20世紀・シネマ・パラダ
イス
◆ ジョン・
ウェインの人気を決定づけた傑作西部劇
1851年。カリフォルニアへ向かう幌馬車隊に同行していたダンソンと友人のグルートは、テキサスの北境
で隊から離れることにした。ダンソンは牧場主となる志を抱いており、うってつけの土地を見つけていた
のだ。
ダンソンの恋人のフェンが一緒に行きたいと懇願したが、「女には無理だ」
と断った。ダンソンは母の形見のブレスレットを差し出し、「いつか必ず迎えに行く」と別れを告げた。 |
ダンソンとグルートはレッド・リバーのほとりで野営することにした。川を渡ればテキサス
だ。振り返ると、幌馬車隊が向かった先から黒煙が立ち上っていた。インディアンに襲撃されたのだ。助けに行くには遠すぎる。2人はフェンの無事を祈るばか
り
だった。 |
その日の夜。インディアンが襲って来たが撃退した。始末した1人がブレスレットをはめてい
た。
やはりフェンは殺されたのだった。 |
翌朝。牛を連れた少年が現れた。幌馬車隊の生き残りだ。ダンソンはその少年マシュウを一緒に
連れて行くことにした。 |
テキサスを南下していた3人はリオ・グランデの地に着き、ここを牧場にすると決めた。 |
連れてき
た一つがいの牛に烙印を押している時、2人のメキシコ人が現れ、立ち退きを
迫った。ダンソンが拒むと相手は銃を抜いたが、早撃ちのダンソンに撃ち殺された。 |
ダンソンはこの地をテキサス一の牧場にすると誓った…。 |
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…14年後。南北戦争が終わり、出征していたマシュウが戻って来た。ダンソンは数千頭もの
牛を抱える大牧場主となっていたが、テキサスは不景気で商売が成り立たなくなっていた。ダンソンはミズーリまでキャトル・ドライヴ(=牛追い)をする決意
を固めた。
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ダンソンの話を聞きつけた近隣の牧場主ミーカーが、紛れ込んでい
る自分の牛を引き取りに来
た。ダンソンは牛を選別する時間が無いと拒み、無事に戻って来たら相応の代金を支払うと告げて折り合いをつけた。
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ミーカーの用心棒のチェリーが
ミズーリ行きを志願し、ダンソンに雇われることとなった。チェリーは早撃ち自慢で、その腕前はダンソン仕込みのマシュウと互角だった。
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出発前夜。皆が集う酒場に現れたダンソンは、同行者には途中で抜け出すことを認めないと語
り、契約書にサインを求めた。近隣の弱小牧場主たちの中にも同行を希望し、サインする者がいた。
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翌朝。牧場には9,000頭の牛とカウボーイたちが待機してい
た。
ダンソンがミズーリ行きを宣言すると、カウボーイたちが次々と雄叫びを上げ、1600キロに及ぶロング・ドライヴ(長距離の牛追い)が始まった。
※ 1600キロというと日本の本州よりも長い。
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1ヶ月が過ぎたある晩。調理人のケネリーが好物の砂糖をくすねようとした際に鍋をひっくり
返し
て
しまい、その音に驚いた牛たちが大暴走を起こした。この大暴走により、400頭の牛を失い、カウボーイのダンが命を落とした。
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翌朝。ダンソンがケネリーにムチ打ちの罰を与えようとした。ケネリーは思わず銃を抜こうと
したが、その手をマシュウが撃った。マシュウが撃たねば、ケネリーはダンソンに撃ち殺されるところだった。
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グルートがダンソンに声を掛けた。「あんたは間違ってい
る…」。
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2ヶ月が過ぎ、疲労が溜まってきた上に食材が底を突き始め、皆が
不満を募らせていた。ある
晩、傷だらけのカウボーイが流れてき
た。川を渡ったところでギャング団に襲われたのだという。彼によると、カンザスのアビリーンに鉄道が敷設されて
いるとの事だが、不確かな情報であり、ダンソンはミズーリ行きを変更しなかった。
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ついに3人が仕事から抜けると申し出て、ダンソンと対立した。撃ち合いとなり、マシュウと
チェリーがダンソンに加勢して3人は撃ち殺されたが、ダンソンも足を負傷した。マシュウはダンソンの強引さに不満をぶちまけた。
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その晩、見張りの3人が食糧や弾薬を盗んで逃亡した。ダンソンはチェリーに追跡を命じ、先
を急いだ。
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一行は漸くレッド・リバーに到着した。マシュウが「皆疲れている。川を渡るのは明日
にしよう」
と提案したが、ダンソンは聞き入れず、その日のうちに川を渡らせた。9,000頭を渡らせるのに4時間かかった。
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チェリーが逃亡した男たちを連れて戻って来た。ダンソンが彼等を
縛り首にすると言い出すと、
マシュウが立ちはだかった。
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ダンソンが銃を抜こうとしたが、チェリーがその手を撃った。マシュウが隊長となってアビ
リーンに向かうと宣言すると、グルートまでがダンソンのやり方に愛想を尽かしてマシュウに従った。
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ダンソン1人を残して出発することになった。別れ際、ダンソンが
マシュウに
告げた。「やはりお前は甘い。俺を生かしておけば、後で必ず追いついてお前を殺す」。
