20世紀・シネマ・パラダ イス

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Broken Blossoms

     散り行く花
     Broken Blossoms
     or the Yellow Man and the Girl
     監督:D・W・グリフィス
     (1919年/アメリカ)
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 薄幸な少 女と中国人青年の淡く儚い恋の物語

 中国人青年イエローマンことチェ ン・ハン
 仏陀の教えを野蛮人の地へ広めるとの大志を抱き、海を渡ってロンドンへ赴いた。しかし、厳しい現実に直面し、現在ではスラム街ライムハウスで雑貨店を営 みつつ、日常的に阿片を吸うなど、夢破れたその生活は荒んでいた…。
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 薄幸な少女ルーシー
 スラム街ライムハウスで、プロボクサーの父親と2人で暮らしている。父親は昼間から酒を飲み、不満・鬱憤のはけ口として、ルーシーを奴隷のように扱う野 蛮人の化身。毎日のように虐待を受けているルーシーは、笑顔を作ることさえ出来ず、歩く姿はまるで老婆のよう…。

  街へ買物に出たルーシー。食費しか与えられておらず、大好きな“花”を買うことも出来ない。そんなルーシーの慰めのひとつが、チェン・ハンの店先に飾られ ているお人形を眺めること。一方、ウィンドウ越しにルーシーを見つめるチェン・ハン。彼にとって、ルーシーはスラム街に咲いた一輪の“花”だった…。 Broken_Blossoms-4


  


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 ◆ 主な出演者など

ルーシー役
リリアン・ギッシュ
チェン・ハン役
リチャード・バーセルメス
Lillian Gish
Richard Barthelmess

父親役
ドナルド・クリスプ


Donald Crisp



 ・「アメリカ映画の父」D・W・グリフィス監督が、チャップリンフェ アバンクスピックフォードと共同で設立したユナイテッド・アーチスツ社の 記念すべき第1回配給作品。
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Broken Blossoms
 ・原作では、ルーシーは10代前半という設定。当時26歳のリリアン・ギッシュは出演を躊 躇していたが、彼女の演技力を買っていたグリフィス監督に説得され て出演した。リリアン・ギッシュの気分が盛り上がるように、音楽を流したり、監督自ら哀しい話を物語ったりしながらの撮影だったという。

 ・父親から「笑え」と言われ、指で口の端を押し上げて無理に笑顔を作るルーシーの哀れさ。 もしも、スニーク・プレビュー(覆面試写会)が行われていたら、きっと安易な結末に変更されてしまっていたのではないかと思う。
 サイレント期を代表する悲恋映画の名作。
 

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 ◆ ピック・アップ … リチャード・バーセルメス

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 Richard Barthelmess 1895-1963 (アメリカ)

 ・1895年、ニューヨーク生れ。生後間もなく父親を亡くし、母親が舞台女優だったことから、幼い頃から舞台に出演していた。

 ・1916年に銀幕デビュー。グリフィス監督の『散り行く花』(1919年) 、『東への道』(1920年)が大ヒットし、人気スターになった。

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『散り行く花』(1919 年)
 リリアン・ギッシュと
『東への道』(1920 年)
リリアン・ギッシュと

 ・1921年、ヘンリー・キング監督等と製作会社 「インスピレーション・ピクチャーズ社」を設立。『乗合馬車』(1921年)等をヒットさせた。

 ・1927年、アカデミー協会(映画芸術科学アカデミー)の創設会員36名の1人として名を連ねた。

 ・『熱血拳闘手』(1927年)、『獄中日記』(1928年)の 2作で、第1回アカデミー賞の主演男優賞にノミネートされた。

 ・トーキー以降は作品に恵まれなかった。第2次世界大戦中に従軍し、復員後は銀幕復帰しな かった。

 ・1963年68歳で他界。

 (右の写真)左から、リリアン・ギッシュ、リチャード・バーセルメス、ドロシー・ギッシュ
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