20世紀・シネマ・パラダ
イス
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散り行く花
Broken Blossoms
or the Yellow Man and the Girl
監督:D・W・グリフィス
(1919年/アメリカ)
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◆ 薄幸な少
女と中国人青年の淡く儚い恋の物語
中国人青年イエローマンことチェ
ン・ハン。
仏陀の教えを野蛮人の地へ広めるとの大志を抱き、海を渡ってロンドンへ赴いた。しかし、厳しい現実に直面し、現在ではスラム街ライムハウスで雑貨店を営
みつつ、日常的に阿片を吸うなど、夢破れたその生活は荒んでいた…。 |
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薄幸な少女ルーシー。
スラム街ライムハウスで、プロボクサーの父親と2人で暮らしている。父親は昼間から酒を飲み、不満・鬱憤のはけ口として、ルーシーを奴隷のように扱う野
蛮人の化身。毎日のように虐待を受けているルーシーは、笑顔を作ることさえ出来ず、歩く姿はまるで老婆のよう…。 |
街へ買物に出たルーシー。食費しか与えられておらず、大好きな“花”を買うことも出来ない。そんなルーシーの慰めのひとつが、チェン・ハンの店先に飾られ
ているお人形を眺めること。一方、ウィンドウ越しにルーシーを見つめるチェン・ハン。彼にとって、ルーシーはスラム街に咲いた一輪の“花”だった…。 |
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またしても父親から鞭で打たれたルーシー。フラフラの足取りで街
へ出て、チェン・ハンの店へ倒れ込んでしまった。
外で阿片を吸っていたチェン・ハンが店へ戻り、倒れているルーシーを発見。2階のベッドへ運び、介抱し始めた。
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ルーシーに綺麗な中国服を着させ、彼女が大好きな花やお人形を与
えてやるチェン・ハン。この世に生を受けて以来、初めて人から親切にされたルーシー。しかし、2人の心安らぐ幸福な時間は長くは続かなかった。ルーシーの
居場所を知った父親の知人が密告したのだ。
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ボクシングの試合後、チェン・ハンの店へ乗り込んで来た父親。よりによって薄汚い中国人野
郎と一緒になったと怒りを爆発させ、暴れ回って部屋の中を滅茶苦茶に壊した。父親の姿に恐れおののき、「何にもなかった」と必死に訴える
ルーシー。
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父親はルーシーを引きずりながら家へ連れ帰った。ルーシーの大好きな“花”を買いに出かけ
ていたチェン・ハン。知人から事の次第を聞き、急ぎ店へ戻ったが、既にルーシーは連れ去られたあと。
果たして2人の運命は…。
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◆ 主な出演者など
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・原作では、ルーシーは10代前半という設定。当時26歳のリリアン・ギッシュは出演を躊
躇していたが、彼女の演技力を買っていたグリフィス監督に説得され
て出演した。リリアン・ギッシュの気分が盛り上がるように、音楽を流したり、監督自ら哀しい話を物語ったりしながらの撮影だったという。 |
・父親から「笑え」と言われ、指で口の端を押し上げて無理に笑顔を作るルーシーの哀れさ。
もしも、スニーク・プレビュー(覆面試写会)が行われていたら、きっと安易な結末に変更されてしまっていたのではないかと思う。
サイレント期を代表する悲恋映画の名作。
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◆ ピック・アップ … リチャード・バーセルメス
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Richard
Barthelmess 1895-1963 (アメリカ)
・1895年、ニューヨーク生れ。生後間もなく父親を亡くし、母親が舞台女優だったことから、幼い頃から舞台に出演していた。
・1916年に銀幕デビュー。グリフィス監督の『散り行く花』(1919年) 、『東への道』(1920年)が大ヒットし、人気スターになった。
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『散り行く花』(1919
年)
リリアン・ギッシュと |
『東への道』(1920
年)
リリアン・ギッシュと |
・1921年、ヘンリー・キング監督等と製作会社
「インスピレーション・ピクチャーズ社」を設立。『乗合馬車』(1921年)等をヒットさせた。
・1927年、アカデミー協会(映画芸術科学アカデミー)の創設会員36名の1人として名を連ねた。
・『熱血拳闘手』(1927年)、『獄中日記』(1928年)の
2作で、第1回アカデミー賞の主演男優賞にノミネートされた。
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・トーキー以降は作品に恵まれなかった。第2次世界大戦中に従軍し、復員後は銀幕復帰しな
かった。
・1963年、68歳で他界。
(右の写真)左から、リリアン・ギッシュ、リチャード・バーセルメス、ドロシー・ギッシュ
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