20世紀・シネマ・パラダ イス
クララ・ボ ウ
Clara Bow
1905-1965 (アメリカ)
◆
代表作
あれ
It
(1927年/アメリカ)
つばさ
Wings
(1927年/アメリカ)
◆
サイレント末期のセックス・シンボル
・
1905年
、ニューヨーク生れ。16歳の時に雑誌の美人コンテストで優勝し、翌年、銀幕デビュー。2作目の『船に打ち乗り海原指して』
(1922年)
で、脇役ながらも注目を集め、10作目の『酒』
(1924年)
で 初の主役に。
当時流行していた‟
フラッパー
”スタイルを代表する女優の1人として人気を博した。
(右の写真)『人罠』(1926年) アーネスト・トレンスと
・『あれ』
(1927年)
が大ヒット。原題の‟
IT
”(イット)は、「異性を引き付ける性的な魅力」といった意味。クララは、
IT
を備えたデパート・ガールを演じ、以後、
‟
IT GIRL
”
(イッ ト・ガール)と呼ばれるようになった。
(左の写真)『あれ』(1927年) ウィリアム・オースティンと
代表作『あれ』より
・『あれ』と同じ年、第1回アカデミー賞の作品賞を受賞し、大ヒットした
『つばさ』
のヒロインも務め、人気はピークに達した。
(右の写真)『つばさ』(1927年)
・恋多き女性だったようで、『人罠』、『フラ』
(1927年)
の
ヴィクター・フレミング
監督、『赤ちゃん母さん』
(1927 年)
で共演した
ゲーリー・クーパー
などと浮名を流した。
『人罠』撮影時 ヴィクター・フレミング監督と
『赤ちゃん母さん』 ゲーリー・クーパーと
・トーキーの時代になっても変わらぬ人気を保っていた。ハリウッドのセックス・シンボルと謳われ、最高給取りの女優の1人となったクララだったが…。
(左の写真)自身初のトーキー作品『底抜け騒ぎ』(1929年)
フレドリック・マーチ
と
・1930年、致命的な
スキャンダル
が発生。
ゴシップ記事の内容は殆どデタラメだったそうだが、精神的なダメージを受けた彼女は、俳優のレックス・ベルと結婚 し、ネバダ州の牧場に移り住んだ。
(右の写真)夫のレックス・ベルと
・まだ20代半ばの彼女は田舎の牧場に留まっていることが出来ず、『ミス・ダイナマイト』
(1932年)
で銀幕に復帰。再び、華やかなスポットライトを浴びた。だが、その後は『フープラ』
(1933年)
に出演しただけで、新たに契約する会社もなく、28歳の若さで引退を余儀なくされた。何度か復帰を試みたこ とがあったそうだが、それも叶わぬ夢と終わった。
(左の写真)『ミス・ダイナマイト』(1932年)
・引退後、2人の子供を授かったが、アルコールに浸ることが多くなり、一時期、精神病の療養施設に収容されていたという。施設から出た後は、ネバダ州の家族の元には帰らず、ロスアンゼルスで一人暮らしを送っていた。
・
1965年
、
60歳
で他界。
・貧しい家庭に生まれ育ち、父親はアルコール依存症で、母親は精神病院で亡くなっている。両親の悪いところばかりを受け継いでしまったようでもある。
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