1968年)
エヴァ・オーリンと


 ・人種差別の撤廃を訴え、キング牧師が有名な演説「I Have a Dream 〜 私には夢がある」をしたワシントン大行進(1963年)にも参加した。
 キング牧師が暗殺(1968年)されると、オファーを受けていた他の作品への出演を見合わせ、『ケマダの戦い』(1969年/伊・仏/監督:ジロ・ポンテコルヴォ)に出演。
 19世紀、ポルトガル領のケマダ島(架空の島)へ赴き、黒人奴隷たちによる革命を成就させるイギリス人を演じた。本人曰く「最高の演技をした」作品だが、興行的には失敗作となった。
  (右の写真)『ケマダの戦い』
Burn
 * 『アレンジメント/愛の旋律』(1969年/監督:エリア・カザン)、『明日に向かって撃て!』(1969年/監督:ジョージ・ロイ・ヒル)、『ライアンの娘』(1970年/監督:デヴィッド・リーン)の出演を見合わせたと言われている。

The_Godfather-2  ・『ゴッドファーザー』(1972年/監督:フランシス・フォード・コッポラ)が記録的な大ヒット。ブランドは、『片目のジャック』(1961年)で苦い思いをしたパラマウント社から屈辱的な条件を提示された上での出演だったが、マフィアのドンを演じて圧倒的な存在感を発揮。キャリアの復活を遂げ、最高の俳優との名声を不動のものとした。
 (右の写真)『ゴッドファーザー』

 ・『ゴッドファーザー』で自身2度目となるアカデミー賞主演男優賞に選出されるも、ハリウッドにおける先住民族に対する人種差別への抗議として受賞を拒否。物議をかもした。

 ・『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972年/監督:ベルナルド・ベルトルッチ)は、過激な性愛描写により世界各国でセンセーションを巻き起こした。
 イタリアでは公開4日で上映禁止となり、製作者、監督、主演のブランドとマリア・シュナイダーの4人は猥褻罪で有罪となった。過酷な撮影だったようで、ブランドは、「こんな映画は2度とごめんだ」と語ったという。
 アメリカでは一部カットされた修正版が1973年に上映され、ブランドはアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。
 (右の写真)『ラストタンゴ・イン・パリ』マリア・シュナイダーと
Last_Tango_in_Paris-2

The_Missouri_Breaks
 ・『ゴッドファーザー PARTU』(1974年)への出演を見合わせ、『ミズーリ・ブレイク』(1976年/監督:アーサー・ペン)で4年ぶりに銀幕復帰。
 (左の写真)『ミズーリ・ブレイク』 ジャック・ニコルソンと

 ・大ヒット作『スーパーマン』(1978年)で は、ブランドの要望により、彼の衣装の胸にも‟S”のマークが付けられた。
  冒頭の僅か20分弱の出演、ブランドにとっては朝飯前のような役柄にも関わらず、370万ドル+インセンティブのギャラを獲得。世界一ギャラの高い俳優と してギネスブックに載った。いつの頃からか、台詞を覚えないで撮影に臨む演技スタイルとなったが、同作の撮影時には、赤ん坊のオムツにも台詞が書かれて あったという。
 (右の写真)『スーパーマン』 スザンナ・ヨークと
Superman

Apocalypse_Now-
 ・『地獄の黙示録』(1979年/監督:フランシス・フォード・コッポラ)で は、役作りでコッポラ監督と衝突しながらも、狂気の世界に陥った軍人を怪演。
 客を呼べるスター、演技の巧い俳優は数多くいるが、ブランドほど映画に箔をつけることの出来 る俳優はいなかった。
 (左の写真)『地獄の黙示録』

 ・アカデミー賞の受賞を拒否した元祖の俳優ジョージ・C・スコットと共演した『ジェネシスを追え』(1980年/監督:ジョン・G・アヴィルドセン)に出演後、引退を表明した。
 (右の写真)『ジェネシスを追え』 ジョージ・C・スコット(左)と
The_Formula

 ・『スーパーマン』に出演した際、続編『スーパーマンU』(1981年)の撮影も済んでいたが、ブランドが前作のインセンティブが適正に支払われていないと訴えた上に、続編でも同じ条件でギャラを支払うことを要求したため製作サイドが彼の出演シーンの使用を断念した。

A_Dry_White_Season  ・『白く渇いた季節』(1989年)で 9年ぶりに銀幕復帰。メジャー会社では初の黒人女性監督となったユーザン・パルシーの作品。アパルトヘイトを題材にした作品の趣旨に共感したブランドは、僅か4,000ドルのギャラで人権派の弁護士を演じ、アカデミー賞助 演男優賞候補に。演技が衰えていないことを証した。
 (左の写真)『白く渇いた季節』

 ・『ゴッドファーザー』のドンを彷彿させる役を演じたコメディ『ドン・サバティーニ』(1990年) 、『ドンファン』(1995年)で共演したジョニー・デップの初監督作品『ブレイブ』(1997年)等に出演。『ゴッドファーザー PARTU』(1974年)で若き日のドンを演じたロバート・デ・ニーロと共演した『スコア』(2001年)が最後の劇場用映画となった。
 (右の写真)『スコア』 ロバート・デ・ニーロ(右)と
The_Score

You_Rock_My_World  ・次男のミコがマイケル・ジャクソンのボディガードだったことがきっかけでマイケルと親交を深め、ミュージック・ビデオ「You Rock My World(2001年)にもミコと一緒に出演した。
 (左の写真)「You Rock My World」撮影時。マイケル・ジャクソンと

 ・亡くなる1ヶ月前にアニメ映画『Big Bug Man』のキャラクター、サワー夫人の声をアフレコしたのが最後の仕事となった。ブランドは車椅子に座り、酸素呼吸器が必要な体だったが、キャラクターそっくりの金髪のカツラや手袋を着けて録音に臨み、「こんなに楽しいのは、 『ジュリアス・シーザー』 の時以来だ…」 と語っていたという。作品はお蔵入りとなり、未公開のままである(2018年現在)
 (右の写真)『Big Bug Man』のサワー夫人
Big_Bug_Man

 ・1994年に自伝「母が教えてくれた歌」を出版したが、私生活については謎が多い。前述の通り、3度結婚し、5人の子供を授かったが、2人目の妻との間の長女が生まれたのは離婚の4年後である。
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 更に、家政婦との間で3人の子供を授かったほか、養子が3人。合計11人の子供がいたことが確認されているが、その他にもいるとの説もある。1990年 には、次女タリタ・シャイアンの恋人が長男のクリスチャンに射殺されるという事件が発生。5年後にタリア・シャイアンが自殺するという不幸に見舞われた。
 (左の写真)右から、三男ミコ、長男クリスチャン、マーロン・ブランド。1990年

 ・2004年80歳で他界。肺呼吸による延命措置を拒否した上での最期だったという。

 ・1999年AFI(アメリカ映画協会)が選定した「伝説のスター・ベスト50」で、男優部門の第4位に選出。
 TIME誌が発表した「20世紀で最も影響力のある100人」にも選出されるなど、‟世界で最も称賛された俳優 ” (ブリタニカ百科事典)。
 (右の写真)1954年度のアカデミー賞授賞式にて。
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 ・2015年、ブランドが録音していたテープやホームビデオをもとに製作されたドキュメンタリー『Listen to Me Marlon 〜 マーロン・ブランドの肉声』が公開された。

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