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マシュウたち一行は、ダンソンの影に怯えながらもアビリーンを目指していた。
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道中、コマンチ族に襲われていたネバダの幌馬車隊を助けた。
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マシュウは幌馬車隊にいたミレーと
恋に落ちた。しかし、かつてのダンソンと同様、恋人と別れて目的地へと出発した。
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足の怪我も癒え、仲間を得て後を追っていたダンソンが8日遅れで幌馬車隊の宿営地に着い
た。ダンソンの事を
聞き知っていたミレーは、話をしてダンソンが考えを変えなければ殺すつもりで銃を隠し持っていたが見破られてしまった。ミレーから同行を求められたダンソ
ンは承諾した。フェンの事を想い出していたのだ。
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マシュウたち一行は漸く鉄道に辿り着いた。アビリーンに到着したのは1865年8月14
日。リオ・グランデを出
発してから100日が過ぎていた。チザム交易路では初の快挙であり、町中から歓迎された
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アビリーンの商人メルビルが
牛を全頭を
買い取ると申し出た。テキサスでは1頭3セントだった牛が21ドルにもなった。その頃、ダンソンがマシュウたちから5時間程遅れて鉄道に辿り着いていた。
その日の夜。マシュウは牛の売買契約書にサインした。そして、ダンソンのために5万ドルの
小切手を用意させた。
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マシュウがホテルの部屋へ入るとミレーが待っており、ダンソンが殺しにやって来ると知らさ
れたが…。
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『赤い河』 予告編
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◆ 主な出演者など
ミレー役 |
チェリー役 |
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ジョアン・ドルー |
ジョン・アイアランド |
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・様々なジャンルで傑作を撮ったハ
ワード・ホークス監督が初めて手掛けた西部劇。1946年に撮影されたが、ハワード・ヒューズから『ならず者』(1943
年)の著作権を侵害した箇所があると提訴され、公開が2年ほど遅れた。『ならず者』は、当初はホークスが監督だったがヒューズと対立して降
板し、その後、ヒューズが自ら監督した作品。
(右の写真)左から、ジョン・ウェイン、ホークス監督、モンゴメリー・クリフト
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・ダンソン役は、ゲーリー・クー
パーが自分のイメージと合わないと辞退し、ジョン・ウェインがホークス監督作品に初めて起用された。
『駅馬車』(1939年)で人気スター
になったものの、その後は今ひとつ作品に恵まれていなかったジョン・ウェインだが、本作の大ヒットによりウエスタン・ヒーローとしての地位を不動のものと
した。 |
・マシュウ役のモンゴメリー・クリフトは映画初出演。ブロードウェイで若手の2枚目俳優と
して注目されており、ホークス監督にスカウトされての出演だったが、前述の通り本作は公開が遅れ、次に出演した『山河遥かなり』の方が先に公開された。
モンゴメリー・クリフトは、『真昼の決闘』(1952
年)、『シェーン』(1953
年)、ホークス監督とジョン・ウェインが再び組んだ『リオ・ブラボー』(1959年)といったウエスタンの名作への出演を辞退している。 |
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・ホークス監督作品のヒロインは総じて勝気であり、「ホーキシャン・ウーマン」と称せられ
たが、本作のミレーもまた然り。
ミレー役のジョアン・ドルーとチェリー役のジョン・アイアランドは、本作での共演後、1949年に結婚。『オール・ザ・キングスメン』(1949年)等では夫婦で共演もしたが、1957年に離婚した。 |
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左から、ジョン・アイアラ
ンド、モンゴメリー・クリフト、
ジョアン・ドルー |
『オール・ザ・キングスメ
ン』(1949年)
ジョアン・ドルー、ジョン・ア
イアランド |
・サイレント期の西部劇の大スター、ハリー・ケリー(メ
ルビル役)と息子のジュニア(ダン役)が、一緒のシーンはないものの親子で出演。ハ
リー・ケリーは本作公開の前年に亡くなり、最初で最後の親子共演となった。
(右の写真)左から、ジョン・ウェイン、モンゴメリー・クリフト、ハリー・ケリー・ジュニ
ア。牛の大暴走が始まる直前の場面に出演。
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・雑誌「サタデー・イヴニング・ポスト」
に掲載された原作では、ダンソンはアビリーンでチェリーに撃ち殺され、マシュウが彼の亡骸をテキサスに埋葬するというストーリーになっている。
(左の写真)ジョン・ウェイン、ジョン・アイアランド
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・アカデミー賞では不利とされる西部劇というジャンルで、大手スタジオの作品でもな
い
ため、原案賞、編集賞の2部門でノミネートされただけであった。
・AFI(アメリカ映画協会)が2008年に選定した「西部劇ベスト10」で第5位にランクイン。真っ当な評価を得た。
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◆ ギャラリー
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