20世紀・シネマ・パラダ
イス


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スミス都へ行く
Mr. Smith Goes to
Washington
監督:フラン
ク・キャプラ
(1939年/アメリカ)
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◆ アメリカ
民主主義の良心を高らかに謳いあげた名匠キャプラの名作
ある州の上院議員が急死した。同州のもう1人の上院議員ジョー・ペインは、後任候補を誰にするかを、政財界の黒幕ジ
ム・テイラーと相談した。2人は地元のダム建設を巡り癒着している間柄であり、御し易い人間を後任とすることは死活問題であった。
(注)上院議員は各州2名 |

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ペインとテイラーは、ミラーを後任候補に指名するようホッパー州知事に圧力をかけた。ホッパーもテイラーの金の力で州知事となった身であり、従わざるを得な
かった。しかし、州の委員たちがミラーの指名に猛反発。委員たちは、ヒルを指名するようホッパーに迫った…。 |
困り果てたホッパーが帰宅すると、子供たちが口を揃えて、後任候
補はジェフ・スミスが良いと言う。スミスは地元少年団の団長で、青少年向けのローカル紙を発行
している子供たちの英雄だ。しかし、ホッパーはスミスの名前すら知らなかった。 |
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悩んだホッパーは、コインの表裏で、ミラーかヒルかを決めることにした。ところが、投じたコインは新聞に寄りかかって立ったまま。その新聞にジェフ・スミ
スの名前を見つけたホッパーの気持ちは決まった。ホッパーはスミスを後任候補に指名した。 |
後任候補指名の晩餐会。スミスは、「亡き父の親友であり、
理想の男であったペイン上院議員と一緒に働けることは光栄です…」とスピーチした。ペインは、スミスが亡き友人の息子であることを初めて知った。
晩餐会の最後には少年団が登場。スミスに鞄をプレンゼントした。 |
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ワシントンへ向かう車中、ペインがスミスの亡き父親との思い出を
語った。スミスの父親は小さな新聞社を経営しており、弁護士だったペインと一緒に ‛失われた大義
’の為に闘い、「双子の戦士」と呼ばれた間柄であった。だが、ある事件で大資本と闘っている時に、スミスの父親は背中を撃たれて亡くなったのだった…。
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ワシントンに到着したスミスは、ペインの娘とその友人たちに出迎えられたが、付き人のマギャン(テイラーの手下)が目を離した間に行方不明になった。彼は1人で市内観光バスに乗り、国会議事
堂やリンカーン記念館
などを見学していたのだった…。
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その頃、スミスの事務所では、秘書に任命されたサンダースが、馴染みの新聞記者ディズ・ムーアを
相手に愚痴をこぼしていた。「ガキ大将 (少年団団長スミスのこと)のお守りなんか引き受けるので
はなかったわ…」。政界の表裏を知り尽くした彼女は、仕事に嫌気がさしていたのだった。
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5時間も遅れて事務所へ到着したスミスは、リンカーン像を見た時の感動を語り、明日は初代大統領ワシントンゆかりの地であるマウント・バーノンへ行くと興
奮ぎみで話した。そんなスミスの姿は、擦れっ枯らしのサンダースの目には、ただの愛国者、何も知らない青二才としか映らなかった。
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ヤケ気味のサンダースが、独断でスミスの記者会見を開いた。スミスは、故郷に国立少年キャ
ンプ
場を作りたいとの抱負を語ったが、翌日の朝刊には彼のことを茶化した記事が出た。
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ボスのペインに呼び出されたサンダースは、辞職を申し出たが慰留
され、ボーナスの支給を条件に続投することにした。サンダースは、ダム建設の事はスミスに何も知らせるな、と釘を刺された…。
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スミスは上院議会へ初登庁した。彼が案内されたのは、かつてダニエル・ウェブスターが使用
していた席だった。
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宣誓式へ臨んだスミスは、朝刊を手にした野党議員から攻撃を受けたが、ペインが擁護して、
無事に宣誓を済ました。
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スミスは、自分を茶化した記事を書いた記者たちを次々と殴り飛ばし、記者クラブへ乗り込ん
だが、ディズ・ムーアら記者たちにやり込められてしまった。
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記者たちの言う通り、
ろくに法案も知らない自分は張子の虎だと自信を失くしたスミスは、ペインの所へ相談に行った。ペインから、国立少年キャンプ場の建設を法案にして提出する
ようにアドバイスを受け、ス
ミスは俄然やる気を取り戻した。
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事務所へ戻ったスミスは、法案を一晩で仕上げたいとサンダースに協力を願い出た。呆れたサ
ンダースは、法案を提出してから成立(もしくは廃案)するまでの気の遠くなるような過程を話して聞かせたが、一度火のついたスミスの情熱の炎は消えなかっ
た。アメリカの自由の尊さ、故郷の美しさ等について熱く語るスミスを見ているうちに、サンダースは彼を見直していったのだが…。
