20世紀・シネマ・パラダ
イス
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死刑台のエレベーター
Ascenseur pour
l'echafaud
監督:ルイ・マル
(1958年/フランス)
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◆ ジュテーム、ジュテーム…。弱冠25歳ルイ・マル監督のデビュー作
電話で愛を語り合う男女。社長夫人フロラン
ス・カララは、夫の部下ジュリアン・ダベルニエとただならぬ関係になっていた。
2人は邪魔者の社長を殺害する計画を立て、実行の時を迎えていた。 |
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ジュリアンはバルコニーからロープで社長室がある階上に潜入し、事前に入手していた社長の
拳銃で彼を射殺し、その手に拳銃を握らせた。 |
自殺に見せかけた完全犯罪。全て計画通りに実行したはずだったが、ロープを取り外すのを忘
れていた。ジュリアンはビルに駆け戻り、エレベーターに乗った。ところが、ビルの管理人が電源を切って帰宅し、ジュリアンはエレベーターに閉じ込められて
しまった…。 |
花屋の売り子ベロニクと恋人のルイがジュリアンの車を盗んだ。ジュリアンと待ち合わせていたフロランスは、助手席にベロニクを乗せた
ジュリアンの車が走り去るのを目撃した。
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ジュリアンが裏切ったのか
…?。フロランスは途方に暮れて夜の街を彷徨い、ジュリアンはエレベーターから脱出しようと悪戦苦闘していた。
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ハイウェイを走行していたルイとベロニクは、自分達を追い抜いたベンツのスポーツ・カーを
追跡し、ベンツに乗っていたドイツ人夫妻と同じモーテルに宿泊することになった。2人はダベルニエの姓を名乗って宿泊した。
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悪戦苦闘し続けるジュリアン…、ジュリアンを探し続けるフロランス…。
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夜明け前。ルイとベロニクはベンツを盗もうとしているところをドイツ人夫妻に見つかり、
ジュリアンの拳銃で夫妻を撃ち殺してしまった。
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フロランスは朝の5時に酔っ払いと一緒に徘徊していたため警察に連行され、シェリエ警部等がジュリアンを探していることを知った。
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刑事たちが会社を訪ね、エレベーターの電源が入れられた。ジュリアンは外へ出られたが、ド
イツ人夫妻殺しの犯人として新聞に顔写真が載っていた。
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ジュリアンは逮捕されドイツ人夫妻殺しの犯人として取り調べを受けた。社長の死体も発見さ
れたが、警察は自殺したものと思っている。
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ジュリアンが計画を実行していたことを知ったフロランスは、ベロニクの住まいを探し当て
た。若い2人は睡眠薬で自殺を図っていたが死にきれていなかった。フロランスは2人がドイツ人夫妻殺しの犯人だと確信し、警察に通報したが…。
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『死刑台のエレベーター』 予告編
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◆ 主な出演者など
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フロランス役 … ジャン
ヌ・モロー Jeanne Moreau
ジュリアン役 … モーリス・ロネ Maurice Ronet
ルイ役 … ジョルジュ・プージュリー Georges
Poujouly
ベロニク役 … ヨリ・ベルダン Yori Bertin
シェリエ警部役 … リノ・ヴァンチュラ Lino
Ventura
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・ルイ・マル監督の実質
的なデビュー作で、当時のフランス映画のムーヴメント 「ヌーヴェル・ヴァーグ」 の先駆的
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な作品。当時のマル監督は25歳。『大人は判ってくれない』 (1959年) のフランソワ・トリュフォー (当時27歳)、『勝手にしやがれ』 (1960年)
のジャン=リュック・ゴダール(当時29歳)よりも若く、正にヌーヴェル・ヴァーグ (=新しい波)
の台頭を印象づけることになった。
(右の写真) 左から、モーリス・ロネ、マル監督、ジャンヌ・モロー、ヨリ・ベルダン、
エルガ・アンデルセン (ドイツ人の妻役)。ジャンヌ・モローの誕生日を祝って。
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・ジャンヌ・モローは本作をきっかけに 「ヌーヴェル・ヴァーグの恋人」
と称される大女優へと飛躍し、カメラマンのアンリ・ドカエも戦後のフランス映画を代表する撮影監督の1人となった。
* アンリ・ドカエ … 『いとこ同志』、『大人は判ってくれない』(1959年)、『太陽がいっぱい』
(1960年)等を撮影。 |
・ジャズのトランペット奏者マイルス・デイヴィスがフィルムを観ながら即興で演奏したとの
伝説がある音楽も大評判となり、ヌーヴェル・ヴァーグ運動とほぼ同時期に起った 「シネ・ジャズ」 のブームに拍車をかけた。
(右の写真) ジャンヌ・モローとマイルス・デイヴィス
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◆ ピック
アップ … モーリス・ロネ
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Maurice Ronet
1927〜1983
(フランス)
・1927年、ニースにて舞台俳優だった両親のもとに生まれた。16歳の時にリヨンの国立演劇学校に入学して演技を学び、舞台での活動を
経て、『七月のランデヴー』 (1949年/監督:ジャッ
ク・ベッケル) で銀幕デビュー。
『死刑台のエレベーター』 で国際的な人気俳優としての地位を確立し、数多くの映画に出演した。 |
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『死刑台のエレベーター』
ジャンヌ・モローと
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『太陽がいっぱい』
(1960年) アラン・ドロン(右)と
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『鬼火』(1963年)
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『太陽が知っている』
(1969年) アラン・ドロン(左)と
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・『Le voleur de Tibidabo 』 (1965年/日本未公開) では監督も務めた。
・私生活では、最初の結婚・離婚(1950〜56年)後、チャールズ・チャップリンの娘とパートナーとなり、息子を1人授かっている。
・1983年、55歳で他界。
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