20世紀・シネマ・パラダ イス

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Greer Garson

グリア・ ガースン

Greer Garson

 1904-1996 (イギリス/アメリカ)


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   代表作

Goodbye,_Mr._Chips-2 Pride_and_Prejudice
チップス先生さようなら
Goodbye, Mr. Chips
(1939年/イギリス・アメリカ)
高慢と偏見
Pride and Prejudice
(1940年/アメリカ)
Blossoms in the Dust Mrs._Miniver
塵に咲く花
Blossoms in the Dust

(1941年/アメリカ)
ミニヴァー夫人
Mrs. Miniver

(1942年/アメリカ)
Random_Harvest
Madame_Curie
心の旅路
Random Harvest
(1942年/アメリカ)
キュリー夫人
Madame Curie
(1943年/アメリカ)


    アカデミー賞主演女優賞に5年連続でノミネート

 ・1904年、ロンドン生れ。子供の頃から学業優秀で、特待生としてキング ス・カレッジ・ロンドンに入学。卒業後、フランスのグルノーブル大学に留学した。
 教師を目指していたが、帰国後、広告代理店で秘書として働きながら(ジョージ・サンダースが同僚だった) 演劇クラブに通い、1932年に舞台デ ビュー。その後、プロの役者となり、BBCがTV放映したシェークスピア劇「十二夜」(1937年)等に出演した。1933年に外交官と結婚したが、1943年に離婚した。 

 ・1938年、ロンドンで彼女の舞台を観たルイ ス・B・メイヤーにスカウトされ、MGM社と契約して渡米したが、出演作の企画が実現せず、一旦イギリスへ戻り、『チップス先生さようなら』(1939年/監督:サム・ウッドに出演。
 35歳の時の銀幕デビュー作で、アカデミー賞主演女優賞にノミネートもされ、人気スターとなった。
 (右の写真)『チップス先生さようなら』 ロバー ト・ドーナット
Goodbye,_Mr._Chips-3

 ・再渡米し、MGM社で、『Remember ?(1939年)、『高慢と偏見』(1940年)に出演。
/Remember
/Pride_and_Prejudice-2
Remember ?(1939年)
ロバート・テイラー
『高慢と偏見』(1940年)
ローレンス・ オリヴィエ

Blossoms in the Dust-2  ・婚外子など、恵まれない子供たちを支援した実在の人物に扮した 『塵に咲く花』(1941年/監督:マーヴィン・ルロイで、 2度目のアカデミー賞主演女優賞候補に。同作で初共演したウォルター・ピジョンとは人気コンビとなった。
 (左の写真)『塵に咲く花』 ウォルター・ピジョンと

 ・アカデミー賞作品賞を受賞した大ヒット作『ミニヴァー夫人』(1942年/監督:ウィリアム・ワイラーで、銃後の賢夫人を演じてアカデミー賞主演女優賞を受賞した。
 (右の写真)『ミニヴァー夫人』 ウォルター・ピジョンと
/Mrs._Miniver-2

Greer_Garson_Oscar  ・アカデミー賞授賞式で、最長記録となるスピーチをしたことも有名。
 実際のスピーチ時間は5分半あまりだったが、1時間近くも話をしたとも伝えられていた。
 (左の写真)主演男優賞のジェームズ・キャグニー

 ・同1942年には、メロドラマの古典的名作『心の旅路』(監督:マーヴィン・ルロイ)も大ヒットし、ハリウッドを代表するトップ女優の1人となった。
 (右の写真)『心の旅路』 ロナルド・コールマン
Random_Harvest-2

Madame_Curie-2
 ・『塵に咲く花』 のマーヴィン・ルロイ監督、ウォルター・ピジョン、グリア・ガースンが再集結した伝記映画の第2弾『キュリー夫人』(1943年)で、3年連続4度目のオスカー候補に。日本で戦後最初に公開されたアメリカ映画。
 (左の写真)『キュリー夫人』 ウォルター・ピジョンと

 ・1943年、『ミニヴァー夫人』 で、彼女の息子役を演じた12歳年下のリチャード・ネイと再婚。ファンを驚かせた結婚だったが、1947年に離婚した。
 (右の写真)2番目の夫リチャード・ネイと
Richard_Ney

Mrs._Parkington  ・ウォルター・ピジョンとの共演4作目『パーキントン夫人』(1944年)で、4年連続5度目のオスカー候補に。
 (左の写真)『パーキントン夫人』 ウォルター・ピジョンと

 ・『愛の決断』(1945年)で、5年連続6度目のオスカー候補に。アカデミー賞主演女優賞5年連続のノミネートは、ベティ・デイビス(1938年〜42年)と並ぶ最長記録である。
 (右の写真)『愛の決断』 グレゴリー・ペック
The_Valley_of_Decision

Adventure  ・グレタ・ガルボ(1941年引退)ノーマ・シアラー(1942年引退)ジーン・ハーロー(1937年他界)といった人気女優が去った後のMGM社の看板女優として大活躍し、戦後、‟キング”クラーク・ゲーブルの3年ぶりの銀幕復帰作で相手役も務めた。
 当時、MGM社は彼女の年齢を10歳もサバを読んでいたという。
 (左の写真)『冒険』(1945年/監督:ヴィクター・フレミング) クラーク・ゲーブルと

The_Miniver_Story Julius_Caesar
The Miniver Story』(1950年)
ウォルター・ピジョンと
『ジュリアス・シーザー』(1953年)
ルイス・カルハーン(左)、マーロン・ブランド


 ・1940年代後半になると主演作の興行成績が落ち込み、1954年にMGM社との契約が終 了した後はTVを中心に活動。1958年には、舞台の大ヒット作「メイム叔母さん」のタイトル・ロールをロザリンド・ラッセルから引き継ぐかたちでブロードウェイ・デビューを果たした。

 ・私生活では、1949年にテキサス州の大富豪(石油業者)と3度目の結婚。彼が亡くなるまで連れ添った。
 また、1951年にアメリカの市民権を取得した。
 (右の写真)3番目の夫バディ・フォゲルソンと
Buddy_Fogelson

Sunrise_at_Campobello  ・第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの伝記映画『ルーズベルト物語』(1960年)で、5年ぶりに銀幕復帰。
 小児麻痺を患った夫を支える妻を演じ、7度目のアカデミー賞主演女優賞候補となった。オスカーは逃したが、ゴールデン・グローブ賞の主演女優賞を受賞し た。
 (左の写真)『ルーズベルト物語』 ラルフ・ベラミーと

 ・劇場用映画への出演は、『最高にしあわせ』(1967年)が最後となった。ウォルト・ディズニーが最後に手掛けた実写映画でもある。
 その後もTVに出演したほか、後にヘンリー・フォンダキャ サリン・ヘップバーン主演で映画化もされた舞台劇「黄昏」(1979年)等の共同プロデューサーとしても活躍した。
 (右の写真)『最高にしあわせ』 フレッド・マクマレー
The_Happiest_Millionaire

 ・1996年91歳で他界。

Youtube
 グリア・ガースン トリビュート動画



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Greer Garson-3


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