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翌日の議会で、スミスは緊張のあまり声を裏返しながらも法案を読み上げた。すると議場は歓
声と拍手に包まれた。だが、キャンプ場建設予定地はダムの予定地でもあった。ペインとマギャンは密かに対策を打ち合わせた…。
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スミスの事務所には、キャンプ場建設に賛同する多くの子供たちから寄付金が届き始めてい
た。
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スミス宛にペインの娘スーザンからパーティーへの誘いの電話が入った。彼女に惹かれていた
スミスは、それがペインの策略とは知らずに喜んで誘いを受け、翌日の議会を欠席してしまった。
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サンダースは全てお見通しで、スミスが潰されるのは明白だった。今度こそ嫌気がさした彼女
が、秘書を辞めるつもりで私物を引き取りに事務所へ行くと、パーティー帰りのスミスがいた。サ
ンダースは、今日ダム建設の法案が提出されたこと、その為にパーティーに誘われ議会を欠席させられたこと、更には、ペインと黒幕テイラーの関係など全てを
ぶちまけ、自分は仕事を辞めてディズと結婚すると言って立ち去ってしまった。彼女はいつしかスミスを愛していたのだった。
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スミスはペインのもとへ行き真偽を確かめたが、ペインはあくまで
もシラを切り通した。
テイラーがついにワシントンヘ乗り込んできた。ペインはスミス潰しへの協力を拒んだが、それは、次期大統領候補と言われるまでに上り詰めた我が身の破滅
であることも承知しており、結局はテイラーに屈してしまった。
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スミスの前に現れたテイラーは、自分に味方すれば選挙に落ちる心
配もなく、ペインも20年前からそうしてきたと、スミスを誘惑をした…。
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スミスはテイラーの言葉が信じられず、再びペインのもとを訪れ
た。ペインはスミスに語りかけた。「大人の世界で理想を貫くのは困難だ。ダム建設の法案には沈黙を守れ。その方が君の為だ…」。
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翌日の議会で、ペインはスミスを上院から追放せよとの動議を出
し、議場は騒然となった。スミスがキャンプ場建設法案を提出した翌日に、建設予定地を安く購入した事実が発覚した、これは彼の個人的利益の為の法案であ
り、汚職だと訴えた。
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スミス追放に関する委員会が開催された。証人はホッパー州知事など、皆テイラーの息のか
かった人間たちだ。筆跡鑑定人がスミス本人のものと断定するほど巧妙に細
工された登記書類まで提出された。そして、尊敬していたペインまでが出鱈目な証言をするのを目の当たりにしたスミスは、弁明の発言もせずに会場から立ち
去った。
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スミスは故郷へ帰ることに決め、再びリンカーン記念館を訪れた。
理想や信念が破れたスミスには、リンカーンの名言ももはや空虚なもので、以前のようには心に響かなかった。
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重い足取りで記念館を後にし、その場で泣き崩れたスミスの前にサ
ンダースが現れた。ヤケになっていたサンダースだったが、スミスの母
親から届いたイチゴのジャムが彼女を踏み止まらせたのだった。
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サンダース 「故郷の子供たちにこう言われるわ、
闘いもしないで帰ってきたの?…」。「リンカーンにも敵はいたわ。…でもバカにみたいに闘った。そんなバカが世の中を良くし
てきたのよ…」。サンダースの言葉で巨悪と闘う覚悟を決めたスミスは、リンカーン像に挨拶し、今度は力強い足取りで記念館を後にした。
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雲隠れしていたスミスが再び姿を現し、上院議会は騒めいた。スミス追放との結論に達した委
員会報告が朗読され、本会議での採決が求められた。スミスが発言を求め、議長が許可した。すかさずペインが発言を求めたが、スミスは発言権を譲らなかっ
た。議員は発言権を譲らない限り、何時間でも発言する権利があることをサンダースに教わったのだった。スミスは身の潔白、テイラーの陰謀を訴え始めた。
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ペインが今度は質問で立ち上がった。委員会が有罪としたスミスに、ダ
ム建設法案について云々言う資格はなく、保身のための議事妨害だと主張した。そして、彼を議員に指名したことを侘び、議場から退席してしまった。すると、
スミスの行為はペインと上院議会への侮辱だと、議員たちは次々と退席。議員席はスミス1人
だけになってしまった。
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サンダースが傍聴席からアドバイスを送った。スミスは議会法に則り、議員たちに出席を求め
る動議を出し、議長がこれを承認した。
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スミスの思わぬ反攻にマスコミは色めき立った。その頃、テイラーはペインを叱咤激励し、自
分の新聞社やラジオ局を総動員して、金に糸目を付けずスミス攻撃の一大キャンペーンを開始するように命じた。
