20世紀・シネマ・パラダイス
映画界 事件&スキャンダルの歴史
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1932年
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新婚2ヶ月で自殺した? 人気女優の夫 (アメリカ) |
大富豪ハワード・ヒューズが製作した超大作『地獄の天使』(1930年)のヒロインに抜擢され、一躍人気女優となった ‟プラチナ・ブロンド”ことジーン・ハーロー。 |
ハーローの再婚相手である映画製作者のポール・バーンが、結婚して僅か2ヶ月後に、自宅の浴室でピストル自殺?をした。
(右の写真)ポール・バーンとジーン・ハーロー
「昨夜のことは、ほんの冗談だよ」 。死体のそばには、遺書のようなメモが置かれてあった。
ポール・バーンは性的不能者で、ハーローに異常な性行為を強要し、その自責の念で自殺した、というのが定説となっていた。 |
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ところが、MGM社でポール・バーンの同僚だったサミュエル・マルクスが、1990年に真相なるものを発表した。
サミュエル・マルクスによると、ポール・バーンは元妻(内縁)のドロシー・ミレットに殺害されたのだという。
ドロシー・ミレットは、ポール・バーンが亡くなる数日前まで精神病施設に入っており、ポール・バーンが亡くなった2日後に入水自殺をしている。
(左の写真)ドロシー・ミレット |
ポール・バーンが亡くなった日、サミュエル・マルクスは警察よりも先に現場に駆けつけており、同行していたアービング・G・タルバーグが、「昨夜のことは、ほんの冗談だよ」とのメモを、バーンの死体のそばに置くのを目撃したと主張している。メモは遺書ではなく、単なる夫婦喧嘩を詫びるメッセージ・カードだったという。
自社のドル箱スターをスキャンダルから守るための工作だったというが、これが真相ならば、新婚2ヶ月の幸福の真っ最中で殺害された上に、インポを苦にして自殺したとねつ造されたポール・バーンは浮かばれない。
(右の写真)ポール・バーンとジーン・ハーロー
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だが、殺人の証拠隠滅とも言えるリスクを冒した工作により、スキャンダルの度合いが小さくなったとも思えず、サミュエル・マルクスの説にも不自然さが残る。 |
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ハーローは16歳の時に駆け落ちして最初の結婚をしている。そんな女性が性的不能者と再婚したのか? ポール・バーン性的不能者説にも不自然さがある。
ジーン・ハーローは5年後、26歳の若さで亡くなった。この時も、ポール・バーンに腹を蹴られた時の傷が悪化したためだの、クリスチャン・サイエンスの信者だった母親の信仰心が死に至らしめただの、色々と騒がれた。
(左の写真)ポール・バーンの葬儀でのジーン・ハーロー
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1932年
| ハリウッドサインから投身自殺した女優 (アメリカ) |
カリフォルニア州ロサンゼルスのサンタモニカ丘陵リー山の一角にある「HOLLYWOOD」サイン。その‛H'の文字の上から、イギリス出身の若手女優が投身自殺をした。 |
女優の名はペグ・エントウィスル(1908-1932)。若干24歳だった。
幼い頃に母親を亡くし、8歳の時に家族でアメリカへ移住。その後、継母、父親も亡くなり、叔父に引き取られた。その叔父が舞台俳優のマネージャーをしていたことがきっかけで、17歳の時に舞台女優としてデビューした。
彼女と同年生れの大女優ベティ・デイビスは、デビュー前にペグの舞台を観て、彼女のようになりたいと思ったそうだ。 (右の写真)ペグ・エントウィスル |
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彼女の遺書には次のように書かれていた。
「私は怖い、私は臆病者です。すべての事にお詫びします。私がもっと前にこうしていたならば、多くの痛みを感じることはなかったでしょう」 |
ペグ・エントウィスルが出演した映画は、マーナ・ロイ主演の『Thirteen Women 』(1932年) の1作のみ。彼女の死後に公開された。
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* 「HOLLYWOOD」サイン。1923年に建設。1949年に修復された際に、「LAND」の文字が消された。 |
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2010年、SNS「Facebook」で募金活動が行われ、彼女の墓碑が建設された。
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