20世紀・シネマ・パラダ
イス
◆ ハワード・ホークス監督、ジョン・ウェイン主演の痛快西部劇
テキサス州リオ・ブラボーの酒場で、アル中のデュー
ドをならず者のジョーがからかい喧嘩になった。止めに入った男をジョーが撃ち殺
し、保安官のチャンスがジョーを逮捕した。 |
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ならず者たちが、隙あらばジョーを奪還しようと保安官事務所を遠巻きにした。ジョーの兄で
町のボス、ネイサンの指図だ。
チャンスの味方はデュードと足の不自由なスタンピー爺さんだけだ。
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チャンスの友人で幌馬車隊隊長のホイーラーが
助っ人を募ったが、チャンスは市民を巻き込む訳にはいかないと助力を拒んだ。
そんな折、チャンスは駅馬車の故障で足止めを食らった元イカサマ賭博師の女フェザーズと知り
合った。 |
その夜、ホイーラーが何者かに撃ち殺された。チャンスに協力しようとした為に狙われたの
だった…。
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ホイーラー殺しの犯人はデュードが始末した。デュードは失恋の痛手から酒に溺れていたが、
アルコール依存症を克服する自信を得た。
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ネイサンが乗り込んで来た。チャンスは牢屋が襲われたら討ち死に覚悟でジョーを始末すると
忠告した。ネイサンは酒場の楽団に 「皆殺しの歌」 を演奏させ、チャンスたちを挑発した。
フェザーズは駅馬車の運行が再開されてからも町に留まり、チャンスと惹かれ合っていった。
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見張りをしていたデュードが襲われ、不意を突かれたチャンスも窮地に立たされたが、幌馬車
隊の護衛をしていた早撃ち自慢の若者コロラドとフェザーズの助けを得て、ならず者たちを退治す
ることが出来た。そして、コロラドも保安官補となった。
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チャンスは司法執行官が町に着くまでの数日間、保安官事務所に籠城することにした。食料を
確保するため、チャンスとデュードはホテルへ向かったが、ならず者たちが潜伏していた。デュードが人質に取られ、チャンスも丸腰にされてしまった…。
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『リオ・ブラボー』 予告編動画
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◆ 主な出演者など
そんな弱腰な奴は保安 官の面汚しだ 」
ということで意気投合したハワード・ホークス監督とジョン・ウェインがタッグを組んだ作品。ジョン・ウェインの場合、『真昼の決闘』
の脚本家が、‟赤” のカール・フォアマンだったことも気に入らなかったようである。
(右の写真) 右から時計回りに、リッキー・ネルソン、ジョン・ウェイン、ホークス監督、
ディーン・マーティン、ウォルター・ブレナン
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・ホークス監督は失敗作となった 『ピラミッド』 (1955
年) 以後、休養を取得していたので4年ぶりの新作であり、ジョン・ウェインは 『捜索者』 (1956年) 以
後、敢えて非ウエスタンに出演していたが興行的に振るわず、3年ぶりの西部劇であった。そして、この2人が組むのは 『赤い河』 (1948年)
以来。ウェインは、『赤い河』 の主人公ダンソンの牧場マークが記されたバックルを着用していた。 (左の写真)
ハワード・ホークス監督(左) と ジョン・ウェイン
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『赤い河』 のベルトのバックル
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・デュード役は、『赤い河』 に出演したモンゴメリー・クリフトに断られた。『若き獅子たち』 (1958年) でクリフトと共演 |
中だったディーン・マーティンがその話を聞き、自らホークス監督に売り込んで役を得た。ウォ
ルター・ブレナン、ディミトリ・ティオムキン (作曲家) も 『赤い河』
のメンバー。同じく、『赤い河』 に出演したハリー・ケリー・ジュニアもキャスティングされた (オープニングで名前
が表示されている) が、ホークス監督とトラブルを起こし、出演シーンは全てカットされた。
(右の写真) ジョン・ウェイン(左) と ディーン・マーティン
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・本作のホークス監督、ジョン・ウェイン、リイ・ブラケット (脚本家) により、西部劇 『エル・ドラド』 (1966年)、
『リオ・ロボ』 (1970年) も作られた。『リオ・ロボ』は同監督最後の作品となった。
* リイ・ブラケット …
『三つ数えろ』(1946年)、『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』 (1980年)
等の脚本を執筆。
(左の写真) 『リオ・ロボ』 撮影時のジョン・ウェインとホークス監督
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◆ ピックアップ … リッキー・ネルソン、アンジー・ディキンソン
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Ricky Nelson
1948-1985 (アメリカ)
・ニュージャージー州にて、バンド・リーダー、俳優の父親と女優の母親の次男として生まれた。家族が主演の番組 「陽気なネルソン」 (ラジオ:1949年〜、TV:1952〜1966年) に出演し、お茶の間のアイドルとなった。
『三つの恋の物語』 (1953年) で銀幕デビュー。2作目の映画 『リオ・ブラボー』 (1959年) は俳優としての代表作となった。
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「陽気なネルソン」
右端がリッキー
両親と兄と
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『三つの恋の物語』
(1953年) * カラー作品
レスリー・キャロンと
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『リオ・ブラボー』
(1959年)
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1970年代のリッキー・
ネルソン
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・その後、ジャック・レモンと
共演した 『南太平洋ボロ船作戦』 (1960年)
等に出演したが、本人は演技よりも歌を好み、歌手としての活動が中心となった。
1957年にロック歌手としてデビューし、2曲の全米No.1ヒット 「プア・リトル・フール」 (1958年)、
「トラベリン・マン」 (1961年) を放った他、「ハロー・メリー・ルー」 (1961年) 等、生涯で全19曲をトップ10入りさせた。
1985年、飛行機事故により45歳で他界。1987年、ロックの殿堂入り。
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Angie Dickinson
1931- (アメリカ)
・
ノースダコタ州生れ。1953年、美人コンテストで準優勝したことがきっかけで、翌54年、TVに初出演して女優業をスタート。『リオ・ブラボー』
が出世作となり、ベビー・フェイスと抜群のプロポーションで人気を博した。銀幕での活動が少なかった1970年代は、TVドラマ 「女刑事ペパー」 (1974〜1978年) の主役として活躍し、『殺しのドレス』 (1980
年) で、再び銀幕でも脚光を浴びた。
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