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スミスが発言を始めてから7時間が経過した。議員たちは誰1人としてスミスの話を聞かず、
交代で休憩
を取っていた。しかし、スミスは起立したままだ。着席したら発言権が終了してしまうのだ。
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サンダースから、マスコミは皆彼の味方だとの励ましのメモが届い
た。スミスの一縷の望みは世論、とりわけ故郷の人々を味方にすることだった。
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ところが、肝心の故郷には、スミスを擁護する情報が一切届いてい
なかった。テイラーの勢力は全州に及んでおり、スミス擁護の報道は全て妨害されていたのだ。サンダースはスミスの母親に電話で情報を伝え、彼の新聞社で報
道してもらうことにした。
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故郷の町では、少年団が徹夜でスミスの正義を伝える新聞を作成していた。ワシントンでは、
スミスが徹夜で合衆国憲法を朗読していた。
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朝。少年団が完成した新聞を持って街に飛び出していった。しかし、テイラー陣営は、子供たちにまで危害を加えて妨害してきた。24時間が経過し、スミスの
声は枯れ、肉体的にも限界に来ていた。これまで無視してきた議員たちも、彼の最後の瞬間を見届けようと注視していた。
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ペインがとどめを刺しに登場した。故郷から届いた5万通もの非難
の電報
(全てテイラー陣営が作製したもの)に目を通せと迫った。一縷の望みであった故郷の人々からの応援も絶たれたスミス。このまま巨悪の前に屈してしまうの
か…?
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『スミス都へ行く』 の予告編 |
◆ 主な出演者など
・キャプラ監督の『オペラ・ハット』(1936年)の
続編『Mr.
Deeds Goes to Washington』として企画されたが、主役のゲー
リー・クーパーをサミュエル・ゴールドウィン社から借りることが出来ず、MGM社からジェームズ・ステュアートを借りて、題名も「Deeds」
から「Smith」に変更された。
(右の写真)左から、キャプラ監督、ジーン・アーサー、ジェームズ・ステュアート |
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・本物の国会議事堂の議場とソックリに作られたセットは、コロンビア社のセットとしては当
時最大のものだった。
(左の写真)キャプラ監督(左)とジェームズ・ステュアート |
・アカデミー賞では作品賞など10部門でノミネート。同年は強力なライバルがひしめき、受
賞は原案賞のみに終わった。主演男優賞の候補だったジェームズ・ステュアートは、『チップス先生さようなら』のロバー
ト・ドーナットに敗れはしたが、得票数では、『風と共に去りぬ』のクラーク・ゲーブルを
上回った。(右の写真)左から、ジェームズ・ステュアート、ジーン・アーサー、キャプラ監督
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・助演男優賞は、クロード・レインズと上院議長役のハリー・ケリーがダブル・ノミネートさ
れたが、新聞記者ディズ・ムーア役
のトーマス・ミッチェルが、『駅馬車』の演技で受賞した。
(左の写真)ハリー・ケリー
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・映画のラストとして、スミスとサンダースが故郷でパレードをするシーンが撮影されてい
た。本編では使用されなかったが、予告にその一部が使用された。
(右の写真)幻のパレード・シーン。ジェームズ・ステュアートとジーン・アーサーの前には、母親役のビューラ・ボン
ディとクロード・レインズが座っています。 |

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・AFI(アメリカ映画協会)が、1998年に選定した「アメリカ映画100年ベスト
100」で、第29位にランクイン。 |
◆ ピック・アップ … クロード・レインズ
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Claude Rains 1889-1967
(イギリス/アメリカ)
・1889年、ロンドン生まれ。父親が役者だったこともあり、子供の頃から役者を志していた。第1次世界大戦中、イギリス陸軍に従軍。
ガス攻撃により右目を失明している。
・イギリスでは、映画にも1作だけ出演(1920年)したが、舞台を中心に活動していた。 |
・1926年に渡米し、ブロードウェイ・デビュー。
・ハリウッドでのデビュー作『透明人間』(1933年)が大ヒット。全編を通してマスクを被っての出演
だった。以後、映画と舞台で活躍。
(右の写真)『透明人間』 グロリア・ステュアートと
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・『スミス都へ行く』(1939年)、『カサブランカ』(1942年)、『愛の終
幕』(1944年)、『汚名』(1946年)で、4
度アカデミー賞助演男優賞にノミネートされたが、受賞は逃した。 |

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・舞台「Darkness at Noon」(1951年)で、トニー賞の主演男優賞を受賞。
(左の写真)『アラビアのロレンス』(1962
年)
・1967年、77歳で他界。
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