20世紀・シネマ・パラダイス
ジョーン・ベネット
Joan Bennett
1910-1990(アメリカ)
◆
代表作
若草物語
Little Women
(1933年/アメリカ)
飾窓の女
The Woman in the Window
(1944年/アメリカ)
緋色の街/スカーレット・ストリート
Scarlet Street
(1945年/アメリカ)
花嫁の父
Father of the Bride
(1950年/アメリカ)
◆
イメージチェンジをして息長く活躍した人気女優
・
1910年
、ニュージャージー州にて、俳優だった両親の3女として生れた。父親のリチャード・ベネット主演の『
The Valley of Decision
』
(1916年)
で、6歳年上の長女コンスタンス、4歳年上の次女バーバラと共に銀幕デビュー。父親と共演したブロードウェイ・デビュー作「
Jarnegan
」
(1929年)
での演技は好評を博した。
(右の写真)姉のコンスタンス・ベネット (右) と
『ブルドッグ・ドラモンド』(1929年)
ロナルド・コールマン
と
『海の巨人』(1930年)
ジョン・バリモア
と
『愛の貸家』(1931年)
リュー・エアーズ
と
『金髪乱れて』(1932年)
スペンサー・トレイシー
と
・大ヒットした『若草物語』
(1933年/監督:
ジョージ・キューカー
)
で4女のエイミー役を好演したが、私生活では既に2度目の結婚をしており
(最初の結婚は16歳の時)
、1児の母親でもあった。
(左の写真)『若草物語』 左から、ジョーン・ベネット、ジーン・パーカー、
キャサリン・ヘップバーン
、フランシス・ディー
『ミシシッピ』(1935年)
ビング・クロスビー
と
『幸福は空から』(1936年)
ジョエル・マクリー
と
『結婚の贈り物』(1936年)
ケーリー・グラント
と
『再会』(1938年)
ヘンリー・フォンダ
と
・『貿易風』
(1938年)
出演時から金髪を黒髪に変え、従来のキュートな娘役の女優から大人の女性を演じる女優へとイメージチェンジに成功。そして、当作品の製作者ウォルター・ウェンジャーと1940年に3度目の結婚をした。
(右の写真)『貿易風』
フレドリック・マーチ
と
・
『風と共に去りぬ』
(1939年)
のスカーレット・オハラ役の最終候補の4人の1人でもあった。
・巨匠
フリッツ・ラング
監督のお気に入りの女優となり、『マン・ハント』
(1941年)
、『飾窓の女』
(1944年)
、『緋色の街/スカーレット・ストリート』
(1945年)
、『扉の陰の秘密』
(1947年)
に出演。これ等のフィルム・ノワール作品で演じた魔性の女は、彼女のキャリアのハイライトとなった。
『マン・ハント』
(1941年)
ウォルター・ピジョン
と
『飾窓の女』
(1944年)
エドワード・G・ロビンソン
と
『緋色の街/スカーレット・ストリート』
(1945年)
エドワード・G・ロビンソンと
『扉の陰の秘密』
(1947年)
マイケル・レッドグレイヴと
・『花嫁の父』
(1950年/監督:
ヴィンセント・ミネリ
)
とその続編『可愛い配当』
(1951年)
では、『若草物語』
(1949年/監督:
マーヴィン・ルロイ
)
で自身と同じエイミー役を演じた
エリザベス・テイラー
の母親に扮した。2人は同じ2月27日生れでもあった。
『花嫁の父』
(1950年)
スペンサー・トレイシー、エリザベス・テイラー(右)と
『可愛い配当』
(1951年)
エリザベス・テイラー(右)と
・1951年、夫のウォルター・ウェンジャーが、彼女のエージェントに発砲するという
スキャンダル
が発生した。ウェンジャーとは1965年に離婚し、1978年に4度目の結婚をした。
(左の写真)『俺たちは天使じゃない』(1955年/監督:
マイケル・カーティス
)
ハンフリー・ボガート
と
・1960年以降はTV出演が多くなり、劇場用映画は僅か3作品に出演しただけだった。最後の劇場用映画はイタリアのホラー映画『サスペリア』
(1977年)
。1982年のTVドラマ「
Divorce Wars: A Love Story
」が遺作となった。
(右の写真)『サスペリア』
・
1990年
、
80歳
で他界。
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