20世紀・シネマ・パ ラダ イス

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        肉体の悪魔
         Le Diable au Corps
          監督:クロード・オータン=ララ
         (1947年/フランス)
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  ジェラール・フィリップの人気を決定づけた悲恋映画の傑作

 第1次世界大戦下のフランス。パリ近郊にあるクレベール高校の一角は、負傷兵のための臨時病院となっていた。
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 同 校の生徒フランソワは、病 院へ訪ねて来た年上の女性に心を奪われた。彼女の名はマルト看 護婦である母 親の手伝いに来たのだった。
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 翌日。登校時にマルトを発見したフランソワは、授業をサボって、連絡船で パリへ買物に行く彼女に同行した。
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 マ ルトには出征中の婚約者がいたが、フランソワは強引に昼食に誘い、買物につき合った。
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 母親が決めた結婚に元々乗り気でなかったマルトもフラン ソワに惹かれ、帰りの連絡船の上で2人は口づけを交わした。
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 桟橋にマルトの母親と婚約者が待っていた。マルトは手紙を書くと言い残してフランソワから 離れた。しかし、マルトがフランソワからプレゼントされた花束を持っていたこともあって、母親は娘が男性と一緒だったと感づいてしまった。
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 マルトたちは母親が用意した新居となるアパートへ向かった。こっそり後をつけていたフラン ソワが窓を見上げると、マルトと婚 約 者が抱き合うシルエットが映っていた…。
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 ◆
 主な出演者など

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フランソワ役 ジェラール・フィリッ プ
マルト役 … ミシュリーヌ・プレール
フランソワの父親役 … ジャン・ドビュクール
マルトの母親役 … デニーズ・グレイ

 ・夭折の天才作家レイモン・ラディケ(1903-1923年)が、16〜18歳の時に執筆 した処女作の映画化作品。
 当時24歳のジェラール・フィリップが、繊細な高校生の役を見事に演じて、世界的な人気スターとなった。
 (右の写真)撮影時のミシュリーヌ・プレール、ジェラール・フィリップ、クロード・オータン =ララ監督(右)
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 ・ジェラール・フィリップとミシュリーヌ・プレールは、実際は同年生まれだった。
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 フランスの女優の場合、1本の代表作によって日本のファンから愛され続けたケースが多い。 『巴里祭』(1933年)アナベラ、 『うたかたの恋』(1936年)ダ ニエル・ダリュー、『格子なき牢獄』(1938年)コリンヌ・リュシェール、『霧の波止場』(1938 年)ミシェル・モルガン、『ヘッドライト』(1955年)フランソワーズ・アルヌール等 々。そして、ミシュリーヌ・プレールもまた、本作により日本のファンから愛され続けた。

 ・ジェラール・フィリップとミシュリーヌ・プレールの美しさに、ただただウットリするばか り。2人は、『すべての道はローマへ』(1949年/フランス)、『Villa Borghese(1953年/イタリア)の2作品で再共演した。
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『すべての道はローマへ』(1949年) Villa Borghese(1953年)


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 ◆ 
ピック・アップ … ミシュリーヌ・プレール

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 Micheline Presle  1922-   (フランス)

 ・1922年、パリ生れ。修道院卒業後、『La fessee(1937年)で銀幕デ ビュー。当時の芸名はミシュリーヌ・ミシェルだった。

 ・ドイツの巨匠G・W・パブスト監督の『Jeunes filles en detresse(1939 年)での演技により、有望な新人女優に与えられるシュザンヌ・ビアンケッティ賞を受賞。同作の役名プレールを採り、以後、ミシュリーヌ・プ レールの芸名で活動 するようになった。

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『偽れる装い』(1945 年/監督:ジャック・ベッケル
『す べての道はローマへ』(1949年)
ジェラール・フィリップと

 ・『肉体の悪魔』が世界中で大ヒットし、フランスを代表する人気女優の1人となった。ハリ ウッドにも進出したが、あまり作品に恵まれなかった。
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『さすらいの涯』 (1950年/アメリカ)
ジョン・ガーフィールド
Americam Guerrilla in the Philippines 』(1950年/監督:フ リッツ・ラング
タイ ロン・パワー
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『ギャンブルの王様』 (1960年)
ジャン・ギャバン

『逆転』(1963年)
ポール・ニューマン


 ・2004年、セザール賞の名誉賞を受賞。
 (右の写真)セザール賞の名誉賞受賞時

 ・私生活では、ミシェル・モルガンと離 婚した米国人俳優・映画監督のウィリアム・マーシャルと1950年に結婚。娘のトニーを授かったが、1954年に離婚した。
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Tonie_Marshall
 ・娘のトニー・マーシャルは女優、映画監督となった。トニーが監督し、ミシュリーヌ・プ レールも出演した『エステサロン/ヴィーナス・ビューティ』(1999年)は、女性監督の作品としては初 めてセザール賞の作品賞を受賞。トニーは監督賞、脚本賞も受賞した。
 (左の写真) セザール賞の授賞式後。娘のトニー(右)と

 
・2020年、娘のトニー(享年68歳)に先立たれてしまった。



フランス映画界のレジェンドとなった3人の女優

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Micheline_Presle
左から、ミシェル・モルガ ン、
ミシュリーヌ・プレール、ダニエル・ダリュー

左から、ミシュリーヌ・プ レール(左)、
ダニエル・ダリュー、
ミシェル・モルガン


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