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「喜劇王」 チャップリンと日本
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  日本人の秘書 高野虎市

 ・1916年、日本人の高野虎市を運転手として雇い、後に秘書へ登用。3人いた秘書の中で、チャップリンが一番信頼を寄せていた。

 1934年、チャップリンの当時の妻ポーレット・ゴダードと高野さんの間で確執が生じ、高野さんは自ら身を引いたという。
 
後に、チャップリンは高野さんを呼び戻そうとしたが、高野さんは年齢的なこともあり辞退。
 チャップリンは高野さんにユナイテッド・アーチスツ社日本支社長のポストを与えた。
  (右の写真)チャップリン(左)と高野虎市
 
Toraichi_Kono-2

 ・ヴォードビルに出演していたジャッキー・クーガンを、チャップリンに観るよう勧めたのが高野さん。また、高野さんに勧められて、アメリカで公演していた遠山満のチャンバラ劇を観たチャップリンが、一座の公演をプロモートしたというエピソードも。


 ◆ 1932年 初来日

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 ・1932年5月14日、兄のシドニー、高野虎市と一緒に初来日。
 
翌日、海軍青年将校たちが総理大臣官邸に乱入し、犬養首相を暗殺する「五・一五事件」が発生。
 事件のことを聞いたチャップリンは、「Terrible (恐ろしい)」を連呼したと伝えられている。
 (左の写真)チャップリン(前列中央)、シドニー(前列右)、
 高野 (後列左)


 ・滞在中は歌舞伎や大相撲を観戦。「天ぷら」を大変お気に召した、というエピソードも。
 (右の写真)チャップリン(右から3番目)、
 シドニー(左から2番目)、高野(右から2番目)

         
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 ◆ 1936年 再来日 (3月、5月)

 ・ポーレット・ゴダードとのハネムーンで再来日。
Japan-1936
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Japan-1936-3
(写真@)
(写真A)
(写真B)
(写真@)ポーレット・ゴダードと
(写真A)大好物の「天ぷら」を召し上がっているチャップリン。左利きだったんです。
(写真B)お座敷でふざけているチャップリンとポーレット・ゴダード

 ● 映画評論家の淀川長治さんがチャップリンと面会。

 当時、淀川さん(27歳)はユナイテッド・アーチスツ社の大阪支社に勤務しており、米国本社からの電報で、チャップリンがポーレット・ゴダードと日本へ来ることを知った。お忍びの旅行なので出迎え無用、他言も不可の情報だったそうです。

 チャップリンを「私の神様」と敬愛していた淀川さん、居ても立っも居られず、上司からは、「会いに行ったらクビだ」 と言われたが、それでも会いに行った。

 場所は神戸港に停泊している客船クーリッジ号。当然アポなどないから船長に止められた。それでも諦めずに、自分は新作『モダン・タイムス』の宣伝担当者だと言って、甲板へ上げてもらえた。その時チャップリンは、神戸の街へ「天ぷら」を食べに行っていたとか。

 待つこと30〜40分。漸くチャップリンが船に戻ってきた。
 船長からは「5分だけ」と釘を刺されていた。

 チャップリンと顔を合わせた淀川さん、それまでに観たチャップリン映画のタイトルを次々に口にし、映画の場面をひつとひとつ身振り手振りで実演したという。
 (右の写真)淀川長治 
Nagaharu Yodogawa
 すると、淀川さんのことをじっと見つめていたチャップリンが、「Come on, Come on」と船室へ招いてくれ、5分どころか40分近くも話をしてくれたそうです。

 隣の部屋にいたポーレット・ゴダードが入ってきて、真珠を買いに行きたいと言うと、チャップリンは淀川さんに案内を頼んだそうです。淀川さんは、初対面の日本人を信用してくれて嬉しかった、と述懐している。

 淀川さんは15年後にハリウッドで、『ライムライト』を撮影中のチャップリンと再会を果たしている。


 ◆ 1961年 4度目の来日

Chaplin 1961  ・1961年7月、ウーナ夫人、長男、長女を連れて4度目の来日。これが最後の来日となった。
 (左の写真)ウーナ夫人と



Chaplin_&_Yaeko_Mizutani
Chaplin_&_Sessue_Hayakawa
水谷八重子と
早川雪洲と (チャップリン、お箸で食事)

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Chaplin_&_Yoshiko_Yamaguchi-2
山口淑子と
山口淑子と

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三船敏郎 (左)と


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