20世紀・シネマ・パラダ イス
グレゴ リー・ペック
Gregory Peck
1916-2003(アメリカ)
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『春風と百万紙幣』(1954年)
『夜の人々』(1954年)
・1955年、グレタと離婚。『ローマの休日』 の撮影でイタリアに入国する前にパリで知り合ったジャーナリストのヴェロニカ・パッサーニと再婚。男の子と女の子を授かり、ペックが亡くなるまで連れ添っ た。
(右の写真)2番目の妻ヴェロニカと
『紫の平原』(1954年)
『灰色の服を着た男』(1956年)
ジェニファー・ジョーンズ
と
『白鯨』(1956年/監督:
ジョン・ヒューストン
)
『バラの肌着』(1957年/監督:
ヴィンセント・ミネリ
)
ローレン・バコール
と
・大作ウエスタン
『大いなる西部』
(1958年)
では製作業にも進出。小説の映画化権を取得したペックが、
ウィリアム・ワイラー
に監督を要請し、ワイラーは共同製作者にもなった。
『無頼の群』(1958年/監督:ヘンリー・キング)
ジョーン・コリンズと
『大いなる西部』(1958年/監督:ウィリアム・ワイラー)
ジーン・シモンズ
と
・映画製作会社「メルヴィル・プロダクション」を設立。『勝利なき戦い』
(1959年/監督:
ルイス・マイルストーン
)
を 製作した。
『勝利なき戦い』
(1959年)
グレゴリー・ペック(右)
『悲愁』(1959年/監督:
ヴィンセント・ミネリ
)
デボラ・カー
と
・戦争アクション『ナバロンの要塞』
(1961年/監督:J・リー・トンプソン)
が、全米で年間興行成績第2位となる大ヒット。
『渚にて』(1959年/監督:
スタンリー・クレイマー
)
エヴァ・ガードナー
と
『ナバロンの要塞』(1961年)
グレゴリー・ペック(右から3番目)
・「メルヴィル・プロダクション」は、2作目『恐怖の岬』
(1962年/監督:J・リー・トンプソン)
の興行成績が芳しくなく解散。
『恐怖の岬』(1962年)
ロバート・ミッチャム
(右)と
『
西部開拓史』
(1962年)
デビー・レイノルズ
と
・黒人差別と闘う弁護士を演じた
『アラバマ物語』
(1962年/監督:ロバート・マリガン)
で、 13年ぶり5度目のアカデミー賞主演男優賞候補となり、念願のオスカーを獲得した。 カリフォルニア州出身の俳優で初の受賞者だった。
『アラバマ物語』(1962年)
ブロック・ピーターズ(右)と
アカデミー賞授賞式にて
プレゼンターのソフィア・ローレンと
アカデミー賞授賞式。
『ニューマンという男』(1963年)
アンジー・ディキンソン
と
『日曜日には鼠を殺せ』
(1964年/監督:
フレッド・ジンネマン
)
アンソニー・クイン
と
・実生活においても人望の厚いナイスガイで様々な要職に就任した。
・アカデミー協会会長(1967〜1970年)
・AFI(アメリカ映画協会)初代会長(1967〜1970年)
・アメリカ癌協会会長(1965年)
・映画テレビ救済基金会長(1971年) 等々。
『蜃気楼』(1965年)
ダイアン・ベイカーと
『アラベスク』(1966年/監督:
スタンリー・ドーネン
)
ソフィア・ローレンと
『レッド・ムーン』(1968年)
エヴァ・マリー・セント
と
『マッケンナの黄金』(1969年)
オマー・シャリフ(右)と
・リンドン・ジョンソン大統領
(民主党)
から大統領自由勲章を授けられた
(1969年)
他、数多くの名誉を授かった。
・アカデミー賞ジーン・ハーショルト友愛賞
(1968年)
・ゴールデン・グローブ賞のセシル・B・デミル賞(1969年)
・全米映画俳優組合生涯功労賞(1970年)
・AFI(アメリカ映画協会)生涯功労賞(1989年)
・ベルリン国際映画祭金熊名誉賞(1993年)
・国家芸術メダル(1998年) 等々。
『0の決死圏』(1969年)
『宇宙からの脱出』(1969年/監督:
ジョン・スタージェス
)
・ロナルド・レーガン
(共和党)
のカリフォルニア州知事2期目の選挙時には、対抗馬としてペックの出 馬を求める声が民主党員からあがった。ペックはニクソン大統領
(共和党)
のブラックリストに名前が記載されていたという。
『
I Walk the Line
』
(1970年/監督:ジョン・フランケンハイマー)
チューズデイ・ウェルドと
『新・ガンヒルの決闘』
(1971年/監督:
ヘンリー・ハサウェイ
)
ドーン・リンと
・1972年、ケイトンズヴィル事件の9人
(ベトナム戦争に抗議するため徴兵書類を焼き捨てた9人のカト リック信徒)
を題材とした映画『
The Trial of the Catonsville Nine
』を製作した。
『荒野のガンマン無宿』(1974年)
『オーメン』(1976年)
・1975年、長男の自殺という不幸に見舞われた。
『マッカーサー』(1977年)
『ブラジルから来た少年』(1978年)
・南北戦争を描いたTVドラマ「引き裂かれた祖国」
(1982 年)
でリンカーン大統領を演じた。ペックはリンカーンに関する1000冊もの蔵書を持つリンカーンの研究者としても知られていた。
『シーウルフ』(1980年)
TV「引き裂かれた祖国」(1982年)
・1987年、第2回東京国際映画祭の審査委員長として来日もした。
『サイレント・ボイス/愛 は虹にのせて』(1987年)
『私が愛したグリンゴ』(1989年)
ジェーン・フォンダと
・『岬の恐怖』
(1962年)
のリメイク作『ケープ・フィアー』
(1991年/監督:マーティン・スコセッシ)
に、旧作の共演者ロバート・ ミッチャム、マーティン・バルサムと共に出演。ペックが出演した最後の劇場用映画になった。
『アザー・ピープルズ・マ ネー』
(1991年/監督:ノーマン・ジュイソン)
『ケープ・フィアー』
(1991年)
ロバート・デ・ニーロ(右)と
・1996年に引退を宣言したが、TV ドラマ「白鯨 モビー・デック」
(1998年)
でカムバック。1956年の映画ではエイハブ船長を演じたが、TVではマップル神父を演じた。学生時代にスターバックを演じたこともあったという。自ら設立した製 作会社「メルヴィル・プロダクション」の社名はハーマン・メルヴィルから採ったのかな?演技者としては最後の仕事となった。
(右の写真)TV 「白鯨 モビー・デック」
・1999年、AFI(アメリカ映画協会)が選定した「伝説のス ター・ベスト50」で、男優部門の第12位に選出。
・晩年、各地を講演旅行し、その様子を収めたドキュメンタリー「
A Conversation with Gregory Peck
」
(2000年)
が全米でTV放映された。
(左の写真)「
A Conversation with Gregory Peck
」
・
2003年
、
87歳
で他界。
AFI(アメリカ映画協会)が選定した 「アメリカ映画のヒーロー・ベスト50」で、ペックが演じた『アラバマ物語』のアティカス・フィンチが見事第1位に。この発表のあった9日後に亡くなった。葬儀では、『アラバマ物語』で共演した黒人俳優のブロック・ピーターズが弔辞を述べた。
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