20世紀・シネマ・パラダイス
グレゴリー・ペック 写真館
銀幕デビュー
(当時28歳)
『炎のロシア戦線/栄光の日々』(1944年)
アカデミー賞
『王国の鍵』(1944年)
主演男優賞ノミネート
『子鹿物語』(1946年)
主演男優賞ノミネート
『紳士協定』
(1947年)
主演男優賞ノミネート
『頭上の敵機』(1949年)
主演男優賞ノミネート
『アラバマ物語』
(1962年)
★
主演男優賞受賞
念願のオスカー像を手に
ハリウッドの仲間たちと
(左の写真)
『愛欲の十字路』(1951年)撮影時
ヘンリー・キング監督(右)と
… グレゴリー・ペックが最も多く組んだ監督
『頭上の敵機』(1949年)、『拳銃王』(1950年)、『愛欲の十字路』(1951年)、『キリマンジャロの雪』(1952年)、『無頼の群』(1958年)、『悲愁』(1959年)の6作品で組んだ。
(右の写真)
『0の決死圏』(1969年)撮影時
アン・ヘイウッド、J・リー・トンプソン監督と
… グレゴリー・ペックが2番目に多く組んだ監督
『ナバロンの要塞』(1961年)、
『恐怖の岬』(1962年)、
『マッケンナの黄金』(1969年)、
『0の決死圏』(1969年)の4作品で組んだ。
『アラベスク』(1966年)撮影時
(イギリスにて)
チャールズ・チャップリン
(左)、ソフィア・ローレンと
ゲーリー・クーパー
(右)と。デビュー時には、
「
第2のゲーリー・クーパー
」とも言われたいた。
ベティ・デイビス
と
ジョン・ウェイン
(右)と
左から、グレゴリー・ペック、ジョン・ウェイン、
モーリン・オハラ
、パット・オブライエン、
ワード・ボンド
左から、グレゴリー・ペック、モーリン・オハラ、
ジョン・ウェイン(後)、パット・オブライエン、
ワード・ボンド
(左の写真)ワード・ボンド(左)、モーリン・オハラと
*
ジョン・ウェイン、モーリン・オハラ、パット・オブライエン、ワード・ボンドとは、
ジョン・フォード
監督が演出した舞台「
What Price Glory
/ 栄光何するものぞ」(1949年/カリフォルニア)で共演した。
オリヴィア・デ・ハヴィランド
と
オリヴィア・デ・ハヴィランドと
左から、
バーバラ・スタンウィック
、
ジンジャー・ロジャース
、
グレゴリー・ペック、
ロバート・テイラー
左から、
ロック・ハドソン
、
ケーリー・グラント
、
マーロン・ブランド
、グレゴリー・ペック
ジュディ・ガーランド
と
ジーン・ケリー
(右)と
ジェームズ・ステュアート
(右)と
ポール・ニューマン
(右)と
(右の写真)
第13回(1955年度)ゴールデン・グローブ賞授賞式にて
ジーン・シモンズ
(左)
… 主演女優賞(コメディ・ミュージカル部門)
グレース・ケリー
(右) … ヘンリエッタ賞(女優)
(左の写真)
第60回(1987年度)アカデミー賞授賞式にて
オードリー・ヘップバーン
と脚色賞のプレゼンターを務めた。
栄誉の時
ジーン・ハーショルト友愛賞受賞時(1968年)
プレゼンターの
ロザリンド・ラッセル
と
AFI(アメリカ映画協会)生涯功労賞受賞時(1989年)
*
授賞式のホストはオードリー・ヘップバーンが務めた。
(右の写真)
ベルリン国際映画祭金熊名誉賞受賞時(1993年)
映画祭代表のモーリッツ・デ・ハデルン(左)と
(左の写真)
セザール賞の名誉賞受賞時(1995年)
プレゼンターの
アラン・ドロン
(左)と
(右の写真)
国家芸術メダル受賞時(1998年)
クリントン大統領夫妻と
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