20世紀・シネマ・パラダイス
映画界 事件&スキャンダルの歴史
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1923年
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美男子スターが薬物中毒で急死 (アメリカ) |
淀川長治さんによると、ハリウッドの最初の美男子スターは日本人の早川雪洲。その次に登場したのが ウォーレス・リード(1891-1923)。そして、3番手がルドルフ・ヴァレンチノ。
ウォーレス・リード(31歳)が薬物中毒で急死した。 |
前々年、ロスコー・アーバックルのスキャンダルが発生して以来、ハリウッドに向けられる世間の目は厳しさを増していた。
更なる醜聞を恐れた関係者たちは、ウォーレス・リードの死を美談にしようと躍起になったという。
すなわち、ウォーレス・リードは、『巨人の谷』(1919年)の撮影中に列車事故で負傷し、痛み止めとしてモルヒネを使用。その結果、モルヒネ中毒になってしまったが、最後まで中毒と勇敢に闘った、とのコメントが発表された。果たして真相は…? |
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1924年
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エドナ・パーヴィアンス宅で発砲事件 (アメリカ) |
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1924年1月1日、チャップリンの銀幕のパートナー、エドナ・パーヴィアンスの自宅で開かれていたニュー・イヤー・パーティーにおいて、彼女の当時の恋人が拳銃で撃たれるという事件が発生した。(幸い、一命は取り留めた)
(左の写真)『チャップリンの霊泉』(1917年)
チャップリンとエドナ・パーヴィアンス |
発砲した男は、女優メーベル・ノーマンドのお抱え運転手。ノーマンドは、ウィリアム・デズモンド・テイラー監督殺人事件の際に、ドラッグ中毒であることが暴露され、今度は運転手が発砲事件。
女優としてのキャリアはほとんど絶たれてしまい、1930年、結核により、37歳の若さで他界した。
(右の写真)『夫婦交換騒動』(1914年)
メーベル・ノーマンドとチャップリン |
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1924年
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新聞王ハーストが愛人の浮気相手を射殺? (アメリカ) |
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ハリウッド創生期の大物製作者・監督 トーマス・H・インス(1882-1924)。日本人の早川雪洲を映画デビューさせ、D・W・グリフィス監督、マック・セネットと共同で、トライアングル映画会社を設立(1915年)した人物。
(左の写真)トーマス・H・インス
トーマス・H・インスが、新聞王ハースト主催の船上パーティーに出席している時に体調を崩し、数日後に42歳の若さで亡くなった。
すると、次のような話がハリウッド中に、まことしやかに拡がっていった。
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「インスはハーストの愛人マリオン・デイヴィスとの浮気現場を目撃され、ハーストに撃たれたらしい…」。
「いや、浮気相手はチャップリンで、インスは巻き添えになったらしい…」。
「ハーストは事件をモミ消すために莫大な金をバラ撒いたらしい…」。
などなど。
(右の写真)思わぬところから火の粉が飛んできた? チャップリン(中央)、ハーストの愛人女優マリオン・デイヴィス(右)、グロリア・スワンソン(左) |
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<真相> インスの死因は心臓発作だった。ではなぜ、このような流言飛語が飛び交ったのか?
この怪情報は、日頃から、横暴なハーストの態度に腹を立てていたインスのマネージャーが流し、同じくハーストへの鬱憤が溜まって
いたハリウッドの関係者たちがそれに便乗したのだった。
このインスのマネージャー、この時の手腕が見込まれたのか? 後にワーナー・ブラザーズ社の宣伝部長となられたとか。 |
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