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映画界 事件&スキャンダルの歴史

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1951年
大物プロデューサー 妻の浮気相手に発砲

 映画製作者のウォルター・ウェンジャー。パラマウント社、コロンビア社を経て、1930年代後半に独立。
 ジョン・フォード監督の『駅馬車』(1939年)、『果てなき航路』(1940年)アルフレッド・ヒッチコック監督の『海外特派員』(1940年)フリッツ・ラング監督の『暗黒街の弾痕』(1937年)、『緋色の街/スカーレット・ストリート』(1945年)、『扉の陰の秘密』(1948年)等を製作し、1939年から1945年までアカデミー協会の会長を務めた大物製作者。
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 1940年、人気女優のジョーン・ベネットと結婚。
 1951年12月、ベネットと彼女の代理人が一緒にいる所へ拳銃を持って近づき、代理人の男性に2発発砲。太腿と股間に命中させ、ウェンジャーは4ヶ月の懲役を科せられた。
 (左の写真)ウォルター・ウェンジャー、ジョーン・ベネット
 

 ジョーン・ベネットは否定したが、ウォルター・ウェンジャーは妻の浮気の証拠を掴んでいたという。
 エロール・フリンもベネットとの浮気の嫌疑を受け、ウェンジャーに「殺すぞ 」と脅されたことがあったとか。
 (右の写真)ウォルター・ウェンジャー、ジョーン・ベネット
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 発砲事件の前、1948年度のアカデミー賞において、ウェンジャーに名誉賞が贈呈される運びとなったが、自身が製作したイングリッド・バーグマン主演の『ジャンヌ・ダーク』が作品賞のノミネートから漏れたことに憤慨したウェンジャーが名誉賞の受賞を拒否。賞の贈呈が取り止めになったとの逸話も残している。
 
(左の写真)ウォルター・ウェンジャー、ジョーン・ベネット

 出所後も、SF映画の傑作『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(1956年/監督:ドン・シーゲル)、専属契約をしていたスーザン・ヘイワードにオスカーをもたらした『私は死にたくない』(1958年)、エリザベス・テイラー主演の大作史劇『クレオパトラ』(1963年)等を製作した。
 尚、ウェンジャーとベネットは1965年に離婚した。
 
(右の写真)ウォルター・ウェンジャー、ジョーン・ベネット
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1952年
チャップリン アメリカを追われる


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1953年
政界も巻き込む一大スキャンダルとなった若き女優の謎の死 (イタリア)

 1953年4月11日、ローマからもほど近いトルヴァイアニカの浜辺で、駆け出しの女優ウィルマ・モンテシ(21歳)の死体が発見された。
 当初、警察は自殺と発表したが、彼女は婚約中であり、自殺を仄めかすような言動は全く無かったため、不審に思ったマスコミが騒ぎ始めた。
 やがて、彼女が破廉恥な(一説にはドラッグ&セックス)パーティーに参加していた疑惑が浮上。そのパーティーの主催者は作曲家のピエロ・ピッチオーニだった。
 * ピエロ・ピッチオーニ … ルキノ・ヴィスコンティベルナルド・ベルトルッチ等の映画音楽を手掛けた。 (右の写真)ウィルマ・モンテシ
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Alida_Valli  ピエロ・ピッチオーニがウィルマ・モンテシの死に関わっているのではないか?との騒動に発展し、彼の当時の恋人アリダ・ヴァリが、ピエロ・ピッチオーニのアリバイを証言するハメに。スキャンダルに巻き込まれたアリダ・ヴァリは、2年近く女優としての活動が出来なくなってしまった。
 (左の写真)アリダ・ヴァリ

 
スキャンダルは更に拡大。当時、外相を務めていたピエロ・ピッチオーニの父親が破廉恥なパーティーに参加していたことが発覚し、時の首相マリオ・シェルバ辞任に追い込まれた。

 イタリア中を騒がし、首相の辞任にまで発展した一大スキャンダルだったが、ウィルマ・モンテシの死因は解明されないまま迷宮入り。未解決事件のままとなっている。

 この事件で明るみに出た上流階級のふしだらな生活や、スキャンダルに狂騒するマスコミの姿は、フェデリコ・フェリーニ監督に『甘い生活』(1960年)を撮るインスピレーションを与えた。同作のラスト、浜辺に横たわる死んだ魚の姿は、当時の多くのイタリア人にウィルマ・モンテシの事を思い出させたという。同作からは‟パパラッチ”という言葉も生まれた。
 (右の写真)『甘い生活』 マルチェロ・マストロヤンニと魚の死体
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1953年
映倫マークなしで公開された『月蒼くして』 (アメリカ)

