20世紀・シネマ・パラダイス

Scandalbar

伝説の映画製作者たち

Scandalbar


   サム・スピーゲル

 ・製作した映画の中、3作品がアカデミー賞作品賞を受賞(歴代最多。2018年現在)した独立系の名プロデューサー。

 ・1901年、オーストリア=ハンガリー帝国(現在のポーランド)生れ。両親ともユダヤ人で、父親はタバコの卸売業で成功した人物だった。
 7か国後に堪能で、ウィーン大学卒業後、ドイツでハリウッド映画の独語版、仏語版の製作に従事していたが、1933年、ヒトラー政権が成立したため渡米した。
Sam_Spiegel

 ・他者と共同で、『キートンのスペイン矯乱』(1936年)、『運命の饗宴』(1942年/監督:ジュリアン・デュヴィヴィエを製作した後、RKO社とタイアップして、『The Stranger(1946年/監督:オーソン・ウェルズを製作。商業的な成功を収めた。

The_African_Queen
 ・1947年、製作会社「ホライズン・ピクチャーズ」を設立。4作目の『アフリカの女王』(1951年/監督:ジョン・ヒューストンが大ヒットし、製作者として名を上げた。
 尚、『運命の饗宴』から『アフリカの女王』までは、‟S. P. Eagle”の名義を使用していた。
 (左の写真)『アフリカの女王』撮影時。カメラマンのジャック・カーディフ(左)と

 ・コロンビア社とタイアップし、『波止場』(1954年/監督:エリア・カザンを製作。スピーゲルが何度も脚本の見直しを要求したため、ノイローゼとなった脚本家のバッド・シュールバーグが、「スピーゲルを殺しに行く」と妻に言った、というエピソードも。作品は大ヒットし、アカデミー賞の作品賞など8部門を受賞した。
On_the_Waterfront On_the_Waterfront
『波止場』撮影時。左から、ブランドの父親、
サム・スピーゲル、ブランドの母親、マーロン・ブランド
アカデミー賞授賞式にて
オスカー像を手にするサム・スピーゲル


 ・『戦場にかける橋』(1957年/監督:デヴィッド・リーンでは、‟赤狩り”でハリウッドを追われていた脚本家のカール・フォアマン、マイケル・ウィルソンを非公表で起用。インフレ調整後の興行成績で歴代第86位(2018年現在)となる大ヒットとなり、アカデミー賞の作品賞など7部門を受賞した。
The_Bridge_on_The_River_Kwai
Spiegel_Oscar
『戦場にかける橋』撮影時
デヴィッド・リーン監督(左)と

アカデミー賞授賞式にて
プレゼンターのゲーリー・クーパー(左)と


 ・『去年の夏、突然に』(1959年/監督:ジョゼフ・L・マンキーウィッツを製作した後、デヴィッド・リーン監督と再び組んで『アラビアのロレンス』(1962年)を製作。『戦場にかける橋』を上回る興行成績(インフレ調整後の興行成績で歴代第78位) を収め、アカデミー賞の作品賞など7部門を受賞した。
Lawrence_of_Arabia-2
Lawrence_of_Arabia-3
『アラビアのロレンス』撮影時
デヴィッド・リーン監督(右)と

アカデミー賞授賞式にて
プレゼンターのオリヴィア・デ・ハヴィランド

 ・アカデミー賞作品賞を3度受賞した製作者は、サム・スピーゲルとソウル・ゼインツだけである。翌1963年度のアカデミー賞授賞式でアービング・G・タルバーグ賞を受賞した。
 * ソウル・ゼインツ … 『カッコーの巣の上で』(1975年)、『アマデウス』(1984年)、『イングリッシュ・ペイシェント』(1996年)で受賞。
Lawrence_of_Arabia Sam_Spiegel-2
『アラビアのロレンス』 ロイヤル試写会にて
左から、ピーター・オトゥール、デヴィッド・リーン監督、
サム・スピーゲル、エリザベス女王
アカデミー賞授賞式にて
プレゼンターのアーサー・フリード(右)と

 ・その後、マーロン・ブランド主演の『逃亡地帯』(1966年/監督:アーサー・ペン、ピーター・オトゥール主演の『将軍たちの夜』(1967年/監督:アナトール・リトヴァク、『ニコライとアレクサンドラ』(1971年/監督:フランクリン・J・シャフナー)、『ラスト・タイクーン』(1976年/監督:エリア・カザン)等を製作した。

 ・1985年84歳で他界。


HOME