 ブロードウェイで大ヒットしたロマンチック・コメディ劇の映画化作品『月蒼くして』(監督:オットー・プレミンジャーが、MPAA(アメリカ製作者協会)から、映画製作倫理規定に抵触するため不承認とされた。婚前交渉を容認し、処女、妊娠、愛人といった言葉が何度も出てくるところが問題とされた。
 (右の写真)『月蒼くして』 ウィリアム・ホールデン、マギー・マクナマラ
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 不承認の決定に不服な製作サイドは、MPAAから脱退し、映倫マークなしで公開する手段に打って出た。まずは、シカゴにおいて「成人指定」で公開。その後、地域を拡大し、最終的には全米各地で一般公開された。
 (左の写真)『月蒼くして』 デヴィッド・ニーヴンマギー・マクナマラ

 公開禁止とする都市もあったが、作品は大ヒットし、時代にそぐわなくなっていた映倫規定が改定されるきっかけとなった。
 (右の写真)『月蒼くして』 左から、ウィリアム・ホールデン、マギー・マクナマラ、デヴィッド・ニーヴン
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MPAA  1953年度のアカデミー賞で、『月蒼くして』は主演女優賞など3部門でノミネートされたが、アカデミー協会はMPAAの顔を立てることも忘れなかった。長年、MPAAの代表を務め、『月蒼くして』 の公開後に退任していたジョゼフ・ブーリンに名誉賞が贈呈された。受賞の理由は、「映倫規定を良心的に、かつ大胆に運用した」だった。
 (左の画像) MPAAの映倫マーク


1955年
キートンの拳銃で自殺したギャグ・ライター (アメリカ)

 クライド・ブラックマン(1984-1955年)
 ロスアンゼルスでスポーツ記者をしていたが、1919年にギャグ・ライターとしてデビュー。スポーツ(特に野球)好きだったバスター・キートンに気に入られ、『滑稽恋愛三代記』、『荒武者キートン』(1923年)、『キートンの探偵学入門』、『海底王キートン』(1924年)、『キートンのセブン・チャンス』(1925年)でギャグ・ライター(共同)を務め、『キートン将軍』(1926年)では共同で監督も務めた。
 (右の写真)クライド・ブラックマン
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 売れっ子となり、「極楽コンビ」ローレル&ハーディの4本の短編映画、ハロルド・ロイドの初のトーキー作品『危険大歓迎』(1929年)、『ロイドの足が第一』(1930年)等を監督してヒットさせたが、大酒飲み(アルコール依存症だったとの説も)のブラックマンのせいで撮影が遅延することが度々あり、監督としては声が掛からなくなった。(左の写真)共同監督を務めた『キートン将軍』(1926年)

 トーキーの時代になるとドタバタ喜劇の人気は凋落したが、ブラックマンはコロンビア社の短編喜劇部門で脚本を執筆しており、当時不遇だったキートンがコロンビア社と契約するために尽力。キートンが同社で主演した『西部から来た厄介者』(1939年)等、6作品の脚本を執筆した。

 1942年、ブラックマンが脚本を執筆した三ばか大将の短編映画が、自作の盗作だとハロルド・ロイドに訴えられ、コロンビア社が敗訴。同社を追われたブラックマンはユニヴァーサル社に雇われたが、彼が脚本を執筆した3作品が盗作だと再びハロルド・ロイドに訴えられた。
 (右の写真)共同監督を務めた『ロイドの足が第一』(1930年)

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 ブラックマンはコロンビア社に再雇用されたが、この頃の彼の脚本は旧作の焼き直しばかりだったという。仕事の依頼も減り、窮状にあったブラックマンに救いの手を差し出したのはバスター・キートンだった。1950年にスタートしたTV番組「バスター・キートン・ショー」のシナリオライターの1人として雇われた。

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 「バスター・キートン・ショー」は僅か1年あまりで打ち切りとなったが、ブラックマンは‟凸凹コンビ”アボットとコステロのTV番組のシナリオライターとして雇われた。しかし、彼は旧作の焼き直しや盗作?を行い、またまたハロルド・ロイドに訴えられ、ギャグ・ライターとしてのキャリアに終止符を打たれた。
 (左の写真)‟凸凹コンビ”アボットとコステロ

 1955年1月4日。ほとんど無一文に近い状態でレストランに入ったブラックマンは、食後にトイレへ行き、拳銃で頭を撃って自殺した。享年60歳。その拳銃は、「今度狩猟旅行に行くから」と嘘をついて、バスター・キートンから借用したものだった。
 (右の写真)1920年代前半のキートン(左)とブラックマン
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 (注)後世の映画・演劇研究家の調べでは、ハロルド・ロイドが著作権を訴えたギャグ・シーンの中には、そもそもが当時人気のあったヴォードビル劇のギャグをロイドが借用したと思われるものもあったという。あのチャップリンですら盗作だと訴えられた(詳細はこちら)こともあり、著作権の問題は微妙ですね。それにしても、ロイドとブラックマンは過去に何かトラブルがあったのかな?


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